私的小説 師匠 斜陽編(第一章 ライブドアショック)

私的小説 師匠 斜陽編(第一章 ライブドアショック)

ライブドアショック

1

「社長、ライブドアが大変みたいですよ。いま、ニュース、やってます。」

「ああっ!?」

フロアの若い社員の声。すぐに社長室でテレビをつける。

多くの報道陣の中、一様に黒っぽいコートを着た男達が六本木ヒルズのエントランスへ続々となだれ込んでゆくシーン。降り注ぐようなフラッシュと周到に準備されたテレビカメラを背景に記者がその模様を中継していた。漠然と「なぜ、家宅捜査の時間と場所がわかる?」と不思議に感じた。

後日、こういうケースでは必ず地検からマスコミへ情報のリークがある、と聞いた。東京地検特捜部の家宅捜索は「しっかり報道しなさい!」という演出込みなのだ。

同じコメントを繰り返し伝えるアナウンサーの音声が煩かかった。冬晴れだった午前中とは打って変わって午後になるとどんよりと曇って、午後四時頃には気温もぐっと下がってきた。東京も寒いのかな?と思った。

「社長、大丈夫なんですか?」

若い社員達を自分の子供のように巧みに操って、フロアをまとめている総務の井上さんが珈琲を持ってきてくれた。

「大丈夫じゃないよ。会社の取引は大した金額じゃないけど・・・」

「ならよかった」

「でも、ヤラレたよ。株持ってるからな、明日暴落だろう」

繰り返し放映される地検の侵入シーンを俺と井上さんは、しばらく無言で観ていた。そして、明日ストップ安になって寄り付かずに大量の売り注文で張り付いてる板を俺は想像していた。

彼女はなかなか退室しようとはしなかった。きっとその夜の二人の約束はどうなるのか、と確認したかったに違いなかった。
10分ほどしてテレビを消し、啜った珈琲はすっかり冷めてしまっていた。

「入れなおしましょうか?」

「悪いね、うんと熱いのを・・・」

そう言って唐突に彼女を引きよせ、強引にキスした。

「あっ、ダメ、ダメ、口紅、崩れちゃう・・・」

そう言いかけて彼女は、条件反射のように舌を絡ませ応えた。それが「予定通り」の合図になった。

 

前の年の11月にライブドア株を¥550前後で20000株買った。10月には子会社になっていたターボリナックス株を¥400,000前後で40株ほど買っていた。

ライブドアとは僅かだが半年前から取引を始めていたし、ターボリナックスは上場前からの付き合いがあった。過去に何度も社長と面談し、意気投合もしていたけれど、共同企画のアイディアはなかなか進まなかった。3年ほど前に社長と食事をしたとき、資金的に苦しいというニュアンスが伝わってきた。

「東京はいろいろ高いだろうから・・・」

俺がそういうと、

「某社のバックアップを受けるかもしれません」

と彼は答えた。

「うちじゃ、大したことできないから・・・申し訳ない」

と俺は素直に頭を下げた。

同じ経営者として資金繰りの苦労は痛いほど分る。1年後、突然ライブドア傘下入りとの報道があったけれど、彼から連絡はなかった。それだけで、辛い立場にいることを察することができた。買ってから(インサイダー規定に抵触するかも)と思ったが気にするのをやめていた。

仕事が引けていつもの総合病院の駐車場で待ち合わせ。目立たぬようにファミレスで軽く食事をして、大急ぎで隣町のホテルへ。彼女が軽い言い訳で済む時間にはホテルを後にした。

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別れた後、俺は後ろめたさもあって、すぐに帰宅せずに行きつけのBARに寄って少し飲むのが常だった。不倫関係。けれどその夜はなかなか酔えずにグラスを重ねた。バーボンの臭みも鼻に付かなかったから、続けて何ショットも流し込んだ。そしてマスターに肩を揺らされるまで、カウンターに伏せって寝てしまったらしかった。

5日連続ストップ安の後6日目に寄りついたライブドアの株価は¥164だった。ターボリナックスも半値での寄り付き。一週間以上続いた憂鬱な日々の後に判決が下され、ライブドアでは770万、そしてターボリナックスで800万が消えた。

事業は常に資金需要が旺盛で、上場準備にもカネがかかったから個人資金を湯水のごとく注ぎ込んだ。そしてこのままでは、増資できないからと勝負に出た株式が1/3になるという苦痛。そのとき虎の子と言える2700万は1200万ほど残して溶け落ちた。

「このままじゃ、増資どころか娘2人を大学にもやれない・・・」

少々冷静になれば目の前に悪夢のような現実が横たわっていた。

 

