私的小説 師匠 斜陽編(第六章 彷徨)

私的小説 師匠 斜陽編(第六章 彷徨)

彷徨

1

リーマンショック以降、日本経済の有り様は一変した。日本政府が、国内金融機関での保有債券のうちサブプライム債券比率が極めて低いことから、事の成り行きを楽観視していたために、年末に10兆円の財政出動を行っただけで、以降曖昧な態度に終始した。

そして僅か半年足らずで、GDPが前年比で11%以上もマイナスしているという事態を前に、麻生総理、白川日銀総裁は日本経済という泥船が沈むのを傍観していたにすぎなかった。

4月になって麻生内閣は、想像を絶するほどの最悪な日本経済の数字がはじき出されてようやく15.4兆円の財政支出を決定するという始末だったが、何もかもが手遅れだった。2度の緊急対策は、事業規模99.6兆円を標榜していたが、真水(新規財政出動)は僅かに6兆円で、他は予算の付け替えと保証だった。

この、当局の圧倒的な無策が、当初軽微と言われた日本経済へのダメージを加速的に拡大してしまった。

僅か1年前、日本社会は好景気と物価高騰に浮足立っていた。

好景気なのだからガソリンが180円と言われても、高いと言いつつ給油量を制限することはなかったし、相次ぐ公共料金や食品の値上げに対しても、甘んじて受け入れる雰囲気が世の中にあった。だが、日本は世界で最も、しかも突出して経済的なダメージを負う先進国となりさがった。

 

4月になると東京での治療の合間を縫って女房が週末に帰郷し始めた。新学期を迎え長女の美羽は専門課程に進み、二女の美樹は大学受験の年となった。春休みの間、美樹は東京で過ごしたが、帰るとまた最低限の家事をこなし、食事を作りながら通学しなければならなかった。

「体調はどうなの?治療は?」

「退院できたのでそれなりに・・・」

「無理するなよ」

女房は、ほとんど掃除もされずに物の位置も乱雑になったままのリビングを見回し、溜息をついた。

「それよりも、会社大変なんですってね。美樹のことも心配だし・・・」

「なるようにしか、ならないから無理するな。それに、連休明けからケータリングを頼んだから夕食はなんとかなる」

「でも美樹は受験なのよ」

「分ってる。けど、多少の障害は乗り越えられないでどうするんだ」

「でもあの子は成績が心配で・・・」

「美樹なりに考えるさ。親がいろいろ言っても所詮は美樹自身の問題だから」

「相変わらず、子供には関心ないのね。仕事ばかりで・・・」

「そう言うなよ。いまは大変な時期だって分ってるだろう?」

「大変じゃなかったことなんて、いつだってなかった」

「おい!そういう言い方するな」

女房は目を反らし、畳まずにソファーに放置されていた洗濯物を黙々と畳んだ。

「美樹が帰ったら夕食に出るか?」

「出たくない。疲れた」

「でも冷蔵庫、何もないよ」

 

女房も治療は大変だろう。いままで守ってきたこの家の、父親と娘だけの生活の結果、気に入らない部分もあることは分る。けれども、癌治療をしている女房だけでなく、家族のそれぞれが少なからず無理をしてるのだ。

そしてその無理は、女房の意に沿わない形で表れることだってある。それを、一つ一つ拾って否定したら、家族の連帯感は失われてしまうじゃないか、と言いたかった。

嫌気がさしてそれぞれが、勝手な方向に歩きだしてしまうだろうと思った。

仕事ばかり、と責められることには慣れた。確かに家庭を顧みることは少なかった。というより、子育ても家事一切も女房に任せきりだったことを悔いてもいる。だが、家庭に会社でのトラブルを持ちこむことは絶対に避けたかったし、話題にすことも躊躇った。

外で働いてみれば分ることだが、家族と仕事上の悩みや苦しみを共有することは、言葉で言うほど簡単ではないのだ。

なんでも言い合える理想の家庭などというものは、幻想に過ぎない。そんな家庭なら、すぐに崩壊してしまうだろう。そういう感覚が、専業主婦だった女房には分らないのだろうと思った。

