技術に凝り過ぎたマツダの悲劇:マツダ今期赤字転落、無配

技術に凝り過ぎたマツダの悲劇:マツダ今期赤字転落、無配

自動車産業にとって今回の新型コロナ禍は各企業命運を左右する出来事になってしまった。そんな中、マツダの業績不振も例外ではなかった。マツダは2020年4月-6月期の1Q決算で、今期の通期見通しを900億円の赤字、そして今後無配転落(従来は¥35/年)を発表した。

しかし、1Qで既に営業利益▲45,272(百万)四半期損失▲66,691(百万)を計上していて、2Q以降はプラスに転じると会社側は予測をしているが、かなり甘い予測と言わざるを得ないと個人的には感じる。世界経済は確かにコロナ禍からの立ち上がり局面だろうが、そのなかで自動車業界は復活をかけてシノギを削ることになる。

またコロナ禍からの戻り相場を経て、いよいよ経済や個別企業のファンダメンタルズを反映する相場になってきた。その意味では、改めて現在の世界経済が非常に悪い状態にあると改めて認識せざるを得なくなっている。その中で、果たしてマツダがどれだけ支持されるのだろう?と疑問を感じざるを得ない。

マツダの技術信仰

ロータリーで世界をリード

ドイツ人技術者のフェリクス・ヴァンケルが発明した画期的と言われたロータリーエンジン技術に世界中の自動車メーカーが飛びついたわけだが、回転摺動する機構のため、耐久性のあるシーリング技術を克服できずに挫折が相次いだ。そのなかでマツダ1社がシールの独自開発とエンジンの個体差に対応した厚みのシールを職人が計測しながら組み立てることで克服し、市販に漕ぎつけた。

しかし、後に吸排気の混合による不完全燃焼を克服できず、排ガス規制に適応できずにRX-8を最後に市販を中止した。

またロータリーエンジンの最大の難関とされたハウジングとローター(三角形の回転子)の気密確保の問題をどう克服するかという課題に対し特殊な複合材シール(アペックスシール)を開発することで克服。このロータリーエンジンの実用化が、マツダ社内に技術信仰を生み出した。

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ルマンで勝ったことが技術信仰を加速?

ルマン24時間レースは、欧州貴族の道楽であって欧州では本気でメーカー参戦(ワークス)することは、冷ややかな目線を浴びる。しかし、ドイツや日本のメーカーは「技術力の誇示のためのレース」と捉えた。したがってポルシェがワークス体制で参加すればポルシェが、トヨタがそうすればトヨタが勝つのだ。

当然何年にもわたって挑戦し続けたマツダもロータリー車でルマンを1991年に制した。これによってマツダはロータリー技術により自信を深めていった。

RX-7の成功

ロータリー車の市販では初代、2代目とRX-7が大成功を収めた。理由はロータリーを搭載した比較的安価な2シーター・スポーツということで、排ガス規制後にしては非常に速かったことが、若者に受けたということである。しかも車重が1000kgそこそこで軽量なため、ロータリーの低回転域でのトルク不足を感じさせなかったというメリットもあった。

2代目になると、ロータリーの高出力化に対応した足回りや新型シャシーが与えられ、ロータリー時代は全盛を迎えるに至った。

2代目RX-7は短期間所有したが、やはり低速でのトルク不足に失望したものの、ターボ装着で高出力化したモデルであるために、高回転域では電動モーターのような加速であったことを覚えている。しかし、ハードブレーキ2本でフェードする心もとないブレーキと、意外にダルな回頭性にヘキヘキして手放してしまった。スポーツカーにこんなブレーキを積んで売るのか?と思ったほどだ。

ミラーサイクルでレシプロ制御技術の先駆けとなる

マツダの技術信仰はレシプロエンジンでもいかんなく発揮されている。それがユーノス800に初めて搭載されたミラーサイクルエンジンだった。ミラーサイクルとは圧縮比よりも膨張比を高くすることでノッキングを抑えしかも高出力・高燃費化することができるという夢の技術と言われ、デミオまで受け継がれた。

