三連休、日経CFD急落と家系図と

三連休、日経CFD急落と家系図と

全く悠長に休場なんかやってる間に、日本株は下値模索に走り出してる!?米国三市場のチャートが如何にも悪いということが、日経CFDに直結してる感じがするよ。これで今夜米国市場がチャート通り下押しするとすれば、日経平均の明日の寄り付きは、かなり厳しいかも。

ある意味そこが押し目という考え方も在るけれど、トランプの就任式まであと1週間というこの時期だけに相当難しい判断を迫られる。そして決算が始まり日銀会合とFOMCという日程も、今年の場合は結構痺れる。まぁ、何もできないのでね、見守るしかないけれど。

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さて、この三連休、親父の容態がかなり悪化してきて、血中酸素濃度が70に迫ることもあり、自分としても気持ちの整理を付けたつもり。偶然ということもないのだろうけど、去年の秋頃から、家系図の整備と親父や祖父祖母の足跡をたどってみようと思いついて、少しづつ作業を始めていた。

その中で最も引っかかったのが、親父の子供の頃の中国での話。オヤジは何度か、中国での生活の様子を話していたことがあったけれど、それはいつ頃のことなんだろう?って調べ始めたけれど、どうもよく分からない。

分かっていることと言えば、太平洋戦争が始まった昭和16年には、内地(日本)に引き上げてきたらしいという事。中国で祖父が電気工事業をやっていたこと。

で、調べてゆくと、昭和13年頃、祖父が単身で中国に渡り、主に軍の仕事を請け負っていたということで、所謂軍属と呼ばれる存在だったこと。その後、生活の基盤を整えた上で、妻子を呼び寄せたということ。恐らく昭和14年だと思われることが分かった。西暦でいうと昭和14年は1939年になる。

1939年というと、ノモンハン事件で関東軍がソ連に負け、独ソ不可侵条約が締結されてドイツがポーランド侵攻で第二次大戦が勃発した年であり、山本五十六が連合艦隊司令長官に就任したということもあった。今の感覚で言えば、まさに激動の時代だよね。

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そんな中、祖母は5人の子供とともに中国へ渡ったというのだから恐れ入る。その中に6歳になった親父がいたわけだが・・・。あとの4人は皆女子だったわけで、何とも無謀な祖父母だとわかる。もっとも半島は日本の統治領だったし1932年には満州国が建国されいたので、感覚的には国内移動だったのかもしれない。

ところが親父の話だと、万里の頂上の上を歩いたと。これは祖母から直接聞いたこともあったから間違いないのだが、そうなると一体中国の何処に行ったのか?これがまったく分からなくなってくる。いろいろな手段で調べてみたのだが、今となってはこれが分からないし、第一親父の兄弟はすでに全員無くなっているから聞き取りも出来ない。当時は国策による移民なども行われたし、渡航ルートも定期船の就航でいくつかあった。

でも行き先が分からないと判断できないし、横浜なのか、下関なのか、乗船地も不明のまま。とにかく祖母は祖父からの手紙を頼りに女でひとつで10歳女子、8歳女子、6歳親父、5歳女子、4歳女子を引き連れて中国に渡り、万里の頂上の上を歩いたことは確かなのだ。

そんな意味不明の苦難のなか、普通に考えれば行先は満州国だとうけど、万里の頂上は満州国の南端の国境に接しているだけで、そこを歩くということは首都の新京やハルピンではない。まさか、日中戦争の最中に中国側へ行くとも考えられず、そこで調査は挫折した。

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NHKのファミリーヒストリーという番組を見ていると流石に大した調査能力だと感心するけれど、個人では時間を掛けない限り調査することはできないだろう。

もちろん家系図という事なので、祖父ー曾祖父・曾祖母くらいまでは、戸籍を辿れば何とかなりそうだけど、勿論出生は江戸時代なので、存在くらいしか確認は出来ないと思う。そして祖父・母の兄弟を調べると、これがとてつもない広がりを見せてしまうので・・・。

ただし、家紋は有力な手掛かりの一つになり得るということで、祖先の江戸時代の立場・身分を推測するに、毛利家の家臣で渡邊氏という侍がいて、そのまた家臣だったらしい。

でも、こうして家系図だけでなくて改めて親父の人生を辿ってみると、波乱万丈であったことがしみじみと分かる。92歳の老人の人生というのは、その時代背景も考えると半端ないなと思えるのだ。親父の容態次第では数日のうちに他界することになるだろう。でも、自分が元気なうちにしっかりと可能な限りのルーツを調べておくつもりでいます。

 

さて、こうしている間に、日経CFDは¥38,265と金曜引け値からさらに▲¥900以上の厳しい下落に見舞われてます。今日はこの先どうなるんだろうねぇ・・・。