蓋を開けてみれば日本中を熱狂させたライブドアという会社はまさに虚業だった。事業の主力は街金と出会い系サイト。ポータルからはほとんど収益が上がらず、僅かにポスレンというDVDレンタル事業とブログ事業が軌道に乗っているにすぎない。

傘下の不動産事業は常に黒い噂に包まれていたし、中古車販売は慢性的に赤字だった。結果的にそんな会社に投資したわけだから、憂き目に会うのも仕方ないのだろう。けれども、あのフィデリティでさえ、株主に名を連ねたし、自民党の幹事長は「堀江君は息子」と言ってのけていた。

そしてメディアは堀江氏を時代の寵児と囃したわけで、ライブドアに投資するのは必然に近かった。まるで日本を代表する企業に成長するかの幻想をメディアを通して日本中が見ていたのだ。

同社に対する商売上の損失は回収できないとすれば数百万で、さほど影響はないと思っていた。それよりも「あの人(堀江社長)は、今、どんな心境なんだ?」と、以前僅かな時間面談したときの傲慢な口調を思い出して思った。

資産数千億円ともいわれ、まさに日本を鷲掴みにしようとした彼の手は、山と盛られた砂金をつかんだのだ。だがそれは砂であるがゆえに、みるみる彼の手の隙間から零れ落ちていった。
そしてこの出来事の後、共振するかのように俺自身の何もかもが崩れ始めてしまった。

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2

それまでは、株でいくら損しようが、それは俺の甲斐性でやってることだから、と思い他人に相談したりはしなかった。もちろん会社の資金をつぎ込んで、ということもなく、株を買うからと女房に預金を下ろさせたり、女房に内緒の口座の預金を費やしていたわけだから。

ライブドアのことがあるまで、いままでどれくらいつぎ込んできたのかを気にすることもあまりなかった。事業は順風で日々忙しく仕事をすることで、「たかが3、4千万の損失」などすぐに稼ぎだす自信もあったし、次第に事業が意図した方向を逸脱し始めてもなお、アイディアとセンスですぐに盛り返せる、という奢りもあった。実際、そうやってそれまでに数々のピンチを凌いできてもいた。

だが、堀江社長以下役員達の背任容疑と株価の暴落に関する連日のテレビ報道のお陰で、大きな損失を出してしまったことを嫌でも直視せざるを得ない雰囲気になった。損失を出したことで家でも不機嫌な態度をとる俺に向かって女房に「もう株なんかやめて、お金を戻してください」と懇願された。

その時は「俺の稼いだカネなんだから、グタグタ言ってるんじゃないよ」と一喝して終わったが、翌朝、子供たちを送り出したあと出社前に、女房の態度に腹を立てた俺は、罵声を浴びせ肩口を強く突いた。女房はよろけて、その勢いで椅子の背もたれにしたたかに耳元を打ちつけて倒れこんだ。

大理石のフロアで、両手で耳元を押さえながら「痛い、痛い」と唸り声をあげ、やがてその指の間から血がにじみ出た。「おい、大丈夫か?」と言って抱き起そうとすると拒絶して、「触らないで」と言いながら自室に引きこもってしまった。

「おい!医者に行ったほうがいいぞ。出てこいよ。連れて行くから!」

ドアに鍵をかけて、返事はなかった。

 

精密検査の結果、幸いにも脳には異常は見られなかったが、顎関節の下部を骨折して左耳の鼓膜の裂傷と三半規管に影響がみられ手術となった。全治3カ月の大怪我を負わせてしまった。もちろん、俺は自らの行動を悔いたし、できる限り付き添いもしたが、女房の顔に笑顔は戻らなかった。

入院は1ヶ月に及んだが、仕事の合間を縫って病室へ行くとギプスをはめた女房は筆談で「無理に来なくていいから。いいから仕事に戻って」と言った。娘達は交代で毎日病室へ行っているらしかったが、このことが原因で娘達との間に埋めきれない溝が生まれてしまった。

精神状態がが不安定になって、何かにつけて怒りっぽくなり社員のミスが許せなくなってくる。こうなってしまったら、社長として会社を率いてゆく資格など失ったも同然だ。冷静さを失えば判断ミスも起こり、社長のそれは会社の運命を左右する。

社長業というものは、常に意外なほど冷静さも同居しているから始末が悪い。客観的に自分を見つめて自分自身を批判する。その批判に耐えられなくなって逃げる。ダメな自分を意識すればするほど堕ちてゆくのだ。

(おまえ、不倫なんかしてる場合じゃないだろう?)

(なんとかしないと今に大変なことになるぞ!)

(いま大事なのは、会社じゃないのか?)

(家族はどうなんだ?)