経験がなく理解できないことをいくら説明しても、分ってもらえないことなどいくらでもある。苦しいことなど共有する必要などないし、家族というのは、お互いを無条件に受け入れる契約みたいなものだと思った。その覚悟がないなら、家族など持つべきではないと考えていた。

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危機的な経済状況になって、さすがにゴールデンウィークの海外旅行客も激減し、国内旅行はさらに壊滅的な痛手を被ると予想されていた。

日本の何もかもが先行きの見えない暗雲の覆われている状況で子会社の身売りが完了すれば、僅かに40人ばかりのシステム企業となる。資本力と資産を持つ業態ではないので、蓄積してきた留保分が剥落すれば財務体質は脆弱で、先々の不安が大きかった。

昨年10名近い大量の離職者を出して総務省の受託案件の進捗が滞り始めたとき、そのピンチを救ってくれたのは矢沢だった。

下請けで在りながら自社の業務を極力抑えて、12名の社員内8名を出向させてくれ、社長の矢沢自らも毎日のように顔をだしてシステムリーダーの森田をフォローしてくれていた。

そんな矢沢に、合併話を持ちかけてもいたが、日々の多忙な業務と、子会社の処置に忙殺され、話は立ち消えていた。

25日の子会社身売りの調印式が終わって連休直前の28日に、総務省の行政管理システムを共同受託していたF社の社長を招いてフェイズ・ワンの完成を祝った。F社にしても受注総額が2年で26億が見込まれる案件は決して小さくはなかったし、当社にとっては命綱だった。

その席に同席させようとしたシステムリーダーの森田が緊急案件でどうしても時間がとれず、代わりに矢沢を伴って築地の懐石で会食の後、社用で何度か使っていた隣市のクラブへ。

ゴタゴタ続きで2年ほど前に使って以来だった。

クラブ「ラ・ネージュ」は関東の地方都市では随一の高級クラブとして通っていた。地方とはいえ3都市に十数件ものクラブやスタンドバー、カラオケスナックに喫茶店を展開する外山商事の旗艦店として10年前に鳴り物入りでオープンした店だが、この不況で社用族の利用が減り客足はガタ落ちらしかった。

F社幹部は、当社に関する懸念も払しょくできたと見えて和やかな雰囲気となり、小一時間ほどの接待は終了した。そして迎えのタクシーにほろ酔い気分の幹部達を見送った美佐江ママが戻ってきた。

「社長、2年も御無沙汰過ぎるわよ」

「忘れてた」

「おいおい、カオル、ふざけるなよっ」

夜のメイクの美佐江ママは妖艶で、外山商事は美人ママで持ってると言われた。反面、美佐江ママはさっぱりした性格でケレン味をまったく感じさせない素直な女性だった。

最初のきっかけは恵子だった。高校時代からの親友の店がオープンすると聞かされて、それなら、とお決まりの胡蝶蘭を贈答花し、落ち着いた頃恵子と佐倉を伴って顔を出した。その時に美佐江ママと意気投合し、恵子と三人で外山商事の店を5軒梯子した。

以来2ヶ月に一度くらいは主に社用で通うようになったが、経営相談がきっかけで徐々に昼に二人で会って珈琲を飲みながら愚痴を言い合う仲になった。

「カオル、オケイ(恵子)からちょっと聞いたけど・・・」

「まぁね、いろいろあったよ」

矢沢は美佐江ママが「カオル」と呼ぶことにニヤケながら「親しいんですね」と言った。

「この女は、こう見えてほとんど男だからさ」

「失礼ね」

そう言って両手で胸を持ち上げ、「本物よ」と言いながら左右に揺する仕草をした。

「相変わらず品のないママだな」

「何よ、カオルの席だけよ」

確かにいつもの美佐江ママは、「下半身ネタで店のグレードを下げさせない」が口癖だった。

「ねぇ、お店替わろうか?」

「出られるんだ?」

「今日の客層はチーママで十分」

と美佐江ママは耳元で囁いた。

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2

ラ・ネージュを出ると矢沢は気を利かせたつもりで通りでタクシーを拾い、「ごゆっくり」と言い残して帰って行った。GW前といってもこの時期の夜間は思いのほか夜気が冷たい。ドレスに毛皮のコートを羽織った美佐江ママは携帯で系列のパブへ連絡を入れた。

