米国の属国としての日本(3):年次改革要望書

米国の属国としての日本(3):年次改革要望書

1951年サンフランシスコ講和会議で主権回復を獲得した日本だったが、その直後二国間協定として安全保障条約と米軍駐留に関する日米行政協定、および駐留米軍の法的取り扱いを規定した日米地位協定が締結された。

日本は主権国家、独立国家の地位を国際的に認められながら、米国の第二次大戦後の日本占領形態を出来るだけ維持したいという思惑で、日米安全保障条約とそれに伴う、開国後の不平等条約さながらの日米行政協定、日米地位協定を二国間協議で締結した。

米国はその成り立ちが自治権をはじめとする各種権限を有した独立国家的な「州」で構成される連邦国家だ。故に占領地日本に対しても、連邦法の適用外であっても事実上、「州(State)」と同様の取り扱いを維持したかった。その意味では米軍駐留とその取扱いに関する協定を締結することで、日本国内に米国連邦政府の権限を維持することが極めて重要な政策だった。

米軍および軍関係者、軍属に対し日本の徴税権、法政権は及ばず、不動産の借地権、日本空域の基地周辺の管制権を認めることや、米軍維持のために経費負担等々、さながら治外法権的な状況を今日まで引きずることになる。

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1944年のブレトン・ウッズ協定によってドルは世界の基軸通貨として認められ、米国経済は第二次大戦後の戦後復興期において急拡大し、世界経済での中心国としての地位を確固たるものにした反面、日本やドイツと言った敗戦国経済が復興を見せ始めると、米国の貿易赤字は急速に拡大した。特に米国の保護下で奇跡的な復興を遂げた日本に対しては、対日貿易赤字が急拡大し、日米貿易摩擦に発展しつつあった。

米国は1971年、基軸通貨ドルの金兌換を中止し、変動相場制に移行していたものの、ドル高はジワジワと米国内経済を蝕み始めた。そこで、1985年G5でプラザ合意を承認させ各国がドル売りの協調介入を実施することに成り、円は¥240辺りから急速に¥120辺りまでの円高に見舞われた。

同年、プラザ合意の直前に日航123便の墜落事故が発生し、524名もの乗客乗員が犠牲になるという最悪の航空機事故となった。今でもこの日航123便事故が、重大な関心を呼んでいる背景には、こうした激動する世界経済という背景があったこと、その後米国の日本経済に対する内政干渉が激しくなり、日米安保だけでなく、日本経済全体に対する米国支配が一段と強化されたからである。そしてそのことと、矛盾だらけの事故調査委員会報告が関係しているという懸念を生じさせるからである。

運輸省航空事故調査委員会の報告は、現在ではその矛盾は明らかで外堀はほぼ埋められている状況だ。事故原因に関して事故調内部でも深刻な意見対立があったことが分かっているが、圧力隔壁破損論は今となっては論破されているし、垂直尾翼に加わったとされる外力が機体後部破壊の原因であったことは、今では否定できない。その内容は事故調報告と真っ向対立する。

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事故調報告は圧力隔壁破損と結論し、米ボーイング社も修理ミスを認めている。ならば日航はボーイングに対して補償を求めるべきだろうが、そうした動きは報告されていない。520名もの命が失われた重大事故の処理としてはあり得ない対応で、だからこそある種の政治決着が図られたと考えざるを得ない。そもそも米企業がそう簡単に自社の非を認めるはずもない。

以下は個人的な推測になるけれど、巷間、青山透子氏や森永卓郎氏が指摘しているように、航空自衛隊の訓練ミスだったと・・・。当時123便は米軍横田空域の上、東部管制域を飛行中。横田空域の管制域は新潟県から東京西部、伊豆半島、長野県まで広がり、12,000フィート(約3,700m)から最高23,000フィート(約7,000m)の高度に上る空域であり、23900フィート(7284メートル)の高度だった。空自が何らかの訓練、演習を行うのは、横田管制域ではやり辛い・・・。