またこうした技術の基本はバブル開閉のタイミングによっても疑似的効果がもたらされ、トヨタ(初代プリウス)や本田のV-TECなども同様な考え方に起因すると思われる。

そして直噴方式や電子制御の進歩によってバルブ制御する技術は、現在では特殊なものではなくなったわけだが、レシプロでもマツダは他社をリードし、今日のエンジン制御技術の先駆けとなった。

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技術に偏る経営陣

スカイアクティブの意味

現在のマツダ車といえばスカイアクティブという言葉が浮かぶ。事実、搭載するエンジン、伝達機、そしてボディー(シャシー)までもがすべてスカイアクティブ・テクノロジーと称するのだから当たり前だ。

マツダにすれば、スカイアクティブとは、エンジン、トランスミッション、シャシーそして補器類までも含めて同時に車種に合わせて最適なものを開発すれば、もっともロスを抑えた高効率のシステムとなる、と。

それはその通りかもしれないが、それに見合った効果があるのか否か、根拠が分かり辛い。とにかくスカイアクティブ1.5Lエンジンを開発すると、同時に伝達機、シャシー、補器類をすべて専用にするということであり、設計手法を共通化することで、パーツの共有化以上の効果が望めるという。そして、数年の後にはマツダ車の燃費を30%改善する技術と宣言しているが・・・。

この考え方は一見合理的なように見えて、実は自動車の没個性化につながる大変危険な発想と表裏一体である。

このスカイアクティブ・テクノロジーがまさかデザインにまで及んでいるとは考えたくないが、昨今のマツダ車のデザインはすべてロングノーズ化の傾向がある。

しかも車名もMAZDA3、MAZDA6、CX-3、CX-8といったドイツ車のような記号化が進んでいて、なかなかなじめない。

技術で販売を克服できるという考え方

マツダがスカイアクティブ・テクノロジーをぶち上げたとき、国内メーカー各社からは「現実にこうした開発ができるとすれば理想的で、敬服に値する」というある意味極めて冷ややかな反応だった。世界中の自動車メーカーが、たとえドイツ車であっても車種ごとの差別化に血道をあげている中で、マツダは全車種スカイアクティブ車です、という方向性を打ち出している。

確かに技術的には、また技術に1日の長を自負するがゆえに、1車種の統一専用開発ということが可能であり、このラインナップが完成すれば、実用燃費30%向上を達成すると主張したいのだろう。決して他社では真似のできないマツダ固有の技術アドバンテージと言いたいのだろう。

しかし、消費者はこの戦略をどうとらえるのだろう?どれも同じような没個性的な性能の車、同じようなデザイン、とネガティブに捉えるケースが出てくるのではないか。そして万が一、ある車種に問題が発生すると、少なくとも商品イメージとしてはスカイアクティブ全車に及ぶリスクもある。

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またマツダはスカイアクティブ・テクノロジーによって、コストが大幅に削減でき、¥77/ドルでも国内生産の輸出利益が確保できるとも言っている。ならば¥110~¥105時代にあって、30%もの利益アドバンテージがある中で、赤字に転落し無配とする今期予想は、どういう意味なのか?という素朴な疑問も涌く。

結局のところ、スカイアクティブ・テクノロジーとはマツダの技術者の理想論に過ぎないということが、時間が経つにつれ証明されるだろう。こんなマツダの姿を見ていると、映画スターウオーズに出てくるクローン達を思い出してしまった。遠い未来に作り出されるクローンはきっとスカイアクティブ・テクノロジーが使われていることだろう。

パッケージングを思い出せ

量販車の命は、パッケージングにあることは疑いのない事実だ。実用車ならば実用車のパッケージを、スポーツカーならスポーツカーのパッケージを、それぞれ車格にあった形で提供することが自動車メーカーの使命と思う。しかし、今のマツダ車はスカイアクティブであるがゆえに総じて室内空間は実用ギリギリで、動力部や居住性、ラゲッジスペースとすべて同等な主張をしているように見える。

いま、世界的にはセダンが消滅の危機に瀕しているが、その理由こそがパッケージングの悪さにあると言える。

カペラ5ドアの欧州での人気

日本ではまったく売れなかったカペラという車種。セダン系だが当時としては珍しい5ドアハッチバックの設定があった。このカペラ、動力性能や足回りへのこだわりは全くなかったし、1年もしないうちにギシギシとボディのあちこちが軋み出す剛性のなさに呆れたものだが、なぜか5ドアハッチバックは数年間、欧州市場で売れに売れまくったのだ。

