総理の座の重さ:安倍首相辞任について思うこと 2
- 2020.08.30
- 放言
恐らく現時点で日本の政治家の中で、日本の状況を最も理解しているのは安倍晋三首相であると確信を持って断言できる。第一次安倍政権で、僅か1年足らずで総理の座から引き摺り下ろされたことで、自民党という政党の体質や、もっと言えば現代の国会議員が如何に保身や私心のもとに行動しているかを思い知らされた。公式には持病の潰瘍性大腸炎の悪化としている辞任理由だが、閣僚の不祥事等悪化するだけの要因があまりに次々に起こり、思い切り足を引っ張られた挙句に、参院選挙惨敗の責任を問われるという事態になり、総理続行不可能と判断せざるを得なかったということだ。
小泉内閣で山崎拓の女性スキャンダルの後を継いで、49歳で閣僚経験のない安倍晋三議員が自民党幹事長ポストを射止めたことも、岸、佐藤直系のサラブレッドであることへの妬みも含めて、党内には反発が渦巻いていた。そして敵の多かった小泉首相から直接後継指名を受けたことで、第一次安倍政権は茨の道が決まっていた。
リーマンショック対応で国民の支持を失った麻生政権は解散総選挙で民主党に大敗すると同時に、自民党は与党の座から転落した。以降3年間は、民主党政権による日本の暗黒時代となったわけだが、その間に野党自民党において、安倍晋三再登板の機運が高まった。この時、自民党総裁選での対抗馬は石破茂、そして石原伸晃だった。
安倍晋三の勝因は、つまりは民主党左派(リベラル?)政権に対抗する保守路線を明確にしたことだと思う。石破は田中角栄の最後の弟子を自認する自民党内ではリベラル色の強い議員、そして石原は中身のない親の七光り議員であったことで、保守派議員が安倍支持で結集することになったことが大きい。そもそも、野党自民党には安倍以上の人材が出てこなかったということに尽きる。
野党時代に経済政策を学ぶ
第一次安倍政権時代、日本は日銀の金融政策の過ちもあって小泉政権で復活したかに見えた経済が陰りを見せつつあった。しかし、安倍首相は日中・日韓の関係改善や北朝鮮への経済制裁等外交に重きを置き、内政では教育基本法、国民投票法の改正を成し遂げたが、複数の閣僚の数々のスキャンダルに翻弄される政権運営となってしまった。
その間、経済運営に関してはほとんど有効な政策を打てず、そのことが民主党政権時代のデフレの悪夢を招いたということを大いに反省していたとされる。そして自民党在野の期間は、経済に関する知識人や学者のレクチャーを受け、真摯に経済政策を学んだとされる。
その中に、後の内閣参与となるエール大学の浜田教授や後の日銀政策審議員で副総裁を務めたリフレ派の岩田教授がいた。また第二次政権下でも、米国のノーベル賞経済学者、スティグリッツ氏やクルーグマン氏のレクチャーを直接受けている。
安倍首相は在野の3年間、そして首相再就任以降も経済政策に対し、極めて真剣に広範な意見を聞いていた極めて稀な内閣総理大臣だった。
党内に敵を作らない
第一次政権で起用した主要閣僚や官邸の主要メンバーを「お友達内閣」と揶揄され、初入閣議員をすべからくスキャンダルで追い落とされ、常に「任命責任」を問われ続けた苦難の経験から、第二次政権では敢えて自身の所属する清和会や麻生派、高村派の支持派閥以外から常に重要ポストを選出し、党内の敵対勢力を封じる作戦を取った。
当然入閣すれば、内閣の方針は閣議決定によって統一できるが、自民党の三役や選対も含めた7役人事も総裁として敢えて対抗する派閥から人選を行ったことで、あらゆる意見を吸い上げる必要が生じた。
したがって、首相と言えど「鶴の一声」という政策は影を潜め、アベノミクスや三本の矢といったデフレ脱却策の裏で第四の矢と称する財政再建策、PB(プライマリーバランス)策も同時推進せざるを得なかった。