「寒いねぇ。早く行こう」

と言って腕にしがみついてきた。「同伴みたいだな」というと、「自分の店じゃ手当ては出ないわ」と言って笑った。

英国風の内装のそのパブは、小さなステージがあってドラムスやアンプが隅にあった。ママが店内に入ると、数人の女の子が「お疲れ様です」と言って挨拶し、店長風の若者が小声でママに話しかけ、奥の個室風に仕切られたテーブルへと案内された。そして手際よく、ビールとオードブルが運ばれてきた。

「教育がいいねぇ」

「この世界、緩めるととことん緩んじゃうからね」と言って美佐江ママは最初の一杯を飲み干した。

「ねぇ、オケイ(恵子)とはいつから?」

「聞いたんだ?」

「勘よ、オケイはそういうこと言わないし」

「じゃママの誘導尋問に嵌まったってことか」

「素直なんだから」と言ってシガレットケースのメンソールに火を付けた。

「でもオケイ、いろいろ言ってたよ」

「どんなこと?」

「幹部が自殺しちゃったとか、上場は中止になっちゃったとか」

「そうか・・・」

「それ以上、何かあるん?」

「あると言えばあるけど、ないと言えばない」

「カオル、意味深だなぁ・・・」
そう言って女の子を呼び寄せ、「白とアンチョビ」をオーダーした。

「ワイン、飲むでしょ?」

「この店はオーダーが先なんだぁ?」

「そっ!お客を見るのよ」
そう言ってウインクして見せた。

「今夜は飲もっ!ね?じゃちょっと髪下ろしてくるね」
そう言うと席を立ってカウンターの奥に消えた。

 

10分ほどして、ロングにしてルージュの色を変え、タイトなジーンズ姿の美佐江が現れた。

「まるで別人だな」

「惚れちゃう?」

「御亭主いなけりゃね」

「いないよ、いまは」

「まさか別れた?」

「それはないけど、別居中。もう3ヶ月も口きいてないわ」

「どうして?」

「だってお店の子と」

「バレたの?」

「もう10年とか。頭にきちゃって」

「10年かぁ・・・」

8歳年下のご主人を恵子と争って略奪婚したという話を以前に聞いていた。

「ねぇ、久しぶりに歌おうか。ホテル・カリフォルニア。弾いてよ」

「ギターある?」

「遠藤君!ギター貸して」

「はい、335でよければ。久しぶりですね。社長とやるんですね?」

「昔を思い出しちゃった」

「今夜、ママのホテル・・・聴けるなんて。社長もプロ級だし、黄金コンビ復活ですね」

「カオル、ハモるよね?」

そう言うと、小さなステージにマイクを2本用意させた。

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その夜の美佐江ママはいつになくハイになった。そして「景気づけに」といって白ワインを2杯ほど一気に飲み干してステージへ。15人ほどの客とスタッフから拍手され、投げキッスをした。

チューニングのあと何度かイントロをリフレインして、ママは歌詞をスタンドに立てた。多少は誤魔化しもあったけど、久しぶりにしては申し分のない出来でサビへ。

「Welcome to the hotel California,such a lovely place(such a lovely place),such a lovely face・・・」久しぶりとは思えないハーモニーもまぁまぁだった。

ママがハイになると店が盛り上がる。確かに外山商事は美佐江ママで持ってるとひしひしと感じた。上機嫌で「少し歩こう」といって店をでたあと、冷たい夜気の中、飲み屋が数件集まる通りを歩いた。一歩外に出ると、賑やかなはずのその通りに人影はほとんどなく、呼び込みのおにいさんも手持無沙汰で、ウロウロと行ったり来たりで、「ママ、同伴ですか?いいですね」と声を掛けてきた。

「カオル、浮気ってどんな感じ?」

「罪悪感」

「だよね、でもそれって密の味なんでしょ?」

「かも」

「こうして歩いてて、帰りたくないって言ったらカオルって落ちるの?」

「他に選択肢、ないから」

「そっかぁ・・・火遊び、しちゃおうか?」

「恵子から横取りする気分?」

「私は悪女だからねぇ」

 