会っていても決して本心など明かすことはないし、非現実的な空気を楽しんでいるだけかもしれない。けれど、8歳上の井上さんと過ごす僅かな秘密の時間だけ、俺はすべての柵から解放された気分になれた。彼女は会うたびに失敗だった結婚生活を悔いるような愚痴を吐いた。そうして、御主人を否定することで、自分の行為を正当化しようとしていた。

俺は昼間のオフィスでの顔とは別人になる彼女の変化を大いに楽しんだ。そうした時間が長くなればなるほど、女房や娘達との溝は深まってゆくことは自覚していたが、すでに家庭での身の置き場をなくしていた。
そして五十路に差しかかった、想像できないほど初心な彼女に憑かれてしまっていた。

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三月になり、春の足音とともに幾分冷静さを取り戻し、決算の準備に取り掛かった頃、主幹事予定のS証券の訪問を受けた。

「社長、いよいよ来期ですね。私どもとしましても万全の体制で御支援させていただきます」

「ありがとう。よろしくお願いしますね」

そういった型通りの挨拶がすむと、早速本題を切り出してきた。

「ところで、社長のところは確か、ライブドアとお取引がございましたよね?」

「ありますよ」

「それはどういった内容のお取引でございますか?」

「物品の売買ですよ。問題ないでしょう?」

「さようでございますか。安心いたしました」

「というと?」

ライブドア事件が発覚する前から、同社に関しては「架空取引」についてだいぶ噂があったらしい。そして、事件の前年から業界では、新興企業の上場時における(架空取引による)売り上げの水増しが問題化していた。堀江社長が地検から身柄拘束を受けたことで、証券業界は様々な噂が飛び交って色めきだっていた。

「うちは架空取引は一切してませんよ」

「そうでございますか。不躾なことをお聞きいたしまして大変失礼をいたしました」

「不安なら監査法人さんに問い合わせてください」

「いえいえ、それには及びません」

IPOするというのは中小企業、新興企業にとっては大きな夢だった。だが、その頃には夢が目標に変わって多くの新興企業がブームに乗って株式市場に上場を果たし、大きな資金を調達していた。

もちろん、東証マザーズや大証ヘラクレスに上場する企業の大半は「上場に値しない企業」だった。が、それでも上場を果たしさえすれば、資金的な苦労から解放され、創業者は大きなキャピタルゲインを得られる。しかし現実は将来有望なグロース企業などそうそう在りはしないし、無条件で上場規定をクリアできる中小企業などまず存在するはずがなかった。

新興市場に上場するには、基本的に2000万~3000万の上場資金が必要で、さらに上場維持のために毎年、人件費も考慮すれば5000万程の経費がかかる。無条件でそれだけの純利益を叩きだせるような企業は、もとより上場する必要などないのだ。

それでも証券会社やファンドは、上場可能な企業を探しまわる。そして業種や事業内容が投資家に人気があるセクターであれば、相当な無理もする・・・。

メインバンクもベンチャーキャピタルも、主幹事証券も、出資を引き受ける出資企業もすべて上場後の株価上昇によるキャピタルゲインが欲しい。IPOとはそれだけ美味しいビジネスなのだ。

子会社を上場させたり、上場を目的として企業を作ってしまったり、とにかく上場させさえすれば莫大なキャピタルゲインが転がり込むことになる。こうした手法をすでに上場を果たして資金に余裕のある企業群が、暗黙の了解のもとに相互に協力しあっていたなら・・・。だから架空取引による業績のドレッシング(売り上げ水増し)などは、決して珍しいことではなかった。

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3

「不明瞭な会計処理と推察される部分が散見されますので、お伺いいたします」

年度末直前に監査法人の担当から連絡があった。

この時期、監査法人は大手企業の決算処理に忙殺される。本来1年後に上場予定の中小などの精査は、チェックで特に問題がでなければ5月以降の修正申告で、という雰囲気があった。だから「この忙しい時期によくやってくれてるな」と思ったし、特別問題があるとは夢にも思っていなかった。

ところが、あれほど慎重に、自分自身も立ち会っての監査にもかかわらず、来社した担当者と委託先の税理士は次々に問題点を指摘した。指摘されれば確かに、疑問を感じてもおかしくない取引が、少なくとも四社との間で行われていた。

「まさか・・・」

客観的に判断すれば架空取引と指摘されても反論できない売掛、買掛処理。このままでは「過年度決算の疑義」で、上場申請は却下されるだろうし、少なくともこういう場合再申請には2年ほど様子を見るのが慣例だったから焦った。

