私的小説 師匠 斜陽編(第四章 瓦解 後編)

私的小説 師匠 斜陽編(第四章 瓦解 後編)

瓦解 後篇

4

6月の初めに初夏を思わせる好天が続き、その後何日か雨模様になって梅雨入り宣言したが、途端に30度を超える暑さがぶり返した。7月になっても一向に梅雨らしさは戻らず、テレビはエルニーニョだとか地球温暖化の影響というコメントで溢れた。

夏休みに入って間もなく二女の美樹が突然「温泉に行こう」と言いだした。

「ママも少し元気になったし、おばあちゃんと、美羽とみんなで」

女房は「予約とれないんじゃない」と否定したけれど、まんざらでもない口調だった。

「銀水荘なら・・・」と言うと、「えーっ、海?いいけど。あそこ高いって・・・」と美樹は不安そうな顔をした。高校2年の二女にしても、家計が苦しいということを雰囲気で感じていたのだろう。

「そんなことより、空いているかどうかが問題」

と強がって見せた。美樹が小学生のころ、家族で訪れた西伊豆熱川の海辺に建つ銀水荘は好評だった。

「あそこ、ほら、入ると池があって鯉がいたところでしょ?」

「覚えてる?」

「美羽が鮑を三つも食べちゃったよね」

「旅館の料理を無視して神戸和牛のステーキも頼んだよな」

「おねえちゃんはわがままーっ」

女房も義母も、おどける美樹に笑顔で返した。我が家に戻った久しぶりの笑顔の瞬間となった。翌日、社用で使っている旅行社から打診させて、貴賓室と称する三部屋ある豪華な部屋を予約した。何年ぶりかの家族旅行で奮発せざるを得ないと即決した。

初めての豪華な部屋に義母は声もでなかったし、女房は怪訝そうな表情で「こんな高い部屋・・・大丈夫?」と言った。美羽も美樹も女房の表情をうかがうように、傍に立っていた。

「大丈夫さ。もう会社、平気だしな」

そういうと、途端に元気になり、部屋中の探訪を始めた。

「こんな豪華なお部屋、冥土の土産になるわ」

と義母が言い、

「ママ、治ったんだからいいよね?」

と美羽が同意を求めた。

会社にしても家族にとっても、この2年間は嵐のようだった。夢だった上場が消え、一度は信頼した社員が自殺して、女房が癌になった。そして、襲い来る余りの因果に愕然とさせられた。そしてなんとなく、この旅行が人生の大きな節目になる予感がしていた。

「お義母さん。何かあったら女房と娘達をよろしくお願いします」と、特別な意味もなく口にした。

台風が接近して窓から見える海が次第に荒々しくなって行くようだった。

 

家族旅行から帰った2週間後の検査で、女房は再発の疑いがあると診断され再入院となった。入院後の検査で、温存した右乳房の上部に再発が見られ、リンパ節転移もあるとのことで、抗がん剤投与が開始された。そして、再発した癌の縮小を確認したうえで、摘出手術を行うこととなった。

だが、担当医の所見ではリンパ節の転移については、抗がん剤で様子をみて、落ち着けば再度放射線治療を行うというものだった。

「このような早期転移が認められる場合、悪性の可能性が高い」

と告げられた。

「余命に影響するんですか?」と聞くと

「現時点では確定的なことは言えませんが・・・」と言葉を濁した。その口調と態度は「万が一」を覚悟するのに十分だった。

最初の手術と放射線治療で抜け落ちた髪は、ショートながら鬘で隠す必要もなく、ウイッグを付ければ以前と変わらぬ状態にまで戻っていた。女房は「もう放射線はいやだなぁ」と病室で溢した。そして、「もしも、の時は子供たちを・・・」と言い掛けたのを遮った。

「深刻じゃないから。普通のことだから。気にするな。大丈夫だから」

と無暗に言葉を連ねた。

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2008年9月8日に、もはや完全に破綻状態になっていた、ファニー・メイとフレディ・マック(米連邦住宅抵当公庫)に対し、米国政府は70兆円という巨額の債務保証を行う法案を通過させた。このことが、サブプライム問題で揺れていた米国金融市場に、後に仇となる安心感を与えてしまった。

