幻想と期待の中の株式市場

幻想と期待の中の株式市場

7月10日(金)の米国ダウは$369と大きく上昇して引けた。理由はギリアド・サイエンス社の新型コロナ治療薬レムデシビルの治験の結果がなかなかの好成績であったと同社が発表し、新型コロナ感染者数が鰻登りの状況と相まって、一気に期待が膨らんだということだった。

しかし同社の発表をよく読めば、これほど株価が上昇するような内容ではないことが分かる。

ブルームバーグの見出しでは「新型コロナ患者死亡率62%下げる可能性」となっているが、少なくとも其の根拠は記事中に示されてはいない。また死亡例は純粋に新型コロナが死因であるのか、基礎疾患が悪化したのか、難しい判断も必要で、重篤化して免疫が過剰反応をしたといった単独の判定は稀だと思う。

またレムデシビルが一定の効果があるとされても、米国の感染者のどの程度が、同薬を投与できるのかは全く未知数で、結局感染者全体のうち、同薬によって効果が期待できるのは数パーセント程度ではないかと考えるべき。ということは治療薬としてないよりはいいという程度かもしれない。

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ワクチンはできるのか?

治療薬の治験結果で$369上昇するなら、ワクチンに関するポジティブな報道やら発表が出ればそれこそダウは、$500、$1000と急騰するかもしれない。連日米国で感染者数が増加し続けていることを加味すると、期待感は半端ないはずだ。

しかし、個人的には今話題になっている新型コロナワクチンは、全部失敗すると考えている。以前、ウイルスに関して少々仕事で必要に追われたこともあって、多少の知識を仕入れたものだ。そして基本的に結核治療のように決定的なワクチンが、インフルエンザ治療できない理由を「すぐに変異してしまうから」と母校の医師の話を聞くことができた。

偶然かもしれないけれど、たまたま文芸春秋の8月号で、あの小野薬品を相手取って訴訟を起こしたノーベル賞学者の本庶先生が寄稿された記事を読んだ。記事の中で新型コロナワクチンに関し、先生もまた1年や2年でワクチン・・・というのは夢物語と断言されていた。

その記事に関して、関心しながら先ほど読み終えた。駄記事ばかりの最近の同紙にあって、面白く読めた記事だった。

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短絡的な株式市場の反応

なぜこうも株式市場の反応は短絡的なのか?とつくづく思うよね。投資家の中にも、ワクチンはできないと考える人もいるだろうし、今までSARSやインフルで有効なワクチン開発ができなかったという事実も十分に知っているだろう。今回の新型コロナウイルスはまだたった半年しか研究できていない新型ウイルスなのだ。

「1年でワクチンができれば東京五輪開催」と言ってる安倍首相の無知・無責任にも呆れるけど、そんなのは世界中の指導者が異口同音に言ってる楽観主義・経済優先主義と同じようなもの。株式市場と同じで、みんな期待感を持って見守ってるわけだけど、正直開発できてもウイルスが変異したらもう効かない。インフルだってその堂々巡りをやっているわけで、新型コロナワクチンが短期間でできたとしても期待するほど効果はないだろうね。

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現実との乖離に抗えない

多分、そう遠くない時期に、株式市場は間違いなく二番底と思える押し目を作ると思う。景気回復期待の剥落、新薬期待の剥落、一向に収まらない新型コロナ感染、みたいな状況の中で、「下げすぎた株価は戻る」のと同じように「戻りすぎた株価は下げる」だろう。

今の株式市場は(アフターコロナの)幻想と期待の中にある。

しかし新型コロナと米中、いや自由主義と共産主義のデカップリングという体制がある程度落ち着くまでは、株式市場はハイボラの動きの中で徐々に沈降してゆくと見てるけどね。

(来週の予測が非常に難しいために、いま自分の考えていることを掲載しました)

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