飲み屋街を抜けて国道に出ると、お互いに寡黙になってその先のホテルを目指した。夜11時を回っていてフロントで多少強引にツインの部屋をとりチェックイン。物悲しそうな夜景の見える通り沿いの部屋で、しばし窓に映りこむ二人の姿を見ていた。

「キスだけして、浮気の気分になろうよ」

「それだけで、ご満足ですか?」

「カオルは?欲しければいいよ」

「ママは?どうなの?」

「私はいま、運命に身を任せてみるつもりよ。私の意思は関係なくて・・・」

「じゃ、どうなっても、いいんだ?」

「恨んだりはしないよ」

「なら、有りふれた関係は止めようよ」

「どういう意味?」

「もし、そういう関係になるとしたら、その時はお互いに全部捨てる覚悟ができてるという・・・」

「それ、火遊びじゃないじゃん」

「ママと寝るってそういうことだろ?」

「ああ、カオル、キスして」

美佐江ママの頬を一筋の涙が伝った。そして窓際に立ったまま、長い抱擁を交わした。「寂しい」と美佐江ママは漏らし、「俺も」と応えた。けれどもそれは、交わる理由にはならなかった。

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3

三度目の訪問時にネットワーク管理者の資格を持つ若手社員を伴って、パソコンを持参した。週二度ほど通う約束も、子会社の身売りの準備や新年度の事業計画作成に忙殺されていて、「落ち着くまで時間を・・・」と言うと師匠は「焦らんでも相場は逃げませんよ」と言ってくれた。

6畳ほどの和室は「女房と揉めたときの退避部屋なんです」と言うくらい殺風景で、サラリーマン生活の長かった師匠のおびただしい量のスーツ専用の箪笥が並び、溢れたスーツが簡易ハンガーに掛けられていた。反対の隅に小さな古い木製の机があってとても株取引には耐えられそうにない小型で古いパソコンが置かれていた。

「師匠、2台持ってきてるので、古いのは廃棄しちゃいますか?」

「中に必要なデータが少し・・・。それにしても凄いパソコンだね。ディーリングを思い出しちゃいますよ」

19型のディスプレイを2台、なんとかぎりぎりで机の上に設置し、もう一台は奥様から丈の低い和室用のテーブルを借りて設置した。そして師匠の口座のある野村の、恐ろしく使い勝手の悪い株取引用のソフトをセットし、バックアップしたデータを復元した。

「若社長、費用は・・・?」

「師匠、うちにはたくさんあるので気にしないでください」

「そうですか」

「昔を思い出しちゃいますか?」

「そうねぇ。でも滅多に現場には行かなかったしね。俺は板のほうが好きだから」

「証券会社って株価のボードあるんですよね?」

「そう。為替やら金利やらも。でももっと昔は歩み値なんか売り買いの2本しか見れなかったよ。受話器を2本両肩に背負って怒鳴ってたね」
そう言って師匠は昔を懐かしんだ。

「いまは全部パソコンで出来ちゃうんだから凄い時代になったよ」

「証券会社は儲かって仕方ないんじゃ?」

「ところがそうでもないの。美味しいところが逃げちゃうし」

「個人の資金ですか?」

「そうね。みんな自分でやって自滅しちゃうからね」

「俺も、自滅組ですよ」
師匠はショートホープを燻らせて苦笑いした。

 

ゴールデンウィークが終わると、買収先からの資産査定が提示され、それに伴ってメインバンクを中心に債権のある銀行間での話し合いが行われた。同時に不動産移転登記のための担保解除手続きや、設備等の名義変更、法人の登記変更から団体保険の解約手続き、そして行政に対する届け出の準備等々、顧問の山崎弁護士と財務の中島の三名で対応した。

