世界に媚を売らず停戦の努力をして欲しい

世界に媚を売らず停戦の努力をして欲しい

戦争するってことは、こういう悲劇が幾重にも重なりあうことを意味していて、重なれば重なるほど悲しみが深くなるのは当然だけど、怖いのは憎悪が積もること。

ウクライナにロシアが侵攻して戦争になった。いい気なもので、欧州各国や米国、そして日本もこの戦争を支援している。人と人が殺し合い陣取り合戦を行う事に武器や予算を供与して「もっと戦え!」と。

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ここで考えなければならないことは、ロシアがウクライナに侵攻したとき、ウクライナが犠牲者を最小限にするために幸福したときと、現状のように戦い続けたときと、どちらが不幸なのだろうか?ということ。

もちろん、武力で侵攻したロシアは許されないことは確実だけど、ウクライナにとどまったロシア人が迫害されるのも見過ごせなかったのだろうし。ロシア語を使うこともロシア語の教育を否定されることも、ロシア語の書物を取り上げられることも、耐えがたい迫害なのだろう。戦争の火種はミンスク合意を破り、ウクライナ領内のロシア人の権利を認めなかったウクライナの日常にあったことも否定はできない。

戦争の当事国にはそれぞれ理由があるだろう。けれど、戦場で犠牲になるのは常に兵士や国民なのであって、その兵士でさえ現代では実戦することを前提として考え得る環境ではないし、また実際に戦場で殺戮に参加したならば、精神的に実社会に復帰することさえ容易ではない。

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そして肉親が死に、仲間が死に、あまたの家族を不幸にし、自らが傷ついてしまったとすれば、その深い恨みは一生消えることなどないだろう。だからこそ、こうした不幸を可能な限り抑制するために、為政者が降伏を選んだとしても、それは間違いとは言えないかもしれないけれど、戦い続けることを選んだとすれば、国を守るためにあらゆる犠牲を選ぶことになる。

そしてそれはそもそも国を守るため、領土や財産を守るために国家を構成する個人を犠牲にするという、明確なる矛盾を選ぶという意味になる。

なので、ウクライナのゼレンスキーもロシアのプーチンも、第三国の個人の立場では絶対に肯定してはいけないのだろうと思った。その意味で自分自身としては、トランプが停戦や終戦を主張していることは絶対的に正しいと共感し、支持しているのだ。

それを、有志連合を作りウクライナをこれまで以上に軍事的支援をするとか言ってる欧州各国の首脳たちにはあきれ果てる。特に音頭をとった英国のスターマーは最悪だと思う。また、何も考えずにバイデン政権に迎合し、ウクライナの戦争資金を拠出し続けた岸田も最低な総理大臣だった。

出来るなら、こいつ等を最前線に送り込み、目の前で起こる惨劇や悲劇を直視させたいと思う。