場所によっては桜は七分咲きまで開花し、朝方までの雨で生ぬるく湿った空気につつまれた日だった。

営業担当と部長、そして財務担当を呼び、2月までの会計処理について問いただしたが、明確な答えはなかった。

「月末と月初のこの処理が不自然という指摘を受けている」

と月別の損益計算明細の問題個所を指摘しても、答えようとしない。そんな社員の態度に俺は徐々に苛立ってきた。小一時間ほど、今の会社の状況立場を説明し、会計処理だけは曇りがあってはいけないと諭した末に、営業担当が

「悪いことですか?」

と反論してきた。

仔細は、相手先の要請で月次の成績を維持する為に、物品の移動を伴わない仕入と返品、そして子会社を含んだ循環取引を伝票上で行っていたというもの。その際の損金は当社が負うことが比率的に多かった。そのような取引は今年だけで数億円になっていたと見られた。

「問題ないと部長も言ってましたよね?」

「俺はそこまでは言ってないよ」

「・・・でも、部長の指示じゃないですか」

「指示というより相手先の要請だから断れないだろ」

「・・・」

押し問答を遮るように、「相手先に俺が確認する」と言って終了した。

俺は直感的にこの問題の根深さを感じた。今に始まったことじゃないだろうし、こうした伝票操作には必ず裏がある。それをこれから芋蔓のように掘り起こすのは気が重かったが、避けては通れないと覚悟した。

 

ソフトウエア開発の場合は、常に会計処理上の槍玉にあがる開発費用を一括で無形固定資産とする企業もあれば、製品在庫とする場合だってある。固定資産とすると毎年償却が義務付けられる。会計処理上の基準はあるそうだが、そこは企業の事情によってどうにでもなってしまう部分で、貸借対照表上では比較的容易に判断できる。

逆に今回のような物販ならば現品を追跡すればいいのだが、手口が巧妙である場合個別に伝票上の付け合わせが必要で簡単ではない。

厳密に架空取引ではないけれど、期日を意図的に変更したりする事例は過去に何度も経験してきた。特に相手が上場企業の場合は悪質で、一方的な要請によるものが多かったし、今度の場合も「相手先の要請」と言われれば、その通りかもしれないと思った。

だが、これがきっかけとなって事態は思わぬ方向に展開してしまった。主幹事証券に大見栄をきっていたことを思い出すと、是が非でも早期に決着をつけないと上場は飛ぶと思った。

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まさか自分の会社が架空取引に加担しているとは、夢にも思わなかった。ここ何年もこうした注意は怠ったこともなかったし、むしろ積極的にチェックもしていた。前年に従来の公認会計士事務所から監査法人に変更する際の申し送りでも特段問題は指摘されなかったから、安心しきっていた。

ところが今回のライブドア事件によって各方面に波紋を呼び、会計チェックの機運が高まった。噂になった上場時の「決算におけるドレッシング」という視点がクローズアップされ、監査法人の精査で発覚してしまった。

女房は退院以来、自宅に引き籠って外出しようとはしなかった。この頃には、固形物も硬いものでなければ普通に食べることができたし、手術痕も髪に隠れて周囲に気づかれることはなくなっていた。けれど、必要最低限度の家事でさえままならぬ日が多く、娘達が不平を言いながらも十分に代役を果たしていた。退院後数日は知り合いの店に食事のケータリングを依頼したけれど、評判は良くなかった。

桜が散って、新学期が始まって長女はいよいよ大学受験、二女は高校受験の一年がはじまったが、家族との溝は深まるばかりだと感じていた。

 

すでに堀江社長は逮捕拘留されていたが、その後どういう経緯か3月16日にUSENの宇野氏がフジテレビが所有しているライブドア株を引き取ると発表。あの、ヒルズ族と称された上場新興企業の社長達の繋がりに、底しれぬ胡散臭さを感じた。同時に、上場を目指して奮闘している自分の姿は、社員から、友人から、家族からどう見えるのだろう?と思った。

それまでの数年間は、父親が創業した事業の倒産処理や、再生に力を注ぎつつ、自らの事業を軌道に乗せて、逆転を期した。自分の肩に200名ほどの社員の生活がのしかかる。地獄を這いずるような思いで此処まで来て、ようやくあと一年と自分に言い聞かせていた矢先。ライブドア事件が発生し、株で損失を出し、女房を傷つけ、そして今度は架空取引騒動だ。

自分の中の気力が急速に萎えて行く意識があった。そして「上場の末に何があるのか?」と頻繁に考えるようになった。事業を再生し上場を果たしたとしても、それは一体誰のためなのか、何のためなのか、徐々に見えなくなっていった。

仕事という大義名分のために家族を犠牲にして、働き続けてボロボロになり、挙句に愛人を作ってストレスを解消するような、絵に描いたような陳腐な自分が堪らなく情けなく思えてきた。

そして4月14日、ライブドア株式は上場廃止になった。

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