私的小説 師匠 斜陽編(第七章 不信)
- 2019.09.18
- 小説
不信
1
5月20日に子会社の身売りを終えて、なんだかんだと残務整理やら銀行筋への挨拶回り、そして山崎先生のアドバイスによって借り入れの条件変更等々を10日間ほどで終えて6月からいよいよ本格的な株修行が始まった。
とにかく・・・・・株式上場に破れて、未曾有の不況下とはいえ目先は年商50億円ほどの商売を五分の一に縮小してしまって、途方もなく厳しい前途が待っていると感じていた。
女房とは治療のためとはいえ別居状態が続き、精神的な繋がりが希薄になりつつあったし、相変わらず忙し過ぎて家族との時間が持てなかった。このままではいけないと気付いた時にはすでに、事業の状況が雁字搦めと言ってもいい状態になっていて、分っているけれどどうにもできないという苦しさがあった。
時として言い知れぬ孤独感に襲われ、努めて冷静を装ってはいたものの、この3年あまり気持ちが荒んで襤褸切れのようになっていた。そして気がつくと目前の美佐江に癒しを求めた。
美佐江もまた、商売の苦しさもあって孤独に耐えられず初めての浮気に自ら進んで身を投じた。人間の心など、すぐ傍らで支えられなければ、脆いものだと他人事のように感じた。
ひと月半足が遠のいていた師匠の家の玄関脇の、青く色変わりをした紫陽花が雨にぬれて鮮やかだった。左手に回ると応接の前に小さな庭がしつらえてあって、そこには鹿威しがあったが、「音が気になるんですよ」と言って水は止められていた。
「いらっしゃい、事業はひと段落しましたか?」
と師匠は出迎え、奥様には「同じですけど」と言ってブランデーケーキを渡した。
応接間に通される途中、奥の和室に仏壇が見えた。
「奥さん、御仏壇あるようですけどどなたかの?」
「息子なんですよ。生きていたら、あら?社長と同じくらいですかねぇ、あなた」
「若社長は何年です?うちのは確か38年です」
「俺は36年ですね」
「じゃ、弟だねぇ・・・」
当時師匠夫妻は世田谷の社宅住まいだった。近くに商店街があってその先の環八に突き当たる道でバイクに跳ねられて一週間後に亡くなったと師匠は説明した。
「内臓破裂だったんですよ・・・・・」と、奥様は遠方を見つめるような眼差しで、過去をなぞるように言った。
「あの頃は、ナナハンという大きなバイクのブームで、足のつかないようなのが乗ってたんですよ」
「卓哉は、何も悪くないのにね」
「角を曲がるとき、バイクは倒さないと曲がれないですよね?それで、コントロールが効かなくなって突っ込んじゃった。加害者は小さな奴だったよなぁ」
「20歳くらいの・・・・ね」
「息子さんはおいくつの時に?」
「まだ、高校二年生だったんですよ」
夫妻の話に「辛かったですね」と声を掛けるのが精いっぱいだった。
「さて何から始めますか」という師匠に「今日のところは、お話だけで。次回にはポジション持ってきますから」と言った。
「師匠、最初なんで・・・・質問があるんです」
「ほう、どんなことですか?」
「株って勝てるもんなんですか?」
そう、唐突に切りだしたとき、師匠は薄笑いを浮かべた。
「いままで、勝ってますか?」
「いえいえ、正直、数千万、もっとはっきり言うと多分4千万前後は・・・・」
「結構やられてるね。もう何年?」
「う~ん、8年くらいですかねぇ・・・・」
「じゃ、勝てなかったでしょうね」
「えっ?どうしてです?」
「若社長、それもわからないの?じゃ負けて当然だよ」
「・・・・・」
師匠の経歴からして、間違いなくこの人物は相場に精通している。長く相場の世界で生きてきて、この魑魅魍魎の世界でどんなことが行われてどんな舞台裏なのかも分っている。その人物に最初から「負けて当然」と言われて、半分は素直に受け入れた。
けれど半分は正直、腹が立った。いくら歴戦といっても自腹でやってるわけなないし、安易に自腹の投資をけなしてほしくないという思いがあった。
「若社長、意味わかりませんか?」
「わかりませんよ」
「じゃ・・・・」
そう言って師匠は、印刷されたロール紙を本棚から取り出して見せた。それは日経平均の30年チャートだった。
「これね、商工会議所の講師をやってたときに使ってたんですよ」
そう言いながらテーブルの上一杯に広げて見せた。
「ほら、若社長が始めたのが2000年でしょう?それからいままで日経平均は上がってますか?」
