日韓対立の分水嶺は光復節(8月15日)
- 2019.08.08
- 海外情勢
光復とは、「奪われた主権を取り戻す」という意味を持つ朝鮮語の単語。韓国においては「1945年8月15日に朝鮮が日本の植民地統治から脱し自主独立を取り戻した事件」と定義しており、8・15光復(8・15こうふく)とも表記される。韓国政府は、光復を記念するために毎年8月15日を光復節(こうふくせつ)という祝日に定めている。(wikipediaより引用)
韓国が主権を取り戻したのは、米軍による軍政が終了し大韓民国政府樹立を宣言した1948年8月15日ですが、光復節は日本がポツダム宣言受諾で降伏を発表した事による日本統治からの解放を指しています。
韓国独立当初は反日感情はなかった?
そもそも朝鮮半島の分割統治は日本や東欧と同様に連合国側のヤルタ会談で秘密裏に決定していましたが、結局38度線を境にソ連と米国の分割統治と成りました。
しかし正式には、朝鮮総督府(大日本帝国)と朝鮮独立回復運動家の呂運亨との会談で、朝鮮建国準備委員会に行政権が譲渡されたわけで、後に米国による軍政下で激しく対立したわけです。
また朝鮮では朝鮮総督府によって拘束されていた政治犯(共産主義者)が8月16日には解放され、韓国では左右の激しい対立が巻き起こり、米軍進駐による軍政で朝鮮建国準備委員会は存在意義を失いました。
激化した政治的対立のなかで、日本統治時代の1919年、上海で「大韓民国臨時政府」が結成され初代大統領になったのが李承晩です。李は1911年に朝鮮から米国に出獄し、以降日本統治が終了するまで帰国せず、米国で生活し、その後はハワイに定住します。
しかし、大韓民国独立に際して準備不足の米国の後押しで初代大統領に当選するわけですが、当選後も国内の激しい左右対立に手古摺り、政治的混乱のなか北朝鮮が南進して朝鮮戦争が勃発すると、いち早くソウルから脱出して逃げまわっていました。
こうして数々の政治的混乱と米国の軍政で韓国は常に混乱していましたが、権力争いで現在の反日・抗日に通じるものはなく、むしろたび重なる国内の混乱の度に、日本に逃げ出す国民も多くいました。
現在に繋がる反日の起源
日本の敗戦後、韓国の政治の中心にいたのは大韓民国臨時政府のメンバーでもあり、終戦当時帰国して活動していた呂運亨で、朝鮮総督府は呂運亨に対し、行政権の譲渡を行っています。
呂運亨は韓国国内においては中道派で、朝鮮総督府の行政システムをそのまま、韓国統治に移行したいと考えていました。当時の韓国には日本の統治モデルが必要と呂運亨は考えていました。
しかし呂運亨が組織した朝鮮建国準備委員会は米軍によって否定され、左右対立で混乱する政治状況の中「大韓民国臨時政府」を結成するも1947年、右翼青年によって暗殺されました。
呂運亨は知日派・親日派の政治家であり、日本を高く評価し、日本敗戦前から日韓協力して欧米列強から独立すべき」との考えを打ちだしていたわけで、呂運亨暗殺は大統領を狙う李承晩の指示であるという説が有力視されています。
日本の敗戦後、米国軍政の混乱、朝鮮戦争の混乱のなかで、大統領だった李承晩は、「諸悪の根源は日本」として反日を掲げ、反対派と国民の意識を外敵に振り向ける政策を推進したわけです。
李承晩は朝鮮が日本統治下にあった時期の殆どを海外で過ごしていたため、日本や日本人というものをステレオタイプとして抽象的にしか理解できず、反日政策をいたずらに煽ることにつながったとも指摘されている。加えて権威主義政権として基盤の脆弱であったことや、保導連盟事件、済州島四・三事件、国民防衛軍事件の様な失政から国民の目をそらすべく、今日でも李承晩の民族主義的政策による影響は根強く残っており、日本と韓国間に横たわる問題の多くが、李承晩時代に端を発している。(wikipediaより引用)