この両社は公庫とは名ばかりで、政府の資本が一切入っていない(実質的な)民間企業であったために、金融界はこの危機的状況を連邦政府が救済すると解釈してしまった。だが、このときサブプライム債券だけでなく、ほとんどすべての債券が流動性を失って現金化の目途が立たなくなっている上に、ほぼすべてのCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を引き受けていたAIGの支払いは天文学的数字となっていた。

さらには、大手金融機関、大手投資銀行のすべてが、その債券の持ち高に応じた債務を抱えており、70兆円の資金投入は氷山の一角を手当てしたに過ぎなかった。

債券が流動性を失うということはつまり、株式市場の10倍とも20倍ともいわれる債券の山がが紙くずになることを意味する。しかし、それ以上に深刻だったのは、デリバティブ取引による債務連鎖で実際の市場規模さえまったくわからなかったことだった。

そして2018年9月15日、政府資金で救済されると誰もが考えていたリーマン・ブラザーズが連邦破産法を申請して破綻した。翌日の株式市場はパニックとなったが、市場参加者は本当の意味を理解していなかった。その日の株式市場の反応は、政府資金による救済が行われなかったことに対する、失望でしかなかった。

リーマン・ブラザーズの負債総額は連邦破産法申請時には推定で30兆円程度と見られていた。FRBでは大手銀行が集まり救済が話し合われたが、ブッシュ政権のポールソン財務長官により政府資金の投入を拒否されたことが、致命的となった。

これによって翌16日の東京市場は日経平均¥604の急落に見舞われたが、その翌日にはAIGの救済という報道が伝わり株価は反発した。当時は世界の投資家が事態を把握できず、ほとぼりが冷めれば株価は戻ると思っていた。そして巨額過ぎる債券市場、デリバティブ取引に関する危機感を共有するには3カ月ほどを要する結果になった。

 

リーマン・ブラザーズと言えば、日本の株式市場では「悪」そのものだった。業績不振で資金調達がままならなくなった上場企業を狙い撃ちして、MSCB(転換価格修正条項、新株予約権付き転換社債)を発行して株価を上下させ、暴利を貪っていた。

あの、ライブドアがフジテレビの株式買い占めに走ったとき、堀江社長はリーマンを引受先として大量のMSCBを発行していた。その上自ら所有の株式を貸出し、リーマンは空売りと買戻しを繰り返して巨額の利益を得たが、この情報は可能な限りオブラートに包まれた。

米系投資銀行、そして欧州系銀行もすべてこうした株価操作を繰り返していて日本市場は外資の餌場と化していた。
そのライブドアが破綻し、2年後にリーマンが破綻に至って、非常に複雑な思いで報道を見た。しかし、その理由や背景はまったく理解できていなかった。

「矢沢さぁ、リーマン破綻なんて胸がすっとするよな」

「社長にすれば、そうかもしれないですね」

「うちは生き残ったぜ」

「そうですよ、これからですって」

俺も矢沢も、この状況を楽観していた。

「社長、株止めててよかったですよ」

矢沢の言う通りだと思った。

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5

恵子が辞めて半年余り、後任の見辺さんは、彼女なりに頑張ってはいたものの、社員達からの評判は芳しいとは言えなかった。彼女は離婚歴のある独身の40歳で、不規則になりがちな勤務体系や自由な社風になじめず、何度か子会社に戻りたいと漏らした。

システム開発という業務の性格上、労働時間数では評価できないし、作業効率も論じられない。エンジニアやデザイナーはシステムが複雑化するに従って、ブレイクスルーしなければならないポイントが現れる。そこをどれだけスムーズにこなせるかが勝負になる。だからこそ、社員達はできる限り自由な環境で仕事させてやらなければ、というのが持論でもあった。

ところが、こうした自由な社風は、時として職場の上下関係を無視し、目上への配慮を欠き、そして社員間の協調を欠いた。本社での総務の仕事はそうした人間関係の調整役も兼ねる。その点では前職の井上恵子は十分すぎる活躍をしてくれたが、見辺さんには荷が重かったのだろう。