そう言って師匠は日経平均の推移を説明し始めた。
2000年の高値は20,000円の手前でそこから2003年4月には8,100円にほぼ暴落している。なので、ここから始めた人はほぼ間違いなく退場していると言うことになる。そして、2007年6月まで上昇して18,000円を回復の後サブプライム問題が表面化した。そこからリーマンショックまで約1年をかけて日経平均株価は5,000円下落して13,000円へ。そしてリーマンショックに見舞われて7,000円と沈んだ。
とすれば、2000年に買いを入れた株式は、日経平均で約13,000円ほど、率にすれば65%の下落に見舞われていることになる。だから、「基本はこのトレンドのなかで買いを入れても絶対に勝ち目はない」というのが、師匠の説明だった。
「でも、2003年から2007年までの約4年間は勝てるんじゃ?」
と言うと、
「そこだけ捉えたら勝てますよ。けれどもそれ以前から投資してる人は多少とりもどしただけ。またそこで勝っても株を止めない人は全部失った」
「それはそうですけど・・・・」
「若社長、株はね、連続して考えないと駄目なんですよ。勝ったら止められるという強い意志を持った人には言いませんけど。残念だけど、私はそういう投資家をみたことがないし会ったこともない」
「じゃ、俺も・・・・」
「そう、負け組ですな」
そう言って師匠はショートホープを燻らせ、薄笑いを浮かべた。
2
そうか、負け組なんだ・・・・改めてその言葉を聞いて現実を思い知らされた。
「じゃ、師匠、勝ち組って誰なの?」
「半数以上のファンドとか、額は大きくないけれど証券の自己売買部門とか。もちろん外資は軒並み勝ち組だろうね」
「国内の機関投資家ってどうなんです?」
「負けるのは稀だと思いますよ。でも、この期間は大した実績は出てないでしょう」
「個人はどうです?」
「それはね、さっきも言ったように投資期間にもよりますけど。基本的には9割は勝ててないでしょうな」
「じゃ、株で勝とうというのは確率は僅かに10%しかない?」
「そうなりますな」
最初に投資した銘柄が急騰して勝った。所謂ビギナーズラックというやつだったけど、勝ってしまったことで勝てるものと信じ込み、株式投資をすれば資産を増やせると疑いもせずに嵌まった。
最初は株式相場の怖さなど微塵も感じていなかったせいもあって、不思議と勝てる。もちろん負けることもあったけれど、ろくな知識もなく情報もなく、ましてやチャートさえ読めない無謀な株好きは勝ってしまうのだ。
だから、株を初めて1年目はプラスになった。そのことを、じっくりと師匠に話した。
「師匠、どうして勝てたんでしょうね?」
「勝てたうちの半分はマグレでしょうね。でも半分は・・・・」
「理由があるんですか?」
「そう、たまたま多くの投資家と反対のポジションをとったからでしょうね。若社長の場合は偶然そうなっただけでしょうけど」
「反対?ですか」
「そう、みんなが売りと思ってる場面で若社長は買ってたんでしょう・・・・」
「意味がよくわからないなぁ・・・・」
「では、聞きますけど、どんなとき買ってました?株価が上昇を始めてかなり上がったところを、まだ上がると思って買ってませんでしたか?」
「言われればそんな感じかなぁ・・・・」
「けれど、そのあたりはみんな利食いをしたいし、売りたい位置だったでしょうねぇ」
「でも株価3倍なんて言ってたし・・・」
「そういうね、ことを言うんですよ。いろいろね。で素人さんはその気になる。単純じゃないですよ、心理作用ですから」
「というと?」
「心理ってのは・・・人間は馬鹿じゃないんでなかなか鵜呑みにしないんですよ。けれどその情報がどこかに残るんですね。で、ザラ場に向かうと値動きで思い出すんです。で、思い出したら最後、どんどんその気になってゆくんです」
「なるほど・・・・」
「そうやってザラ場の心理はころころと変わるんです。けれど、板なんか見てる投資家は少数ですから、翌日に上がったら見てなかった投資家がまだ上があるって思うわけですよ」
「はぁ・・・・」
「でもね、プロの目はちょっと違うんです」
「違うの?」
「たとえばダラダラと下げてきたときに急騰することがあるでしょ?一気に買いが入る・・・・」
「ありますね」
「あれは心理の逆を突いてくるわけですよ。みんなが駄目だと思ってるときに急にそうなると、一斉に心理の反転が起こってそれまでの意に反して買いに走る。そこを狙うわけですから」
