本当は親日なのに反日を続ける韓国の矛盾
- 2019.08.22
- 放言
第二次大戦で日本は、有色人種として初めてアングロサクソンと戦火を交え、2発の原子爆弾を投下され、310万(軍人230万、軍属含む一般人30万、内地での戦災死者50万)に及ぶ戦没者を出した揚句、無条件降伏して主権と領土を失い、悲惨な戦後を迎えることになりました。
そして1952年のサンフランシスコ講和会議で主権回復するまでの7年間、GHQの占領下におかれたわけです。
しかしこの時代、アジア諸国にとっては長年続いた白人の植民地支配から独立を掴み取る「アジアの黎明期」となったのです。
太平洋戦争の大義はアジアの独立
そもそも19世紀末時点でアジアの独立国は、日本、清国、シャム(タイ)、ネパール、オスマン帝国だけで、それに加えて1895年に日本が日清戦争で勝利し、下関条約で李氏朝鮮が清国からの独立を日本が承認したために、朝鮮半島が清国の柵封国家からの独立を成し遂げました。
李氏朝鮮からみれば、日清戦争とは李氏朝鮮の代理として日本が戦った言わば代理戦争だったわけで、自らの手を汚すことなく独立を果たすことになりました。
しかし1910年の日韓併合によって朝鮮総督府の統治下におかれ、以後1945年の日本敗戦と朝鮮総督府の降伏によって再度主権を回復したが、米国がこれを認めず、米国の軍政下で38度線を境に北はソ連が、南は米国が分割統治しました。
その間、1919年アフガニスタン(英国)、1921年モンゴル(中華民国)、1945年ベトナム共和国(フランス)、1946フィリピン(日本)、1947年インド(英国)パキスタン(英国)、1948スリランカ(英国)ビルマ(英国)、1949年インドネシア(オランダ)とアジア諸国の独立が相次ました。
その後も1953年ラオス(仏)、カンボジア(仏)と続き、民族の独立機運は中東や1960年代のアフリカに及んだわけです。
日本は大戦中の1943年にフィリピン第二共和国(スペインから米国に割譲、日本支援で独立)、ビルマ王国(英国支配から日本支援で独立)と、列強支配からの独立を支援したりしています。
大東亜共栄圏とは1940年に第二次近衛内閣で策定された日本の対アジア政策構想で、アジアを欧米の植民地支配から解放し、日本中心の東亜民族による共存共栄圏構想で、つまり日本の太平洋戦争での戦いは、東アジア民族の植民地支配解放という大義があったわけです。
独立には多大な犠牲が伴う
とは言え日本は太平洋戦争で敗れ、日本主導での東アジアの独立は実現しませんでした。しかし、アジアの小国である日本が、負けたとは言え欧米の大国に戦いを挑んだことは、アジア各国にどう映ったでしょう?
1955年アジア・アフリカ会議がインドネシアのバンドンで開催された。参加国は主に第二次大戦後、イギリス・フランス・アメリカ・オランダから独立したアジアとアフリカの29カ国だったが、参加した日本の加藤俊一外務大臣参与は次のコメントを残した。
「(各国代表からは)『日本が、大東亜宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。
日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある』ということだった。
我々が今日こうやって独立しました、といって『アジア・アフリカ民族独立を祝う会』というのがA・A会議の本来の目的だった。
こんな会議が開けるのも、日本のお陰ですと、『やぁー、こっちへ来て下さい』、『いやぁ、今度は私のところへ来て下さい』といってね、大変なもて方だった。『やっぱり来てよかったなぁ』とそう思いました。」
その翌年、日本は晴れて国連に加盟して、私は初代国連大使になりました。アジア・アフリカ(A・A)グループが終始熱心に日本の加盟を支持した事実を強調したい。
A・A諸国から大きな信頼と期待を寄せられて、戦後我が国は今日の繁栄を築いて来たのです」
独立を果たしたアジア・アフリカの各国は、それぞれ植民地支配の地獄を味わい、苦悩し、苦しい独立戦争で大いなる犠牲を払って独立を勝ち取っています。
欧米の植民地支配は過酷で、必ず奴隷を生み、あらゆる富を搾取してゆきます。その結果ますます富は偏り、それがそのまま欧米の文化として崇められているわけです。それは植民地支配を受けた国々の人々の目に素晴らしいと映るでしょうか?
日本は大義とは言え「大東亜共栄圏」を掲げ、東アジアの共存共栄を世界に示したわけですが、その結果310万という多大な犠牲を払い、世界で唯一の被爆国となりました。
その日本を見て、心を動かさないアジア・アフリカの民族などいないと思います。戦争も、独立戦争もあまたの悲劇を生みます。しかしそれが悲惨であればあるほど、各国の独立の名誉ある歴史となります。そしてそれが各国の誇りを育てるわけです。
独立を果たした国々はみな、独立の歴史を誇りとしているわけですね。
韓国は親日であっても反日ではない?
