「終戦記念日」というけれど:8月15日に思うこと。
- 2023.08.15
- 放言
8月15日と言えば、太平洋戦争で日本が無条件降伏を受け入れた日と言うわけで、「終戦記念日」とか言うけれど、30以上の都市を無差別爆撃され、東京大空襲では10万人以上の一般人が命を落とし、挙句の果てに広島、長崎に2発も落とされて、完全な無差別爆撃でホロコースト状態の挙句の敗戦だったわけで、それを記念日と言うのはおおいに抵抗がある。
これがもしも立場が逆だったとすれば、アメリカ人はどう思ってるだろう?っていつも考えるんだ。
日本軍が米国の主要都市30カ所に焼夷弾を落としまくって、一般人に機銃掃射まで浴びせたら?ニューヨークを大空襲して10万人以上が命を落としたら?そしてロサンゼルスとサンフランシスコに落として、一般市民を虐殺したら?その後占領軍として乗り込んで統治を行ったらどうなんだ?
その日米が現在のような親密な関係になれただろうか?日本人は「戦争を終わらせるために必要だった」と堂々と言ってのけられるのか?米国人は8月15日を「メモリアルデー」と言うかなぁ。
何故、日本人は戦後78年間もの間、汚名を着せられ続けることに疑問を持たないのだろう?汚名とは、日本が侵略戦争を行いアジア各国に多大な迷惑かけた侵略国であること。そして宣戦布告もせずにハワイの真珠湾を奇襲した卑怯者国家であること。
歴史を丹念に検証しさえすれば、両方とも一方的に批判されるべくもないのは瞭然としている。アジア諸国を植民地から解放したのは、紛れもなく日本であり、宣戦布告もせずに他国の戦争に介入する大国よりも、行き違いから(通告が)遅れてしまった日本の方がはるかにマシだろう。
これ以上は書くまい。けれどもこうした事実を自信をもって受け止めるべき日本国民が、「もう二度と過ちは犯しません」と言って不戦の誓いを立て、自虐史観にとらわれ続けるのは、もう止めた方がいいと思う。過ちは世界中が犯していたのだ。特に勝手に他国を占領し、国土を分割し、植民地化して利益を吸い上げることが、過ちでないというならば、過ちとは一体どういうものなのだろう?
植民地と化したアジア諸国を武力をもって開放し、石油資源を買いたいということを、過ちと言えるのか?日本は、解放した国々にインフラを設置し近代化の手助けをした。偉そうに威張り腐った日本兵が居たのは事実だが、それはどんな軍隊でも同じだろう。だが少なくとも他国のような搾取は行っていない。
各国の政府を尊重し、必要とあらば軍隊をも育成し、戦後多くのアジア諸国は自ら血を流し独立を勝ち取って行ったのは、植民地から解放し独立の機運を高めた日本の貢献があってこそであり、むしろ誇るべきものだ。
戦争に負けたとは言え、尊い320万人以上の犠牲の上に勝ち取ったものは、今日の復興と繁栄だけではないはずで、少なくとも心の中で汚名を一掃し、日本は一般市民を大量虐殺するような真似は、一度たりとも行っていないということを、堂々と主張すべきである。そしてそうしたプライドだけは捨てるべきではないね。
英霊たちに安らかな眠りを。
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