5月第二週の買収執行の最終段階になって、「大方の手続きは予定通りですけど、一つだけ難色を示していることが・・・」と山崎先生から連絡があった。

5月と言うのに、気温はぐんぐんと上昇し、午前中には32度という猛暑になったその日の午後、山崎弁護士の事務所に出向いた。

「メインが社長の所有不動産に設定した根抵当は外せないと言ってます」

「でも、先月同意したんだよね?」

「そうです。私も確認してますから。ところが、先方は返済に見合った抵当権の解除はしますと言っただけだと」

「いや、そういう話じゃなかったはずだ」

「そうなんですよ。ところが、本社にも債務が残る以上外せないの一点張りで・・・」

「いや、それは違うよ。確かに本社借入で名目上は上場準備資金だけど、子会社の設備資金だというのは合意の上なんだ」

「それは当方の主張しました。けれど承知しないんですよ。いつもの手口ですけど」

「じゃ、本社融資の通常担保はすべて解除じゃないのか?」

「争いますか?」

「二重じゃ詐害行為だろ?」

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直前まで触れずにおいて、もう後戻りができない段階になって持ちだしてくるという何とも形容しがたい卑劣な手段も、書類上問題なければ平然と何でもする・・・。それが日本の金融機関のあられもない姿なのだ。

特にリーマンショック後のこの大不況のなかでは、自己の利益や権利を最大限に守ろうとすることは、分らなくはない。しかし、邦銀は目的のため、保身のために書面になっていない合意を踏みつけることなど、何とも感じていなかった。

カネのためなら信頼関係を犠牲にすることは、彼らにとっては当然のことなのだ。

もちろん、民事で争っても万に一つも勝ち目はないことは分っていた。現実に詐害行為を裁判所が認定するような材料を残すはずもなく、またたとえそのようになっても、自己の利益は実質的にはまったく棄損しない。

遠い昔のバブル経済崩壊以降、銀行はバンカーではなくなった。社会の利益を守り、企業を育てるという意識はいまの銀行員には微塵も存在していないし、多くはそのことさえ考えたこともないだろうと思った。

彼らは・・・、銀行はバンクとは名ばかりのマネーレンダーになり下がっていた。

 

ゴールデンウィークは5連休になったが、週末の女房の帰宅が検査でキャンセルになったこともあり、二女の美樹はそそくさと東京へ出かけて行った。休みの一日は親父にゴルフでも、と誘われたがその気になれず断った。

次の日は矢沢を誘ってオージービーフのしゃぶしゃぶ食べ放題へいったが、カチカチに凍った肉を出されげんなりした。そのあとにOZに寄ったが連休中は休みで、しらけてしまって自宅に戻った。

人気のないガランとしたリビングは、女房が週末に帰って片付けをするにも関わらず、2,3日ですぐに雑然とした。美樹の若者向けファッション雑誌や、学習熟のテキストが食卓のテーブルに置かれ、消しゴムのカスが放置された。長いソファーの上に読まれない新聞がチラシを折り込んだまま数部おかれ、封を切られない郵便物がその上に投げ出されていた。

次の日の午後、美佐江ママから電話がかかってきた。

「カオル君、家庭サービスかな?」

「いや、一人ぼっちなんだよね」

「おやおや、それはお寂しいことで。ねぇ、今夜お店来ない?」

「ママと同伴じゃ高く付きそうだな」

「もう閑古鳥鳴いちゃって、助けてよ」

「一人と知って誘うからには、ママ、覚悟ができてるの?」

「いつでもできてますよ。カオル君に勇気があるなら」

冗談混じりの会話の中に、あの夜の切なさが美佐江ママにもあると確信した。

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4

夕方6時に美佐江ママの指示でラネージュから300メートルほど離れた裏通りの従業員専用駐車場に車を止めて、向かい側にある喫茶店で待ち合わせた後、市内の老舗のしゃぶしゃぶ店へ。

素顔の美佐江ママはほとんど別人で、多少肉付きはいいけれど端正な顔立ちだから夜の顔とは異種の魅力があった。

「ゆっくりと夕食するのは久しぶり」
と言いながら、美佐江ママは冷酒を勢いよく煽り箸を進めた。

「いつもはね、子供たちと食事してから出てくるの。でも今日は二人とも旅行に行っちゃって」

「主婦もしてるんだ?」

「当たりまえでしょ?亭主とは口きかないけど」

「生活感をだしちゃママ失格だろう?」

「カオルならいいの」

7時を回った頃店を出て、「メイクするから付き合って」とタクシーで10分ほどの自宅へ。
「外で待つよ」と言うと「遠慮しないで」とリビングに通された。「すぐにできるから」というと、美佐江ママはシャワーを使って30分ほどで夜の出で立ちに変身した。