安倍首相は自民党内において、親中、親韓の議員が多数存在することを十分に承知したうえで、敢えてそうした勢力の意見も吸い上げる政策をとることで、内閣に対する反対勢力を抑え込むという姿勢を貫いたことが、7年8カ月という歴代最長政権を生んだのだ。
常にバランス最優先の政策
安倍内閣では、特に後半になると消費税の2度にわたる増税決定や、移民法改正、アイヌ新法などともすれば国益を既存しかねない左派寄りの政策を次々に実行することになる。消費税の増税は、それが日本経済に対して悪影響を与えることを十分に承知していながら、財務省とのディールを行った結果と言えるし、移民法改正やアイヌ新法は菅官房長官や二階幹事長を中心とする党内左派勢力に配慮した結果でもある。
そして極めつけは、日米関係でも最大の懸案とされていた対中政策での、中国習近平国家主席の国賓招聘だ。これはG20大阪サミットで米中の対立関係を仲裁しながら、中国を日本に引き寄せ、トランプ大統領が板門店を電撃訪問して、一気に北朝鮮の核保有を破棄させ、拉致問題を解決するためのディールだった。
中国が拉致問題に関し協力する姿勢を取れば、北朝鮮も応じざるを得ないのは明らかだったが、しかし、新型コロナ感染流行によって習近平の訪日は延期(中止)となり、拉致問題の解決も非核化も水に流れてしまった。
しかし、こうした政策が立案できるのも、単に親中派を抑え込むことをせず、バランスを常に考えた結果であり、特に政権後期にはそうした傾向が強まっていった。
本来は外務大臣希望だった
安倍家は岸、佐藤両家と姻戚関係にある名門で、父の晋太郎は中曽根内閣で外務大臣を務め、特にアジア外交での評価が高かった。当時、父の秘書官を務めた安倍晋三も政治家としての希望は外交であったとされる。小泉内閣では官房副長官として北朝鮮への電撃訪問に随行し、拉致被害者の帰国に対し強硬な姿勢を取ったことも、外交に対する姿勢の表れともとれる。
第二次政権で首相となってからは、「地球儀を俯瞰する外交」と称して、外務大臣以上に自ら外交に力を注いだ。第二次政権になってから延べ176の地域・訪問国という、歴代総理では比較にならないダントツの外交を展開している。
これは首相という職務において、まさに驚異的な数字であることは言うまでもなく、ここまでの行動力を示した首脳は世界に存在しない。
海外で評価された政治手腕
時として安倍首相は、米国とイランが開戦前夜という状況で、電撃的にイラン訪問を行い、米国との関係を取り持ったこと、米国抜きのTPPをまとめ上げたこと、EUと米国の貿易戦争を事前に回避するための調停を数度にわたり行ったこと、インドを中国包囲網に加えたこと、等々海外では安倍首相の外交手腕は極めて評価が高い。
時としてサミットで暴走しがちなトランプ大統領を説得し、中でも対中輸出で多くの利益を上げるドイツ・メルケル首相やフランス・マクロン大統領との対立関係を諫めたことも特質に値する。ともすれば強硬な姿勢で世界的に孤立した米国を救ったのは安倍首相という最大限の評価を与えられることもしばしばだった。
再登板のための辞任
総理辞任の真相
安倍首相の持病は潰瘍性大腸炎で、その悪化が第一次政権での首相辞任につながった直接的な要因とされた。しかし、その後、アサコールという治療効果の高い薬を投薬したことで、治療効果が著しくその結果7年8カ月という第二次政権が長期に至ったことも事実です。
しかし、新型コロナ感染流行が始まって、特段にプレッシャーのかかる事態に遭遇し、アサコールの効き目が低下し始めたといわれている。そして6月の定期健診からほどなくして体調を崩し、8月の診断では潰瘍性大腸炎の悪化が確認された。
