みんなが苦労してるとき、別世界の議論してる:日本学術会議

みんなが苦労してるとき、別世界の議論してる:日本学術会議

日本学術会議の「人事」をめぐって連日TVは喧噪して、菅首相批判を繰り返してる。ちょっとニュースでも、なんてTVをつけると必ずこの話題。昨日はノーベル物理学賞を受賞した益川氏が学術会議に推薦された名簿から6名を(菅首相が)任命しなかったことに対して「こんな乱暴なことをしたということは歴史上長く糾弾されるだろう」「戦争の反省の上につくられた日本学術会議に汚点を残すものだ」と強烈に批判したと報道された。

ノーベル賞なんか貰ってしまうと偉くなっちゃって、自らの専門外の問題について(本人は)影響力があると勘違いしちゃっていろいろ(積極的に)発言したりする人もいる。もっとも研究を追求して専門外のことに関しては沈黙する先生も多いので、政治的な発言をする人は少数派かもしれないけれどね。その辺は人それぞれの考え方なんだろうけど。

益川先生の発言は・・・、「こんな乱暴な発言をしたということは歴史上長く批判されるだろう」と書いておこう。要するに日本学術会議というところで研究やら学問をやっている機関であるならいざ知らず、基本は「一丁上がりの名誉職」にしか過ぎないわけだし、戦争の反省の上につくられたと言っても、今となっては単純に軍事技術研究を否定しているだけの極めて危ない機関であって、むしろ国益を真っ向損ねてるという現実がある。

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益川先生なんかは、その道では権威はあるだろうけど、まともに学術会議の歴史とか現状を分かってないで、ノーベル賞の権威だけで発言しちゃうというのはいかがなものか!?ノーベル賞もいわば一丁上がりであって、退役学者の互助会じゃないんだから・・・(苦笑)

ちなみに益川先生は日本学術会議・栄誉会員で、ノーベル賞受賞者の多くは栄誉会員になってるけどね。さらに学術会議はもちろん国家機関なので日本学術会議法によって位置づけされている。

国家公務員の自覚欠如

日本学術会議は内閣府に設置された国家機関で、会員は国家公務員特別職となる。当然年間に数百万円の手当が出る。「学問の自由を侵す行為」とかなんとか、左派系メディアは大騒ぎだけれども、そもそも学問などはやっていない機関だからね。

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下に学術会議のHPのリンクを貼っておくけれど、なんというかSSL化もされていないというお粗末極まりないものだ。こういうのを見ても、終戦後の設立には意味があったのだろうけど、今となってはあまり機能しているとは言い難い。広げた風呂敷が役に立っていないという印象だ。

だから、首相が任命権を持つ国家機関である以上、会員の承認というのは言ってみれば「人事」なのであって、どういう人事であろうと全く問題はなし。民間では当たり前のようなことでも、「学問の自由を阻害する」とかなんとか、学者ってのは文句を言うんだなぁと思うだけ。

法改正も行われているけれど、今は現役の会員が新規会員を推薦するという形式になっていて、変な話世襲するようなもの。これじゃ、学者の一丁上がりのサロンと言われても反論できないね。会員は名誉職的な感覚なんだろうし、ステイタスもある。だから長年の貢献に対して年金以外に報奨金がでても当然みたいな意識があるのかも。

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でも専門分野でも、研究の主力は若い人になってて、その活動をやりやすくするために分詰まりを解消するという役割はあるかもしれない。国家公務員の世界は天下りというのがあるけれど、事務次官が交代すると同世代の役人は基本は退官して天下る、というのと似ている。ある意味組織の活性を維持するシステムと言えるけど。

学問の自由の問題じゃない!

今回の騒動は、過去にあった民営化の議論(小泉内閣時代)を学術会議側が否定したという経緯の延長線上みたいなもので、当時、国家公務員で安定した給料を貰いたいということだったのだろう。なんかね、日本学術会議の在り方の議論が活発になるような今回の騒動・・・。首相の人事に文句を言うなら、民営化したほうがいいと思うよ。

シンクタンクみたいにしてはどうかな?そうすれば、(権威を持って?)真剣に仕事をするような活動形態にしないとやっていけないし、もう少し考えるんじゃないかな。

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それと大問題となっている軍事技術の研究拒否。日本の学界をリードする役割を自認するならば、そこを見直さないと機能するはずがない。だいたい、中国のアカデミーと提携関係にあって、そこは当然軍事研究をやってたりね。それから、日本には自衛隊が存在するのに、軍事研究はしちゃいけないなんて矛盾もいいところ。そういう存在自体が矛盾を作り出していることに対して、学術会議自らが更新や刷新ができないということ自体、老害組織になってるんじゃないか?

益川先生じゃないけれど、「戦争の反省の上につくられた日本学術会議」は、現在ではまったくナンセンスな発想だと思う。

そういうことも含めて、(結果的に)菅内閣が提起した日本学術会議問題なのだから、時代に合った方向性を出すということが必要だと思うし、そうしないといつまでたっても、日本の自虐史観みたいなものは洗浄できないんじゃないかと思うけどね。

ということで、学問の自由を抑圧するとかなんとか、お題目を掲げて政府批判をしている学者さんやメディアとか・・・すぐにそういうことにすり替えるけれど、むしろ今となっては学問の自由を阻害してるんじゃ?

こういう組織って温いなぁ・・・(苦笑)。

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