8時半には同伴でラネージュに。お客に付いていない5、6人ほどの女の子達がカウンター前に並んで、「お疲れ様です」と声を掛け、美佐江ママは目配せをして奥のボックスに案内した。

タイミングよく、女の子が一人おしぼりとブランデーをテーブルに運び、「私はブランデーだけど、カオルはどうする?」と聞いてきた。「じゃ俺も。チーズも貰おうかな」と言ってグラスに四分の一ほど注がれたブランデーを手の温もりでなじませて飲んだ。

「まだ、この時間だと出足鈍いな」

「そう思うでしょ?それが、ずっとこのままなんだから」

「最後まで?」

「お客に付けない子も結構いるのよ。ほんと、商売上がったりだわ」

「景気悪いからなぁ・・・」

「そういうレベルじゃないわよ。うちだって半分くらいお店閉めないと駄目みたい」

「他の店も?」

「どこも、こんな感じよ。嫌になっちゃう・・・」

「そうなんだ」

10分ほど話した後、チーママを呼んで「ちょっとお願い」と言うと「カオル、挨拶してくるね」といって2組ほどのボックスを廻った。

「ママとはお知り合い?」

「浅いけどね」

「浅いのね?」

「そうだね」

「でもママは同伴なんて滅多にしないのよ。私、ちょっぴり深いのかなぁなんて・・・」

「残念でした。ママじゃ敷居が高過ぎるよ」

たわいのない会話で美佐江ママを待っていると、入口から見るからにその筋といった面持ちのスーツ姿が3人ほど入ってきて、続いてサングラスをした恰幅のいい中年が、いかにも不動産風情という男二人を連れて入店し、素早く美佐江ママが出迎えた。

「あれは?」と聞くとチーママは耳元に近づき、「ヤクザ屋さんよ。最近良く来るんだけど・・・」と言葉を濁した。店内の反対側のボックスに陣取った一団と、その横には所謂若い衆と思われる見張り役がボックスに座り、カウンターにも二人付いて、店の雰囲気が緊張しているのが分った。

親分と思しき中年の左右の女の子が据わり、向かいに美佐江ママが据わって接客しているのが分った。

「ママはね、嫌いなのよ、あの人たち」

「そうだよな」

「ただでさえ暇なのに、お客さん、寄りつかなくなっちゃうよ」

確かに入店して、連中がいたら・・・足が遠のいてしまうのは目に見えていた。

「いい加減にして!」

しばらく接客してた美佐江ママが突然立ち上がって、店内に響き渡るほどの声でそう言うと店内が凍りついた。

「うちはそう言う店ではないんで」
というと、嫌がる女の子のドレスの下に手を入れて胸を触り続けている親分の手を払いのけた。

「親分に謝れ!」
と誰かの声が響いて、美佐江ママと不動産風情の中年とが押し問答をしているらしかったが、ほどなくして親分が立ちあがって美佐江ママに何かを言うと、一団は潮が引けるように店から出て行った。

上気した美佐江ママは、戻ると「エビス頂戴」と言って運ばれたビールをブランデーグラスに注いで一気に飲み干した。

「なんて言われた?」

「生意気だってさ」

「よく来るの?」

「最近よ。でも、そっち方面はいろいろ話付けてあるのに、あいつら最近の連中だから・・・」

「ああいうのが来ると、商売にならないね」

「最悪なのよ。うちはキャバじゃないっての!」

落ち着いてきた美佐江ママの目は、怖かったと見えて、涙で潤んでいた。

それでも、こんな時女の子を守れないと、ママの地位を維持できないと言った。あそこで弱腰になったら、女の子も辞めちゃうし、この商売はガタガタになってしまうと。だから引けない時があると、きりっとした目つきで言った。