「でも、そういうの、怖いでしょうねぇ」
「いやいや、怖くないんです。資金量があればね」
「そう言うもんですか?」
「そう言うもんです」
師匠は話に興が乗ってくると立て続けにショートホープに火を付ける。所謂チェーンスモーカーだった。その時、奥さんが珈琲とブランデーケーキを持ってきてくれた。
「あなた、吸い過ぎですよ」
テーブルの灰皿に1時間ほどで10本近い吸殻があった。
「換気しますよ」
と言って奥さんが 部屋の窓を一斉に開け、湿気を含んだ生温かい外気が部屋中を満たした。
「若社長、この人の言うことは話半分で聞いて下さいね」と奥さんが言うと、「何言ってるんだ!」と師匠は不機嫌になった。
「この人、大負けしたことがあるんですよ。それも何度も」
と言って奥さんは笑みを浮かべた。
「一番負けた時は会社から戻って大穴を空けたって喚いて、大の男が泣いてたんですよ」
「そういうことだってあるんだ!いいからお前は下がりなさいよ」
「はい、はい」
奥さんは「ごゆっくり」と声掛けして出て行った。
「師匠も負けるんですね?」
「当たり前ですよ。相場なんだから。まったく余計なことを・・・・」
そう言いながら運ばれた珈琲を音を立てて啜り、新しいタバコに火を点けた。
「ところで若社長は、株価というのを信じますか?」
「まぁ、実際にその価格で取引されてるわけなので・・・・」
「私はね、まったく信じてないんですよ」
師匠は意外なことを口走った。
「だって、1000円の株は実際に1000円ってことでしょう?」
「でも1000円の価値があるなんて誰も保証してませんよ」
「それはそうですけど、取引価格は実売価格だからそれでいいんじゃ?」
「良くないですよ。若社長、それじゃ勝てないはずだ」
師匠はいままでになく、目つきが鋭くなり、若干の厳しさ混じりの口調になった。
「よく、フェアバリューとか、株価指標でPERとかPBR、それに様々な指標もあって御託宣を並べてますが、そういうのは全部忘れてください」
「それも意味がわからないなぁ・・・・。だいいち、指標がないと買いようがないですよ。判断できないじゃないですか!」
師匠はポケットから封をきっていないショートホープを取り出してみせた。
「若社長は・・・・」
「師匠、若(ワカ)でいいです。話を簡潔にしましょう」
「では、若はこのタバコ1000円と言われたら買いますか?」
「それ、確か140円ですよね?買いませんよ」
「じゃ私が若に1500円で買い取りますから1000円で買ってきて、と頼んだらどうします?」
「・・・・」
「買わないの?」
「そりゃ、何か落ちがあるんでしょうけど、とりあえず買いますよ」
「当然でしょうね。普段からそういう買い物をしてるわけだからね」
「してませんよ!」
「してますよ、だって急騰した株を買ってるんでしょう?」
「それとこれとは・・・・」
3
「どうして買うかと言うと、若は1500円で私が買い取るという前提があるからでしょ?」
「それはそうですよ」
「それはまさに株と同じじゃないですか。株だって理由はどうあれもっと上がる、目標は・・・、なんて思うからこそ買うんですから」
「そんなの、当たり前ですよ」
「そう、当たり前と言いきれない部分を見ないからそういうことをするんです。冷静に考えると、ショートホープの原価って恐らく10円とか20円くらいのレベルですよ。それに税金があるからもう少し上になりますけど。それを若はなんの躊躇いもなく1000円で買ってしまう・・・」
師匠は続けた。もしも、タバコの価格が将来何らかの理由で一箱2000円、3000円と値上がりが見込めるなら、1000円で買うことに合理性が生まれ、一つの根拠になって、所謂投資になると。そのタバコを私が1500円で買い取るということにも合理性が出て、そうなった時に初めて成立する理屈であると。けれども、そう言うことがない現在、まず1000円で買うことに何の合理性はなくて、私が買わないと言ったら大損することになると。
「でも、それは詐欺みたいなもんで・・・」
「そうですね。確かにそうです。ただ、もしも・・・」
もしも140円という定価で買っていたらそうなっても損はしないと師匠は言った。
「師匠、それこそ屁理屈じゃないの?」
「確かに、そうですけど、それこそが株式相場じゃないですか?」
「・・・・・」