9月の終わり、夏の面影が去って長雨のせいで急に気温が下がり始めた頃、見辺さんから辞意を聞かされた。

「社長、申し訳ありませんけど・・・」

「理由を聴かせてほしい」

「どうしても、本社に慣れなくて・・・」

「いや、良くやってくれてると思うし、もう少し考えてよ」

そう言って彼女の辞表を差し返した。

「うちを辞めて、どこか当てはあるの?失礼だけど、母子家庭でもあるし辞めたら困るのでは?」

「でも・・・」

彼女はそう言い掛けて、言葉を飲み込んだ。なにか理由があるはずだと思った。

 

労務管理は難しい仕事だ。タイムカードで労働時間を管理することや、就業規則を周知させ履行させることは、それほど難しいことではないにしても、社員が人間である以上、働きやすい環境を維持することが不可欠になるし、それには時として社員のプライベートにまで踏み込んで障害を取り除かねばならない。

大企業では専門のカウンセラーもいるのだろうけど、中小企業では社長や総務の役割だ。人間相手なのだから経営指南書の理屈では割り切れないことばかりなのだ。

だから、組織を維持するためには、各部署に社内事情に関する情報源を持つ必要がある。気心の知れた社員を要所に配置して、時々食事に誘ったりして何気なく聞き出す。そんな一人にデザイン部の野上小枝子がいた。

美大出の28歳。起業3年目に初めて新卒として採用した5名のうちの一人だった。廊下ですれ違いざまに「小枝子、久々に飯でも行く?」と声をかけると「焼き肉なら」と。「デートだぞ」というと「了解」と返した。デートというのが、情報収集の合言葉だった。

 

その夜、仕事が長引いてようやく9時前に南大門に入り、10時過ぎには個室のような仕切りのある夢珈琲で話を聞いた。

「見辺さんなんだけど・・・」

「やっぱりかぁ・・・社長、鋭い!」

と、小枝子にしては珍しく深刻な顔つきになった。

「絶対に秘密にしてくださいよ。バレたら私、いられなくなっちゃうから・・・」

そう言うと、少し身を乗り出して小声になった。

「社内で、半年くらい前から、裏掲示板ができちゃって・・・」

「やると思った・・・」

そう言うと溜息をついた。矢沢から「そういうことは注意してくださいよ」と以前から言われていた。

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「ほら、佐倉部長が亡くなった後、営業部の連中が立ち上げちゃって、徐々に広がっちゃって」

「また、営業部かぁ・・・」

「それで、自殺の真相という投稿があって、恵子さんと佐倉部長がキスしてたとか・・・。どうして社長が佐倉さんを許したか?とか・・・」

「おいおい、そりゃ酷いな」

「そう、読んでられないくらい酷い。それで、最近ではオフ会と言ってみんなで集まってるんですよ」

「飲み会みないなやつか?」

「営業部は独身が多いから持ち回りでアパートに集まって、鍋会とか・・・」

「小枝子も参加したの?」

「一回だけ。でも雰囲気悪くてすぐに帰ってきちゃった。もう行かない」

小枝子の言い回しで、大方の想像はできた。若い独身の男女が飲み会と称して店ではなくアパートに集まれば・・・。主要な参加メンバーは営業部の男子3名、そしてシステムの男子2名、女子2名と分った。

「それで、システムの小坂恵っているでしょ。あの子がいろいろ見辺さんに反感持ってて・・・」

「そこで繋がるのか」

「で、オフ会に呼び出して・・・」

「彼女、行ったの?」

「みたいですよ。注意しようとしたのかなぁ」

「それで?」

「後は掲示板見てください。私、これ以上言えないから・・・」

そう言うと冷めたエスプレッソを一気に飲んだ。

「社長、営業の3人は、良くないよ」

と言うと、バッグからメモを取りだしてアクセスパスを書いた。そしてまだログインできると思うと付け加えた。その場で矢沢に電話して事情を簡単に説明し、結局社長室で1時間後に、と言うことになった。