現在の反日の起源は、政治的ライバルである呂運亨亡き後、自身の政治権力を確立するために持ち出してきた「ポピュリズム政治手法」だったのです。
そして歴代の韓国大統領はすべて、この李承晩の反日手法を受け継ぐことで、国民の批判をかわす政治手法を踏襲しています。唯一の例外は佐藤内閣と日韓基本条約を締結した朴正煕大統領ですが、後の大統領によって日韓基本条約は踏みにじられています。
究極のポピュリズム政治家:文在寅
セウォル号沈没事故や、親友の民間人である崔順実の政治干渉などで弾劾され罷免された朴 槿恵前大統領に代わって、朴 槿恵前大統領への批判を味方につけて当選したのが文在寅大統領です。
弾劾裁判となってサムソンからの40数億円の賄賂疑惑も噴出して、控訴審で認定され懲役25年、罰金約20億円の判決を受けた朴 槿恵前大統領ですが、文在寅大統領は攻撃の矛先を賄賂認定されたロッテグループやサムソンに向けて、財閥批判をい繰り返すことで国民の支持を得ようとします。
しかし、国内的に景気が悪化してくると、途端に反日・抗日を煽るというポピュリズム政治を展開しています。
そもそも、文在寅大統領は朝鮮半島統一以外に政策信条はなく、国民支持のためなら何でもするといった類の政治家で、経済状況が悪化し、国民の支持が低下すればするほど反日を煽るという典型的なポピュリズム政治家です。
ホワイト国除外発動なら韓国経済は自滅
ところが2018年、2017年の国連制裁決議2397(北朝鮮への国連制裁決議は2006年から2017年までの11回)に違反して瀬取りを行っているとして勧告を受けて以来、慰安婦問題はもとより徴用工問題、(自衛隊機への)レーダー照射問題等次々に日韓基本条約を無視した反日を繰り返すようになりました。
また韓国は、日本からの原子力開発(ウラン濃縮)のい吸着剤であるフッ化水素やサリンやVXガス等化学兵器製造に使われるフッ化ポリイミドを第三国経由で北朝鮮やイランに供給している疑惑が持ち上がりました。
このことが表面化すれば、韓国はテロ支援国家ということになり、日米間の同盟関係が解体するわけで、それを防止する意味でも日本の輸出管理強化で対応するという極めて温情的な措置を実行しました。
それが7月4日から輸出管理強化品として指定された3種類の軍事転用可能な化合物(フッ化水素、レジスト、フッ化ポリイミド)です。
しかし、韓国はこの措置に対し、文在寅大統領以下国家をあげて反発しています。
さらに日本は韓国をホワイト国指定除外することを、8月4日に閣議決定し、8月28日から施行する旨の政令を発布しました。これが施行されれば韓国は自滅する可能性が高いです。
24日間というスパンを設けたのも、韓国に対する温情ですが、文在寅大統領は国連制裁決議を受けている北朝鮮と協力して日本に立ち向かう旨の演説を行い、日韓基本条約順守の姿勢は微塵もありません。
反日に終止符を打ちたい日本だが
韓国の反日感情は、文大統領の思惑通りかつてないほどの広がりを見せ、また激しさを増しています。そして間もなく「1945年8月15日に朝鮮が日本の植民地統治から脱し自主独立を取り戻した日」と定義された光復節を迎えます。
日韓関係が極めて微妙な時期でもあり、光復節での文在寅大統領の演説ないし会見の内容は極めて重要な意味を持つ分水嶺となるでしょう。
ここで、文在寅大統領は、反日を煽るような日本批判を行えば、ホワイト国除外はいよいよ現実の問題として韓国経済に降り注ぎます。
そのようなことにでもなれば、安倍政権(日本政府)とて、世論を意識すればホワイト国除外を撤回することはありえません。
そうなれば、ウォンは暴落し、韓国経済は最悪崩壊するか、長期にわたる低迷に喘ぐことになるでしょう。しかし、そうなっても反日が止まるかどうかはわかりません。
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