「カオル、悪いけどチーちゃんと話しててよ。他の店に顔出してくる。1時間くらいで戻るから帰らないでよ」というと、美佐江ママは店を後にした。

「ママはほんと、良く頑張ってるのよ。ご主人はあまり身が入らないし。寂しいみたい」

若いチーママの目に美佐江ママはそう映っているんだ、と思った。

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閑古鳥が鳴いてる、と美佐江ママは言ったが、その夜のラネージュは筋者の一団が帰ってから客足がパタリと止まった。11時過ぎにママは戻ってきたが、「どこもさっぱり」と言って嘆いた。

チーママに「12時で看板にしよっか」と指示して、「カオル、こんな私を見捨てて帰れないでしょ?」と言った。11時半には店を出ると、

「カオル、うち来る?」

思わぬ言葉を口にした。

「まさか」

「いいじゃない。子供は旅行、亭主も石和に組合の旅行、私一人なんだから」

「間男みたいで」

「いや?」

通りでタクシーを拾うと、ママはさっさと行き先を告げた。

 

16畳ほどあるリビングでチェストの上の家族写真を立ったまま眺めていると、美佐江は「やめてよ」と言って写真立てを伏せた。

「家族円満じゃない」

「その頃はね。ワイキキよ。シャッターはオケイなんだよ」

「一緒に行ったの?」

「ほら、ご主人は公務員だけど嫁ぎ先が農家だから。息が詰まるって」

「ねぇ、シャワー使うでしょ?」

「ええっ?いいよ、帰るから」

「冷たいなぁ、毎日苦労してる美佐のために添い寝くらいしてくれても罰あたらないでしょ」

「それこそ、罰あたるよ」

「いいから、さっぱりして飲みなおそっ!」

背中を押されるようにバスルームへ。熱めのシャワーで酔いを醒まして出ると、脱いだ衣服が畳まれていた。用意されたバスタオルを腰に巻いてリビングへ戻ると「これしかないの」とガウンを用意して待っていた。「御亭主のじゃ・・・」と遠慮すると「私のだから、いいでしょ?」と言ってバスルームに向かった。

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5

リビングのソファーに向かい合って、用意した冷凍ピザとクラッカーとチーズ、それにピクルスとキャビア缶を開けて、ワインの栓を抜いた。

「奥さんは?」

「娘達と東京」

「見物とか?」

「いや、美佐江ママと同じ別居」

「そうなの?」

女房の癌のことはとても言いだせなかった。

「オケイとはどうして別れたの?」

「どうしてって・・・」

「此処まで来て言わない気?」

そう突っ込まれて、佐倉のことで上場が駄目になったことや、その佐倉と恵子が関係してたこと。そして坂道を転げるようにいろいろな出来事が重なったことやリーマンショックで子会社が立ち行かなくなり、間もなく身売りすることなどを改めて口にした。

「オケイに二股かけられたんだ?」

「そうなのかな?」

「でも、オケイはそういう計算できる子じゃないからねぇ・・・」

「俺もさ、そのことはショックでさ」

「カオルも苦労してんだね」

「なんか、商売してるの嫌になりかけてんだよ。この不況じゃどうにもならない。ママのところは?」

「年が明けてから特に酷い。もう毎月500とか足らないんだよ。嫌になっちゃう。先月(4月)なんか800も足らなかったし。このままじゃ破産だよ」

「御亭主は?」

「ボンボンだからねぇ・・・親の不動産を売る気みたいだけど・・・」

そう言いながら美佐江ママは2本目のワインの栓を抜いた。

「御亭主、突然帰ってきたりして」

「来ない、来ない、あの人は市内にマンション借りてそっちだから。だいいち組合の旅行とか言ってるけど怪しいもんだわ」

「此処には戻らないの?」

「滅多に来ないよ。来ても口きかないけど」

「どうしてそんなことに?」

「だって・・・あいつの浮気相手ってお店の子なんだよ。もう10年以上。だから亭主とはここ10年くらいないの。パブのチーママさせてた子なんだけど、今まで二人でトボケてたんだから。許せないよ」

「ママのプライド?」

「正直、それもあるよ。でもね、そう言うので甘い顔すると女の子たちが乱れるの」

「水商売も労務管理が大変だなぁ」

「表面が華やかなほど、裏は大変なのよ」

 