「社長、私も行きます」

「小枝子は帰りなさいよ」

「でも、私じゃないと分らないことあるよ、きっと」

「わかった。家に電話しておきなさい。遅くなるって」

「了解」

 

「社長、大変だよこれ。これってもしかして・・・?」と、矢沢は呆れた口調で言い放って溜息をついた。結局、小枝子の教えたログインパスは無効になっていて、深夜11時過ぎに矢沢の到着を待って社内サーバーにログインした。

「ここからは矢沢頼むよ」というと10分ほどシステム内のログを調べた後、「外部サーバーだね、これ」と言った。

「じゃ、見れないのか?」と聞くと「まさか」と答えニヤリとした。

「社内からアクセスしてるんで、丸見えですって」

そういうとたちどころにログインパスを調べ出した。

「矢沢さん、凄い!」と小枝子が言うと「だって半分以上うちのシステムだからね」と得意そうに言った。

前代未聞の不祥事だと思った。精神的には佐倉の謀略以上の悪意や卑劣さを感じざるを得なかった。結局、呼び出された見辺さんは、掲示板では「総務部からのスペシャルゲスト」と称されていた。

(和気あいあいで鍋パーティ。いつもは煩い年増のSG(スペシャルゲスト)も酔って上機嫌。アレ?姿が見えないけれど?アレ?隣の部屋?アレ?佐藤君も石川君も姿がみえませんねぇ。アア?泣き声?気のせいかな)

(おい~っす、最年少石川っす。男にしていただきましたぁ)

(SGもまんざらじゃない感じ。さすが年増はちがう)

(どうせ塩谷の女っすから。イケイケでしょ)

(・・・・・・)

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6

「社長・・・」矢沢も次の言葉が続かなかった。小枝子は「酷過ぎる」と言って泣きだした。

「こいつら、懲戒解雇じゃすまねぇな。見辺さんに被害届出してもらって告訴だな」

「女子も?」

「当たり前だろ!こんな掲示板を知ってた社員は全員減報だ!」

切れてしまった。止め処もなく湧きあがる怒りにまかせて矢沢や小枝子に向かって大声で怒鳴りつつけた。最後に「俺はこういうのは絶対に許せん!」と言った途端に血の気がスーッと引けて、ソファーに倒れ込んだ。

「社長、そんなに興奮しないで」

涙を拭いながら小枝子は、それでも俺をなだめようと必死だった。

「矢沢っ!矢沢っ!情けねぇよなぁ。こんなこと、こんなこと・・・。何のために会社なんかやってだろ」

「社長、俺も今回は我慢できないよ」と矢沢も同調した。そして、

「野上さん、良かったら珈琲お願いします」

と小枝子を室外へ誘導し、小枝子は頷くと、ハンカチを目に押し当てながら、厨房へ向かった。

「社長、懲らしめますか?」と矢沢。

「どうする?」

「こいつら、実名画像付きでネットに晒しましょうか?」

「そんなこと、同じレベルになっちゃうよ。やはり警察だ。それでも一生駄目だ」

「やっぱそうですね」

「ただ・・・見辺さんが・・・」

「気になることもありましたね」

「塩谷だろ?」

「厄介なことになりそうだなぁ」

矢沢と話しているうちに徐々に冷静さを取り戻した。

 

翌日、営業部長の吉田を呼んで事情を説明し、3名を解雇する旨を伝えた。裏掲示板をやっていたことは伝えたが、見辺さんのことは伏せた。吉田は「今、SE3名は厳しいですよ・・・」と言ったが補充の確約をして納得させた。
そして、システムチーフの森田を呼び、同様の説明をして4名の解雇を言い渡したが、納得しなかった。