これが師匠との最初のやり取りだった。師匠は、何かが言いたいはずだと、後になってから徐々にそう思うようになったが、その時は「こんな話をして何になる」という心境で師匠と対峙していた。
いままで、株価について考えたことは、あまりなかったし、株式指標を見てPER10なら安いとかPBR0.8なら割安とか、株式業界の常識とされるそう言う見方に対して、ただ鵜呑みにするだけだった。
「若、株価というのは、此処で言う1000円とか1500円なんですよ」
「そうですかね」
「そういうものです。だからそれが500円になっても2000円になっても、空想の価格だってことを覚えておいてください」
「では、師匠、何を根拠に株価は空想価格になるんです?」
「あはははっ、それは若、簡単なこと」
「簡単?」
「そうですよ。需要と供給・・・若は経済学部でしたよね?ご専門なんじゃ?」
「・・・・・」
とにかく、師匠の言動の一つ一つが気に障った。この業界で何十年も生きてきたプロだということは理解しているし、その師匠の目からみたら、自分がいかにも素人で、そして幼稚な考え方しかできていないように見えるだろう。けれども、もう少し株取引に関する技術的な助言を期待していたから、禅問答のようなやり取りは御免こうむりたかった。
師匠は淡々とした口調で話す。時には笑みを浮かべながら相手の物言いを引きだすように会話をする人だと思った。
けれども、真っ向から否定することはなかったし、話の内容に説得力はそれなりにあった。だが、こうしている間にも株式相場は動いていて、買い持ちしている銘柄の株価が気になって仕方なかったし、できれば取引画面を見ながら的確なアドバイスが欲しいと思っていた。
自分には時間がないし、できるだけ早く株式投資で利益を積み上げて、当面の費用を捻出しなければならなかった。
「株価は常に、買い手と売り手の希望価格の均衡で商いが成立しているんですよ」
「それはわかります」
「ってことはですよ、その価格で買いたい人がいて売りたい人がいるからその株価なんですよ」
「・・・・・」
「相場というのはそうして空想価格で株をやり取りする場所なんです」
「そんなもんですか」
「若、このことは肝に銘じておいてくださいね。でないと、気持ちを整理できなくなるからね」
今になって思えば、師匠のこの話は「株式投資の基本中の基本」だと無条件に受け入れることができる。そして、このことが理解できていないと、相場で起こる様々な不条理に対して気持ちが折れてしまうのだ。
「相場にはどんなことでも起こりうる」と師匠は言った。そのことは、どんな指南書にもどんな投資顧問も、書いてないしアドバイスすることもない。だから、株式相場を齧った個人は何年もの間理解しないままに、不条理な値動きに一喜一憂するし、時には全財産を失って退場することもある。
そうなれば、「株なんかやってられん」と思うだろうし、「俺はなんてツキのない人間なんだ」と嘆くだろう。けれども、もしも株価が「空想の価格」だとすれば、どんなことにでもなる可能性が容易に想定できる。
そして、そのことを理解していたなら、そうなるリスクを事前に覚悟することができて、株式相場に対して斜に構えることもなくなるだろう。
けれども、このときの俺は・・・・余りにも未熟だったし、真摯に相場と向き合ってこなかっただけに、反発心が芽生え、それは不信感となった。本来、そういう気持ちで相場に臨んではいけないものだ、という師匠の気持ちは到底理解できなかった。
翌日、仕事の合間を縫って、封印していた株式投資を再開した。あのライブドア事件で関連株を含めて1000万以上を失って以来の投資だった。そして口座を開いて400万の残高を確認して、トヨタ株と三井物産株を信用で300万ずつ買い入れようとした時、以前と違った緊張感がよぎった。
いままで、株を買う時に、緊張した記憶があまりなかったのだが、この時は板を見て、なかなか指し値ができない。指し値が怖いのだ。
トヨタ株を3,650円で1000株買い指し値してみるが、売られてくると怖くなる。何度も外して指し値を変えて時間をかけて買い建てる。同様に戻り相場になると呼んだ三井物産も1,200円前後で2000株を買い建てた。
以前と何かが違った。そして株を買うことが怖くなってる自分に気付いたのだ。かくも株式投資というのは、怖いものだったろうか?いま、どうしてその株価で買ったのだろうか?その株価はその後どうなるのだろう?