3時過ぎまであれこれ語り合って、流石に酔いも回り眠気に耐えられなくなった。

「カオル、もう寝る?」

「いや、タクシー呼んでよ。帰るから」

「そんなに酔っちゃって帰れないでしょ。いいからこっちへ」

そいうとママは手を引いて寝室のダブルサイズのベッドへ連れて行った。

「まさか、夫婦の・・・・」

「大丈夫、一度も使ってないから」

その言葉を酔いの中で聞くと急に全身の力が抜け、寝付いてしまった。

翌朝、重苦しさを感じて目覚めると、荒い息とともにママが上にのしかかっていた。

「カオル、もう他人じゃないからね」

朦朧とした意識のなかで繋がりを感じたが、ふたりとも罪悪感を持てず、昼過ぎまでそのままベッドで過ごしてしまった。

 

5月20日に子会社の身売りが予定通り実行になり、同時に財務の中島を失ってからは、経理の切り盛りをすべて行わなければならなかった。連結子会社を切り離したことで、年商は僅かに8億足らずとなり、しばらくは翼を捥がれたような感覚が抜けなかった。

顧問の山崎先生の活躍で、債務の切り離しは予想以上に良い結果となったが、自宅や他の不動産等に対する2億の根抵当と、こまごました債務保証分を含めて最終的には1億8千万ほどの借り入れが残った。

メインバンクからは今回の子会社身売りに対しては最善の選択と最良の結果と言われたが、月々800万の約定返済は決して簡単ではなかったし、機器販売も抱えていた関係上新たな資金需要も目前に迫っていた。

それにしても日本経済の状況が余りにも悪すぎた。

日経平均株価は3月に昨年10月以来の日経平均7,000円の底値から反発し、買収が完了する頃には9,000円を超えるまでに戻した。そのために日本経済は最悪期を脱したとの声もチラホラを出始めてはいたが、先行きを楽観するものは一人もいなかった。

この夏にかけては、中小企業の倒産多発期に突入していた。リーマンショック後1年になろうとする頃には、中小企業の体力も尽きかけて、公的な資金援助も限界を超えていた。名目を付けて借り入れるのは比較的容易ではあったが、その後の返済に目途が立たず倒産する企業が多かった。

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6月の梅雨入り前から、師匠宅の訪問を再開した。個人的には、なんとか資金を工面して、子供たちの学費分を確保しておきたかったし、女房の治療費や東京で借り入れたマンションの賃貸料、そして月々の家族の生活費を60万ほど捻出していかなければなからなかった。

会社の資金繰り上、キャッシュが極端に底をついていたために、少しでも役員報賞を減らしてプールしたかったという事情もあった。

事業は総務省の案件の継続や、システム部長に昇格させた森田と新たに取締役とした矢沢の活躍で、小ぶりだが新規案件を3件獲得したのが大きく、なんとか事業の継続に目途が立った。余りにいろいろなことが立て続けに勃発したこの2年間で、久しぶりに訪れた比較的平穏な状況だった。

矢沢と話していた、合併するか、または事業を継承するかの選択には結論が出なかったが、取締役を承知したことで、ある程度の目鼻が立ちつつあった。

矢沢は「社長は引退させませんよ」と言っていたが、以前より温めていたいくつかの案件がブレイクするようならば、合併を気に新会社を設立するという案にたいしては合意していた。

 

女房は相変わらずの病状で、抗がん剤治療の副作用に苦しみながらも、隔週で週末には戻って自宅の整理や掃除をし、二女の美樹の様子を確かめて日曜には戻って行った。

5月の終わりから知り合いの紹介で、信頼のおけるハウスキーパーを週に2度ほど依頼したことで美樹の負担が軽くなると思った。だが美樹は、相変わらずのマイペースで女房が戻らない週末は東京へ出かけて行った。いつか「大学へは行きたくない」と漏らしたが、かといって何がしたいでもなく、自ら願望を口にすることはなかった。

そして連休中の出来事以来、美佐江とは会う時間を作れなかったが、頻繁に連絡を取り合うようになった。別に要件のない電話が昼過ぎに日に一度だけ掛かってきたが、お互いの声を確かめあうことで、あの日の出来事を過ちにはしたくなかった。

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