「社長、うちの主力ですよ。それはできませんよ」

「わかってるが・・・了承でしくれよ。矢沢には全面的に協力するよう要請するから」

「総務省・・・支障でますよ」

「それは駄目だ。何としても間に合わせんと支払いが半年ズレる」

「相変わらず無茶いいますね」

森田は最後まで納得しなかった。だがどうしても、見辺さんのことは公表できない、と思った。

そして午後3時に、珈琲を入れてくれた見辺さんを引きとめた。

「見辺さん、大変言い辛いんだけど・・・」と、切り出し一部始終を説明したうえで、

「被害届、出してくれないかな?」と言った。

「辞表の理由はこれだったんでしょ?」と言うと、黙ったまま頷いた。

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だが、当然ながら被害届を出して受理されれば、警察の捜査が始まり、そのことは社内に知れて辞めざるを得なくなることはすぐに理解しただろう。だが、それ以上に気がかりだったのは、いま、生産再開についての交渉が難航している塩谷のことだった。仮に、塩谷と見辺さんが不倫関係にあるとすれば、精神的な影響が出るだろうと思った。

「それと、塩谷のことなんだけど・・・そういう関係なの?」

「・・・」

「それをどうこう言うつもりはないけれど・・・」

「・・・」

「まぁ、それはいいとして、見辺さん、どうして行ったの?」

彼女は恵子の後任としてできるだけ社員達に溶け込もうとしてたこと、そしてシステムの小坂恵との折り合いが悪かったからこの機会に関係を修復しようと考えた、と言った。そして、

「お酒をいっぱい飲まされちゃって・・・」

たちまち目が潤んで今にも泣きだしそうになり、それ以上は聞くに忍びなかった。

「被害届だせるよね?」

「出せないです」と彼女は頑なに拒否した。その気持ちは理解できないわけではなかったし、このまま、成り行きに任せるしかないと思った。

 

僅か40名足らずの社員を一度に7名もの大量解雇に踏み切るか否か・・・。しかし、決断を促す怒りの感情が、沸々と湧きあがってくる。同意の上での行為ならまだしも、酒に酔わせてというのはどうしても許せなかった。だが、それ以上に、自分自身で作り上げてきた会社でそういうことが起きること自体情けなかったし、日々何のために会社をやるのか?という疑問に突き当たっていたこともあった。

上場という目標は潰えて、支えてくれていると思った女性に裏切られ、自殺者を出し、その上また、こうした事態が起きてしまう・・・。自由という理想に燃えて作り出した社風が、今の社員達には仇になっていると思った。だが、あまりにも幼稚で短絡的で、瑣末な思考と行動が許せなかったのだ。

翌週になって塩谷から新型シートフレームの生産再開の報告を受けたが、生産計画は僅かに3分の1に縮小され、大幅な設計変更よるコストダウンを要求されていた。しかもいまだ、5月に生産した2000台の在庫の処分について揉めていると言った。

「それは引き取ってもらうしかないだろう?」

「そうなんですけど、半値だと・・・。その上年内生産はゼロに・・・」

「ふざけるな!そんな話があるか。下請法違反だろっ!」

「・・・」

「塩谷さぁ・・・腹くくって交渉してこいよ。駄目ならいつでも俺が出向くから・・・」

10月に入って、連日株価は急落を始めていたし、徐々にいま大変なことが始まろうとしている予感を日本中が感じ始めていた。そして、第二週の金曜の午後、7名を呼び出して営業の3名を懲戒解雇、システムの4名を依願退職扱いとして解雇した。

「社長、納得できません!」

と小坂恵は言い放ったが、

「お前ら、自分達のしたことがわかってんのかっ!」と一喝した。

「これで見辺さんの被害届が受理されたら、逮捕で起訴されるんだぞ!システムの4人も幇助で起訴されるだろう」

「少しは反省しろよ!」

俺は怒りがおさまらなかったし、その声は会議室の廊下まで響き、社内に筒抜けとなってしまった。
そして、同日、見辺さんも退社した。

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7

9月30日から僅か10日余り、11,700円を付けていた日経平均株価は8,200円まで急落した。世界的な好景気の様相がリーマンショック以来僅かに1カ月足らずで、奈落へと豹変したのだった。

銀行間で短期資金の融通ができなくなって、日々の決裁業務は自転車操業に陥っていたし、債券が流動性を失って金融機関の資産劣化に歯止めがかからなった。その動揺が株価下落によってあまねく拡散し、企業間決済に対する不安が蔓延し始めていた。