リーマンショックで容赦なく下落したあと先の見えない経済状況で、どうして買えるというのか!第一、この株価は師匠曰く「空想」なんだと。と言うことは、今自分は、有りもしない企業価値を短時間で800万近くも買ったことになる・・・・。
そして週末には、師匠の家に出向き、いろいろ聞かれ、批評されたら嫌だな、という不快な気持ちになった。
4
梅雨らしく師匠宅の庭先を彩る紫陽花が雨をたっぷりと浴びて色変わりを始めていた。月曜から毎日雨で、紫陽花の色変わりや草花の緑が濃くなっていることに気付いたなんて、子会社売却も終わって事業再建に目途が立ち始め幾分気持ちが楽になったのだと思った。
それでも女房の治療費や月々の東京のマンションの維持費、子供たちの学費や自宅のローン返済、そして自分と二女の生活費やハウスキーパーの費用と相変わらずプライベートでは火の車だった。今の生活を維持するためには毎月90万ほどの収入が必要でそのうち30万ほどの東京への送金も8月からは始めなければならなかった。
会社は矢沢が週に3日ほど総務省のシステムを仕切ってくれて、なんとかスケジュールを維持してくれたおかげで、新規案件と既存の取引の拡大に専念できるようになったし、財務は上場スキームで使った監査法人と繋がりのある税理士事務所に丸投げして時間を捻出した。
とりあえずこの体制で、3週間が経ち、ギリギリではあったけど約定返済ができる内容に帳尻を合わせた。けれどもその影響で役員報酬の減額をせざるを得ず、少なくとも毎月30万は株取引で捻出しなければならなかった。
週初にやっと仕込んだトヨタ株と三井物産株は、なんとか戻り相場となって20万ほどの含み益となっていたことで、憂鬱だった師匠宅の訪問がいささか軽くはなっていた。これならば、師匠にもあれこれ言われないだろうと思っていた。
「若、仕込んだんですか」
「上手く行って含み益が出てます」
画面の板をみながら師匠に説明するも、師匠は特段関心を示すことはなかった。
「リグってください」
「もう、ですか?」
「だって今日は2.5%もの上昇で目前に40万の利益があるじゃないですか」
「では・・・」
師匠の前で、建て玉をさばいた。44万ほどの利食いになったが、納得がいかなかった。その気持ちを感じ取ったのか、師匠はすぐさま質問を浴びせてきた。
「若、何が理由でトヨタと物産を仕込んだの?」
「それは・・・チャートを見て上がりそうだったからですよ」
「若はいつも、そんなことで株を買うんですか?」
そう言って師匠は、窘めるような口調になった。そして2時を過ぎる頃には、両方の銘柄が急激に売られ始め、2時半には仮に手仕舞いしていなければ含み益はほぼ消えるマイナス圏まで、株価は下落した。
僅かなタイミングで得た利益は、月々の不足分を埋められるほどだと改めて思ったが、利食いしなければそれもなかった・・・・。
4月から師匠に弟子入りも同然に押し掛けて、その度に「日本株は今後上昇ですか?それとも下落ですか?」と聞いた。その度に師匠には「どうだろう?」「君はどう思うの?」と否され、続いて曖昧な答えに微笑みながら終始していた。
この日は、余りに鮮やかな師匠の利食い指示で、44万の利益を獲れたことでますます執拗に「来週はどうなりますか?」と食い下がったが、「あのね、若、そんなこと分るはずないだろう!」と語気を強めて言われてしまった。
「師匠、だって師匠はプロで、業界長いじゃないですか」
「若、相場の行方が分かったら、私は今、こんな生活してないよ」
「でも、商工会議所で講師もしてたし、その道で食べてきた人だから・・・」
師匠は呆れ顔でショートホープを思い切り吹かして答えた。
「若、相場をなめないほうがいい」
「どういう意味ですか?」
「あのね、若、証券だって仕手屋だって相場の行方が分かる奴はいないんだよ!」
「えーーーっ?相場ってそういうものなんですか?」
「ああ、そうだよ」
昨日まで、いや師匠宅を訪問するまで、正直にいって師匠に対する不信感が募っていたのは事実だった。そして今、僅か30分前に利食いのタイミングを指示され、その通り44万の利益を得た。
が、直後に株価は急落して手仕舞いしなければ含み益は消滅していたという事実が、師匠に対する不信感を一気に払拭したのだった。しかし、その師匠の口から「相場の行方は誰にもわからない」と聞かされて、唖然とするばかりだった。
株式相場というのは機関投資家や証券会社や、企業や金融機関が売買することで、株価が上下するという先入観があったし、小さな銘柄は仕手筋が株価を操作するように売買するものだと思っていた。
けれどもその理屈で考えれば、「株価は意図的に操作することができる」となってしまう。そもそも、その点に矛盾すら感じたことがなかった。
(ならば、自分は相場の行方が読めない人に弟子入りし、株取引によって儲けを出して生活を再建しようとしているのか?)