朝鮮半島では1950年、朝鮮の主権争いから北朝鮮が軍事境界線であった38度線を越えて南進し朝鮮戦争が勃発しました。
1895年に日清戦争の利権として(名目上であっても)李氏朝鮮は清国から独立を果たしました。独立以前の朝鮮半島は常に大陸の柵封支配下に置かれていて、植民地以下の扱いを受けていたわけです。
しかし1910年の日韓併合から1945年の日本敗戦まで、朝鮮半島は欧米の植民地支配を受けることがなく、また悲惨な独立戦争を戦うこともありませんでした。
まして、現在の反日の理由など、他の独立を果たした国々から見れば、取るに足りないことでしょう。
日本は朝鮮半島と戦ったこともないし、朝鮮半島を植民地支配したこともありません。当然のことながら朝鮮総督府統治下の朝鮮は日本の一地方だったわけです。
「朝鮮は日本の脇腹に突きつけられた匕首だ」と云われ日本本土防衛の為の重要な要であり、また日本の中でも最も遅れている地域の一つであると政府は捉え、富国強兵政策に従い多額の国家予算を朝鮮半島に投じた。
これまで朝鮮半島にほとんど存在しなかった鉄道、道路、上水道、下水道、電気インフラ、病院、学校、工場などのインフラ整備を行い、近代教育制度や近代医療制度の整備を進め、朝鮮半島を近代化していった。
李朝末期時点では大部分で道路の舗装などが行われていなかった京城は、区画整理が行われ路面電車(ソウル市電)が走る都市となった。
衛生面では、生活面における衛生指導や集団予防接種が行われ、当時朝鮮半島で流行していたコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病による乳児死亡率が減少し、平均寿命は24歳から56歳まで伸びた。
また農地の開発や農業技術の指導により食糧生産量も激増したことで、人口は併合時(1910年)の調査では13,128,780人、1944年の調査では25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた。(wikipediaより引用)
これが植民地で行われる事業であるとは到底思えません。戦時下での統制であるわけで、共産主義的な思想の取り締まり等はあったと思いますが、それは日本国内でも同様です。
これら朝鮮総督府による半島統制に関する内容は、どれも目を疑うほどの実態が浮きあがってきます。これで、果たして朝鮮半島の人々が現在のような反日感情を持つでしょうか?
1910年から1942年までの30年間で人口は2倍になり、平均寿命は24歳から45歳になったわけで、これだけでも信じがたい事実です。
おそらく歴史を忠実に学ぶことができたなら、現在反日の嵐の中に入る韓国の人々でさえ、親日だったでしょう。いや、現在でさえ多くの韓国民は日本が嫌いではなく、むしろ親日なのではないかとさえ思います。
韓国には独立の歴史が必要だった
日本の統治下から日本の敗戦によって米国の軍政下にはいり、独立を果たした韓国ですが、韓国に足りないもの、それは他の独立を果たしたアジア・アフリカ諸国のような、多大な犠牲を払った独立運動の歴史です。
朝鮮ではもちろん、日本軍として戦った方々もいますが、国家の独立を自らの血を流して勝ち取ったとする、誇るべき名誉ある歴史を刻むことはなかったと思います。
それはそれで、非常に恵まれた状況であり幸運でもあったわけですが、反面「血を流して勝ち取った独立の歴史」というのは、時が経つにつれて国民に誇りを育てるものです。
日本でさえ、今日までの繁栄が築けた理由の一つに、悲惨は敗戦の体験があったからです。そこから復興のパワーが生まれ、310万の犠牲と被爆という人類史上唯一の悲劇が原動力になったのです。
そんな日本を傍目で見て、韓国も日本を目標にここまで来たと思います。しかし、韓国にはそうした歴史が刻まれることはなかったわけです。
だからこそ、事実を変え、慰安婦や徴用工という悲劇を作り出し、懸命に自国の独立の歴史を刻もうとしているのかもしれません。
本当は親日なのに反日を続ける韓国の矛盾
韓国は歴史を改ざんし、それを政治利用することが、国民の意思を統一することと、時の大統領は常に考えてきました。その手法を最初に使ったのは、初代大統領李承晩です。
韓国は国民の感情を常に大統領が捻じ曲げてきた歴史なのです。しかし、年間700万人もの韓国人旅行者が日本を訪れ、日本に触れる機会が多い隣国ですから、反日にはどこかに矛盾を感じているはずなのです。
もしも、韓国の大統領が「反日という国民扇動の道具」を使わなければ、歴史を改ざんし悲劇をねつ造することを止めたなら、日韓関係は全く別の次元となったでしょう。
本当は親日なのに反日を続ける韓国の矛盾は、独立の悲劇がなかったことが原因なのかもしれません。
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