実際、大半の金融機関は債券の棄損によって大幅に自己資本率が低下することが目に見えていたし、日銀が金融機関に対し短期資金を大幅に供給しなければ、金融破綻の連鎖がいつ始まってもおかしくない状況だった。

しかし、それ以上に深刻だったのは、企業間決済や債券に伴って組成されたデリバティブ取引で、世界中の企業や金融機関がどれほどの被害を受けているかが把握できないといったすさまじい状況が目前にあったことだった。

だが現実の社会では、人々の日々の生活が継続し、たとえ目前に危機的状況をつきつけられようとも、今日の食事を取らずにはいられない。今日も明日も明後日も、実体経済の営みは嫌でも続いてゆくのだから、仕事を止めるわけにはいかなかった。

この先はどうなるかわからないにしても、溜息をもらしながら今を過ごすより他に手段はない。いつだって人間は今しか生きられないのだから。

 

社員を大量解雇したことで、本社内に動揺が広がったため、事の仔細を隠すわけにもいかず一同を集めて一連の状況説明を行った。今回の大量解雇は、自由な社風のなかでそれぞれが責任を自覚した行動をしてゆかなければ、これからも起こり得ることだと言った。

自由の裏側には、会社に対する、というよりも社員相互が生活の糧を得る場としてのコミュニティに対する一人ひとりの義務と責任があること、そして経営者の責任として、その点をないがしろにした行為は、どのような障害が出ようとも今後も絶対に許したくない、と最後に締めくくった。

だが、本当に深刻だったのは、子会社の受注減が確定的になったことだった。予定していた年間売り上げの半分が、突如遣ってきた不況の嵐に飲み込まれようとしていた。10月半ばになると、今後やってくるであろう深刻な状況に対して日本全体が異様な空気に包まれた。そして子会社の劇的な受注減を回避する手段はなかった。

「塩谷、どれくらい予算を落とす?」

「このままでは単独でも7、8億は・・・」

「それで済むと思うか?」

「わかりませんけど、従来の受注も影響出始めてますから・・・」

「みんな減産するって?」

「各社、そんなこと言い始めてます」

「わかった。じゃ、塩谷は資金のことはいいから、全力で営業してくれよ。後で経理をよこしてくれ」

「わかりました」

そうは言ってみたものの、どうなるのかは全く見えなかった。

翌日から3日ほどかけて下期計画を可能な限りの数字をいれ込み修正したが、このままでは約4億円前後の赤字が予想された。「社長、事業規模を縮小しないと・・・」地銀から引き抜いた財務部長の中島が言った。「わかってる。年内には結論を出すよ」と返した。

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女房は、2か月ほど抗がん剤を投与したが、再発した癌に縮小の兆しが見えなかった。担当医は「再手術で摘出に踏み切る」と言ったが、リンパ節転移は「開胸しないと何とも・・・」とお茶を濁した。

前回の手術では乳房の温存をしたが、今回は周囲の全摘出で女房は右の乳房を失った。そしてリンパ節転移に関しては、術後の放射線治療が必要だった。

「一応、摘出できるものはすべて・・・」

「じゃ、大丈夫なんですか?」

「安心はできません。リンパ節から他への転移があるかもしれないので」

「・・・」

「放射線で様子をみて、1年再発がなければ・・・」

笑顔を繕ってみせたものの、明らかに担当医の言葉は濁っていた。
授業の合間を縫って帰郷した長女の美羽が手術に立ち会い、その後の入院にも付き添った。

「美羽、大学へ戻りなよ」

「ひと月くらい大丈夫。ノートも見せてもらうし」

「戻ったら頼みがあるんだよ。東京で俺の母校の付属病院で診察するから、寝泊まりできる賃貸マンション探してみてよ」

「転院するの?」

「そうなるかもしれないから。そしたら俺も泊まれるくらいのやつ。ホテルじゃ高くつきそうだから」

「美羽も一緒でいいよな。後は美樹が大学行くようになっても使えるだろ?」

「わかった。探してみる」

 