結局、空自の責任で日航123便が墜落したとなれば、国内世論の風当たりは極めて強くなり、内閣も総辞職に追い込まれ、さらには日米安保への大きな影響も懸念される・・・。そうなると、日米関係は一気に悪化する恐れもあるわけで、中曽根首相はレーガン大統領との政治決着を計ったということだと思う。520名もの犠牲者の御霊を虚飾の政治決着で葬ったということ、そして米国に対する大きな借りを作り、その結果、日本の半導体業界を壊滅に追い込む「日米半導体協定」、日米間の貿易不均衡を是正するための「日米構造協議」とその後の日本経済に大きく干渉を繰り返す「年次改革要望書」への流れを形成することになる。

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事故原因が自衛隊であるとする根拠は、事故調査委が一時的に後悔した「垂直尾翼の外圧ポイント」(公開後に削除された)、123便を2基のファントム戦闘機が墜落まで追尾していた事実、そして墜落直後には空自のヘリが墜落点の特定を行っていたという事実(目撃証言多数)から、ほぼ間違いないと思われる。

その後、墜落地点の隠蔽、追尾事実の隠蔽、翌朝墜落現場にはヘリで20数名の自衛隊員が送り込まれていたこと、123便の横田緊急着陸をなぜか断ったこと、フライトレコーダー、ボイスレコーダーの開示を拒否していること、伊豆沖の垂直尾翼等の破片の回収を発見されているにもかかわらず行っていないこと、など数々の矛盾点が噴出していることも、事故原因の隠蔽をうかがわせる。

中曽根首相はレーガン大統領との蜜月をアピール。互いにロン・ヤスと呼び合う仲と・・・だがこうした演出の裏で日本は米国の属国たる道を歩むことになる。

中曽根政権は、国鉄民営化のためにおびただしい金額の負債を清算事業団に切り離して民営化し、電電公社と日本専売公社の民営化を決定した。その後、国鉄はJRとして、電電公社はNTTとして、日本専売公社はJTとなって民営化を果たすことになるが・・・。結局国鉄の37兆円もの累積負債は国税(国民負担)で処理され、電電公社の電話加入権は現時点で変換せずという態度を取り続けている。ちなみに切り離された国鉄の負の一部はたばこ税増税で賄われた。

中曽根内閣は米国の要望に従って、売上税を導入しようとしたが否決され廃案となった。その後竹下内閣での消費税3%導入と橋本内閣での5%税率引き上げが行われ、日本経済のデフレ転落は確定的となったとともに、バブル放棄後の傷跡を一層深くし、金融危機へと向かうことになる。

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日本は税制再建の名のもとに消費税導入を行ったが、税法上は明確な二重課税でもあり、課税原則を曲げても、増収を図った背景には、米国の強い要求があったとされる。1993年、宮澤喜一首相とクリント大統領んの間で、「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」が出され、日本とアメリカ合衆国との間の規制緩和に関する対話に基づく双方の要望書」が作られた。そして2001年からは現在まで続く「年次改革要望書」となったわけだが、これらは日本政府が日本市場を米国に全面開放することを趣旨とする明らかな内政干渉であり、さらには日本の経済・財政政策に外交交渉なしで干渉するという問答無用の要求書だ。

ブッシュ大統領の前でエリヴィス・プレスリーの物真似を披露する小泉首相。郵政民営化による金融・保険事業の自由化を確約していた。

小泉内閣の(米国政府の要請を受けた)郵政民営化や、竹中平蔵の主導する公的資金を使った金融機関の救済と不良債権処理、米国債買い入れ増額等々、の金融・財政政策や農産物や食肉の輸入割当、自動車の輸出規制等、事細かな要求を年次開会要望書の中で突きつけられてきた。

そしていつの間にか年次改革要望書の履行は、政権交代の混乱もあり財務省主導となり、財源確保の名目で消費税増税を筆頭に各種増税を繰り返し今日に至っている。結果的に第二次安倍政権での経済対策の主眼である金融緩和は、円キャリーで対外投資に振り向けられた。増税による需給ギャップの拡大は、可処分所得の減少傾向が解消せず、日本経済は成長を否定されたかのようになった。いくら景気対策をしようが、補正予算を組もうが、給付金等のばら撒きを行おうが、瞬く間に財務省に吸い上げられるという悪循環の繰り返し。

それが米国の属国たる現時点での日本の姿に他ならない。