そして潰瘍性大腸炎の周辺に白血球の顆粒球が集まり、それが大腸細胞を攻撃することが多いことから、その炎症を除去するためにGCAPという治療法を開始したということです。
これは体内から血液を環流させ、顆粒球を除去した後体内に戻すという、人工透析のようなシステムで治療を行うもので、一回について約90分の時間を要するものです。その後、時間をおいて治療効果を検証しながら10~15回ほど継続的に行うことで炎症を鎮静化させるものです。
8月24日の再診療時に効果を確認できていないことから、ある程度の長期戦になると安倍首相自身が判断された上での辞任会見であったわけです(総理自身は約1年ほどの時間を要すると考えたようです)。
この治療を行えば、当然体内の免疫はかなり低下した状態になり、新型コロナ感染に対する十分な警戒も必要となりますから、その状態で総理の職務継続は不可能と判断されたのでしょう。
少なくとも治療期間が1年に及ぶとすれば、その間は最大限の新型コロナ感染予防が必要ということになります。
回復すれば十分に職務可能
辞任に際して将来の再登板の可能性を口に出すようなことはあり得ませんが、こうした難病を抱えて歴代最長の総理在職を成したことは特質に値します。そして、辞任会見でも、また同日に新型コロナ関連の職務をこなしていることからも、周囲や国民に対して誤解を与えるほど元気な印象でしたが、持病を抱える身としては、その心情はよく理解できます。
そして、議員の辞職を否定していることからも、歴代最長総理在職経験者が一議員として活動する、ということも考えられない話です。本人はそのつもりでも、周りはそういうわけにはいきません。
そのことは安倍総理自身も十分に承知しているはずで、あまりにもやり残した仕事が多いだけに、期するものがあると思いますし、病状が回復すれば、十分に復帰できるだけの健康は取り戻せるのではないかと思います。
日本が安倍晋三を必要とする
そもそも前回に引き続き、今回の辞任もまた同様の理由で、となると健康問題のため致し方ないと考える国民が大半であると思いますが、拉致問題や憲法改正など、やり残したことが山積しているではないか、と辞任に納得しない気持ちも残ると思います。
そして安倍総理自身の世界的な評価からしても、安易に後継者に対し期待できないという気持ちも必ず残っていると思いますし、実際に候補者として名前の挙がっている政治家では、安倍総理のようにはいかないと思います。
恐らく誰が後継総理になろうとも、自民党総裁任期は約1年あまり、またその間に解散総選挙を行わねばならず、まず後継総理の長期政権はあり得ない状況です。
そして、新型コロナや東京五輪問題、米大統領選挙、米中対立の激化と日本企業への影響等を考えれば、今後の政権運営はこの1年間が山場となるはずです。しかるに、後継総理の内閣での安定感を持った舵取りができるとも思えません。日本経済や、ともすればこのまま日本社会が沈降してゆくのは明らかなような気がします。
その時に経済感覚のない総理で日本が維持できるでしょうか?
現時点で安倍総理には再登板の意思はないのかもしれませんし、期するものはあってもこちに出せる状況でもありません。が、しかし、この先、恐らく1年後安倍総理の病状が回復していたとすれば、再度日本が安倍晋三を必要とする日が来る確率は相当に高いのではないでしょうか?
仮に三度目の登板となったときには、バランス感覚の政権運営はもはや必要ないでしょうし、ずばり憲法改正も、拉致問題の解決も自身の考え通りに突き進めるのではないでしょうか。
もう一度、そして今度こそ、遠慮のない政権運営を行ってもらいたいと思う国民は多いと思います。
-
前の記事
総理の座の軽さ:安倍首相辞任について思うこと 2020.08.29
-
次の記事
政局入り初日:8月31日(月)前場 2020.08.31