何としてでも女房の癌を根治させたかったというのはもちろんだけど、正直この状況で、毎日のように仕事を抜けだしての通院はかなり厳しかったし、できれば東京で美羽に預けてしまいたい気持ちもあった。

精神的にも、そろそろ限界に近いな、と自分自身で感じていた。ただでさえ、この2年間は精神状態を維持できたのが不思議なくらいだった。だが「これでもか!」とばかりに・・・、困難な状況が日捲りのようにやってくる。その中で女房に、冷静に言葉をかけてやる自信が持てなくなっていた。

「美羽、悪いな・・・」

「できることはするよ。わかってるから」

美羽には気持ちを見透かされていると思った。

11月になって、裏掲示板に関与していたと思われるシステム2名、ウエブデザイン1名が相次いで退職した。あれ以来、社内の動揺は沈静化していたように見えたが、様々な場面で責任論が噴出していた。そして、徐々に少しでも関与した社員を許さない雰囲気になってしまった。

見辺さんが、退職してしまったために、若い社員のまとめ役を小枝子に頼んだが、他の社員と同世代の彼女には荷が重かった。状況が状況だけに補充もままならず、システムチーフの森田は苛立って、そのことが総務省のシステム開発に支障をきたし始めていた。

そのため共同受注したF社から進捗状況に対しクレームが入り始めた。子会社だけでなくこのままでは本社も維持できなくなる、という危機感が日に日に強まった。

女房は11月の末になって、慌ただしく母校の付属病院へと転院し、二女の美樹と二人だけの生活が始まったが、帰宅は深夜になることが多く、自宅は日に日に雑然となって荒れた。

経済的に余裕があるならば、ハウスクリーニングを頼むなり、で何とかなるかもしれないが、転院費用や新しいマンションの費用、大学の授業料、仕送りと生活費等々家計は一段と厳しさを増した。この2年間は、減額した役員賞与に他に、代表者貸付金の返済で賄ってきたが、この先の展望はまったく開けなくなっていた。

 

「矢沢さぁ・・・自信なくなったよ」

「社長、弱気になっちゃ駄目ですよ」

12月に入って間もなく、1年ぶりで矢沢とOZに寄った。マスターは「お元気でしたか?」と挨拶したが、皮肉には聞こえなかった。

「矢沢、合併しないか?」

「えっ?」

「このままじゃ、うちもヤバイし、矢沢のところも立ち行かなくなるだろう?」

「苦しいっすよね」

そう言いながら二人でバーボンを数ショット煽った。

「こんなことになってきて、この先日本はどうなるんだろ?」

と矢沢は言った。株価は10月23日に日経平均7,000円手前という大底を付けて小康状態となったが、米国ではGMやフォードと言った巨大企業の破綻が時間の問題となって連日取り沙汰されていて、不況の底はまったく見えなかった。

さらに、大量のデリバティブを引き受けていた最大手保険会社のAIGの債務問題は数百兆円と言われ、あまりの巨額負債のためどうにもならないと言われた。

「資本主義が終わるかもな・・・」

「そこまでですかぁ」

「この先、どうにも俺の手には負えない気がする・・・」

「・・・」

「いろいろ有り過ぎた。疲れたよ・・・」

「じゃ、全部やめちゃいますか?」

矢沢はいつだって楽天家だった。そしてその楽天的な性格が矢沢の最大の魅力に違いなかった。

「じゃ、もしも、俺が止めたら・・・お前、うちの使える連中を引きうけてくれよ。商権も紐付けるから」

「社長、何言ってるんですか!」

「単独なんだから上場できるだろ。いや、してくれよ」

「社長・・・」

「俺はさ、親父の会社の再建を引き受けたときから、運命が決まってたのかも・・・」

「きついんですか?」

「ああ、死ぬほどきつい」

「・・・・」

心が近いうちに折れるかもしれないと思っていた。いつも厳しい話の時には最後に、おどけたジョークで締めくくる矢沢も、このときだけは無言だった。

「俺はさ、何のために苦しい思いをしてきたんだろう・・・」

矢沢と二人で泣いた。涙は出なかったが、俺も矢沢も、バーボンを煽りながら心が泣いていた。

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