過去に麻布自動車の渡辺社長や国際興業の小佐野社主の下で小糸の仕手戦や数々の修羅場を経験してきた師匠から、そんな言葉を聞くとは思わなかったし、魑魅魍魎の跋扈する証券業界で30年以上も生きてきた人物が、あっさりと「分らない」と言い放ったことがショックだった。
(この人にして、こんな言葉がでるようじゃ、株は運、博打の類なのか?)
(そんなことに生活を託そうとしている自分は愚かなのか?)
次々に不信感が増幅し、失望感に覆われた。
「じゃ何故、売りだと分ったんですか?」
「若、売りだと分ったんじゃなくて、週末だから売る人がいると思ったんですよ」
「どういう意味ですか?」
「だから証券の自己売買とかは日計りをやってるから、今日だけで2.5%も上昇したら逃すはずないんですよ。でも週末は持ち越したくない。だから手仕舞いするの」
「逆に大引け前に1%くらいは上昇しますよ」
「それは?」
「空売りの買い戻しが出るからね」
はたしてその通りに、大引け前に両銘柄の株価は買い戻されて激しく上昇を開始した。そして結局それぞれ1%程度の値上がりのまま大引けとなった。
「やっぱり師匠は、株価の行方が分るじゃないですか」
師匠の言う通りに株価が変動する様子を見て、思わず口から出てしまった。師匠はニヤリと笑いながら、
「先が長いねぇ」とショートホープに火を付けた。
「若、来週は仕込まないで来てくださいね」
「駄目ですか?」
「駄目とは言いませんが、少なくともその銘柄を買う理由があるものなら・・・」
「わかりました」
そこに奥様が「お疲れ様」と紅茶とフルーツケーキを持って来てくれた。
「若社長、どうでしたの?」
「師匠のお陰さまで40ほど、勝ちました」
「じゃお祝いしないとね。今夜、よかったらお夕食でも召しあがって行って」
「ありがとうございます。でも、娘と一緒に・・・。二人暮らしなもので」
「そうなの?奥様は?」
「長女と東京なんですよ。簡易的な別居とでもいうか・・・」
「あっ、余計なこと言ってしまってごめんなさいね」
「いえいえ、今夜は下の娘と美味い物でも食べに出ますよ。どうせ、イタリアンでしょうけど」
「では、来週はいかが?娘さんもご一緒に」
「いや、娘は・・・。でも何とか都合付けてきます。是非御馳走になります」
「よかった。いまから楽しみね、あなた」
奥様は満面の笑顔で師匠に相槌を求めた。
「この人、若社長が来るの、楽しみに待ってるんですよ。朝からそわそわしてて」
「お前は余計なことを言うんじゃない」
「でも、若社長は卓哉みたいだって」
師匠夫妻は一人息子を事故で亡くした悲しみにいまだに覆われているのだと改めて感じた。そして、さっきまで師匠に対して抱いていた不信感は、夫妻の心根を垣間見ていつしか跡形もなく消え去った。
勝っても負けても、それは師匠に弟子入りすると決めた自分の運命だと思えた。そして、この先どうなろうとその運命を受け入れようと思っていた。
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