誰もチャレンジしない、保身の国ニッポン
- 2019.06.04
- 放言
大震災や原発事故が起きると「思いやりと絆の国・日本」となって、外国人観光客を招聘したければいつしか「おもてなしの国・日本」となった。安倍内国の方針や東京五輪の誘致の成功で、ますます「おもてなし」に拍車がかかるだろう。
それらはみな「30年間経済成長を放棄したほぼ社会主義国のような国・日本」にぴったりだと思う。
日本は世界で唯一、経済成長をしない資本主義国家だ。凄いね。どうやったらこんな国が出来るんだろう?と考えてしまう。それで私なりに考えた結論は・・・
それはチャレンジすると死ぬことがわかってしまって、頭のてっぺんからつま先まで、ほぼすべての日本人が「保身」に走った結果じゃないかと思うのですが。
すべてが損得で計られる
「持ち家と賃貸どちらが得か?」「アプリダウンロードで3割引き」「転職で年俸アップ!」「最も有利な保険」「エコポイント還元」「いまならもう一本無料でお付けします」
こうしたキャッチコピーを観るにつけ、今の日本は完全にデフレに堕ちていると思う。物やサービスを販売するときに、普通ならば効果や結果を訴求するはずが、いまは「まず価格」を全面に押し出すわけです。
なぜなら、今の日本社会はデフレで、すべての価値は損得で計られるということを分かっているからだ。
しかし物販やサービスだけでなく、実は日本人の生き方そのものが「有利・不利」を前提に選択されているような気がする。進学や職業の選択、結婚や出産も「損得」「有利・不利」という要素が非常に大きなウエイトを占めている時代になってしまったということかもしれない。
学びたいことを学ぶ、やりたい仕事をする、愛してるから結婚する、欲しいから子供を作る、という第一義的な目標と同列、あるいは上位に来てしまっている時代なのだ。
チャレンジのペナルティが大きすぎる
活力ある社会では、常にチャレンジ精神が旺盛だ。発展が著しいアジア新興国などは、誰もがチャレンジする機会を模索しているが、欧州や日本のようなチャレンジのペナルティが大きくなりすぎた国家や社会制度や宗教上の理由で生命の危険があるような後進国では、チャレンジ精神は失われる。
唯一の例外は米国で、チャレンジャーは失敗しても称賛される国家です。人種差別や宗教上の問題も内包しながら、それでも成功者は尊重される国家であり、また再チャレンジを認めるという言わば「パイオニア精神」が根底に息づいているのだと思う。
既得権益を守る
しかし、既得権者にとってチャレンジャーほど邪魔な存在はない。新しい価値観を持ち込まれ、既得権を侵害されることが何より怖いために、「出る杭は打たれる」という諺もあるように全力で阻止しようとする。
そのためにはチャレンジのペナルティを常に大きくしておく必要がある。そのペナルティを大きくすればするほどに、既得権者にとっては有利になるからね。
その典型的な社会が、日本と言えるのかも。
1億2千万総保身・総貧乏神
「日本政府は1000兆円以上の借り入れがあって、日本国民は2000兆円近くの資産がある」これが今の日本社会のすべてだね。
戦後、日本は貧乏国となり、江戸時代の藩のように「質素・倹約」を奨励した。そして復興資金をかき集めるために疲弊している国民に対し、なおも「貯金は美徳」という意識を植え付けてきた。
戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代は、どっぷりとそうした教育を受けて成人します。その結果、後進国として戦後復興を成し遂げながらも常に高い貯蓄率を維持してき。それが、貸し出され再投資に回されて非常に良好な資本の回転を作り出した。
そのことが成功体験になってしまっている。
バブル崩壊で価値観が激変
1989年に不動産バブルが崩壊し、日本は極めて深刻な状況に陥り、その後企業や個人の債務処理に15年を要する、所謂「失われた10年」時代が到来した。
長期にわたって債務処理に苦労した結果、日本人の価値観が激変する。すでに経済は成長しないのだから、守ることが第一という完全なデフレ的発想が日本人を覆ってしまいました。
政治家も官僚も保身に走る
1990年以降の政治はすべて保身主義になってしまった。ビジョンや政策の上位に、「選挙」が憚ることなく堂々と登場するようになる。自民党は絶対に落選しない「小選挙区制」を導入し、国会議員は次の選挙のために正当に忠誠を尽くす。党に公認されなければ立候補も出来ないわけだからね。
しかし政治家だけでなく、日本経済のバブル崩壊劇を目の当たりにした官僚も保身に走りだした。財政危機を煽り増税を繰り返す。経済の劣化とともに増収の希望がないために、増税で凌ぐ方向に明らかに変わったよね。
すべては保身のため。政治家や官僚のビジョンとはまさに「保身」だったわけだ。
損得が絶対的な価値になった
政治や行政があからさまに保身に走っている姿、既得権者が既得権を守ろうとする姿、を国民は目の当たりにしてしまった。企業は正規社員をリストラし、非正規雇用をあからさまに採用し始めるし。
人材派遣の領域が(政治的に)緩和され非正規派遣が主役にってしまった。
そのことは企業にとって大きなコストカットが実現出来るわけで、「不況であるから」「生き残りのために」という大義名分が堂々とまかり通った時代。企業のために個人を犠牲にすることに、経営者は罪悪感をまったく感じなくなった。
その結果、再生した日産に起こったカルロス・ゴーン元会長の事件や、ルノーとの合併交渉等々、皮肉な結果になってるよね。
保身が絶対的な価値になった
世界が好景気を謳歌している最中、日本社会は「保身」が当たり前になってしまった。政治家は社会を変えることよりも現状維持を優先し、保身を最優先する。たとえ安倍総理と言えど、新たなビジョンは示すことが出来ていない。
しかし国民の意識もまた既得権益の維持と保身に変わってしまったために、「高齢化社会を支えるために消費税を増税します」ということに反対しないわけです。
今の日本では、経済成長をさせて問題を解決しようという政治家は、恐らく極々少数派。自らの権力と地位を維持するために、官僚にとっては増税こそが唯一の手段だよね。
そしてやがてはすべて国家に吸収されるであろう資産を、団塊の世代はせっせと守り続けてる。それも保身のため。人生100年時代、と言われたら、資産を取り崩そうとはしないね。
その結果、すべては次世代の団塊ジュニア、そして致命的に少子化したその次の世代がツケを支払う運命になるんだよね。
逞しかった日本が終わりそう
今回の「消費税増税」は、そうした「保身の国ニッポン」の象徴だ。平成の30年間にチャレンジ精神を失い、既得権を守った世代が、最後に日本社会を滅ぼすような、そんな政策です。
今の時代、残念なことに若い世代の呼吸が感じられないね。
明治維新や富国強兵、殖産興業を果たした明治~大正の頃の日本は逞しさがあったと思う。しかし、戦後の米国支配が日本人を従順な、自虐的な国民に変えてしまった。そしてバブル崩壊で、戦後復興と高度成長を成し遂げた気概はすべて保身へと変わってしまったと思う。
若者が目先の損得で人生を語っている姿は、末期的と感じざるを得ない。残念です。
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