その理由はバカンスのが長く荷物が大量に積めるほかに、自転車が複数台積めるからという理由を聞いた。その上に家族4人が乗って移動できるという実用性が受けまくったわけだった。

ところが、マツダはそのことを忘れ、5ドアを廃止し、共通化のできないシャシーであるという理由でカペラを中止してしまった。

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ロードスターの成功

今、マツダという企業が生き残っているのは、ロードスターの成功があったからというのは誰でもがいう言葉だと思う。当時のマツダは倒産の淵に立たされていたわけだし、その状況の中ですべてを新開発して賭けに出て、あろうことか世界中で売れまくったおかげで倒産を免れたといっても過言ではない。

誰もが絶対に売れないと思い、欲しいけれど買えないと思わせるオープン2シーター。確か当時世界中で販売していた量産車は(うろ覚えだが)MGくらいしかなかったと思う。トルクもパワーもなく5000rpmを越せば途端にガサつくエンジン、鬼のようなアンダーが出るFRは発売当初、メディアから一斉に称賛されつつも購入したカー雑誌の編集者たちは、様々な不具合を感じつつもオープンカーであることで相殺していたものだ。

当時の日本車はサンルーフブーム。鳴り物入りの日産フェアレディーなど、着脱式のTバールーフという意味のない仕掛けをラインナップしていた。そもそも、運転していて屋根が透けて見えることに意味などないし、まして直射日光で日焼けする車に女性は乗りたくなかったのだ。

しかしロードスターは違った。最初から屋根などなくて、雨の日には絶対にかけたくない申し訳のような幌があるのみ。当然1年もしないうちにビニールに傷がつきルームミラーは使えなくなった。それでもロードスターは世界中で売れまくった。その理由は当時誰もがオープンカーなどに乗った経験がなかったし、遊び心で購入してみる気になれる100万円台の価格設定にあった。しかし、それ以上に重要だったのはパッケージングだった。FRだったので、後部トランクに結構な容量が確保でき、オープンと割り切ったことで室内のタイト感が薄れた。またセンタートンネルが必要なために助手席とのセパレート感も演出できた。

2人で気軽に旅行に出かけることが可能なオープン2シーターは今でもロードスター以外にない。

つまり、売れる要素の陰には必ずパッケージングという要素があるのだ。それがいまのマツダ車には見当たらないのは非常に残念だ。

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見切りの悪いデザイン

現在のマツダ・ラインナップは各車種共通のデザインコンセプトを持ち、グリルをフィーチャーしたアウディから始まるデザインコンセプトを積極的に採用していて、そのためにマツダ各車はフロントノーズが長く見切りが非常に悪いという欠点がある。

見た目が優秀なデザインという評価もあるが、量販するための最も重要な「運転のしやすさ」「ワイドな視界の確保」をまるで忘れているようなそんな雰囲気さえ漂う。また各車ともにAピラーの角度がきつく、全席の着座位置は思った以上に後方になり、見切りの悪さを助長している。

この時代、自動車ユーザーは性別、年齢層等多義にわたり、いわゆる高度成長期のような「車好き」は高齢化が進んでいる。そして最も重要なことは、デザインで車選びをする層が思いのほか多くはないということ。国内でいえば、デフレの影響で高額化してしまった車を買う層はますます高齢化しているということであり、「これが最後の車」と割り切り「より高齢になっても運転しやすい車」を選ぶ。

海外比率の高いマツダ車は、より洗練された海外メーカー車のデザインと競合しなくてはならず、その場合のロングノーズ的なデザインは敬遠される傾向が強い。

さらに言えば、フロントからリアまでのサイドエッジは非常に優秀なデザインだが、それとてロングノーズ的なフロントからの流れの中で成立しているものだと思う。しかしデザインに特化した量販車は販売が極めて難しいと思う。なぜなら経済が厳しくなりつつある状況では、車選びのデザインウエイトは低くなってしまうからだ。

昔、鳴り物入りで出たホンダのS2000を手に入れたが、ロングノーズの取り回しの悪さには閉口した。動力性能、エンジン特性、足回り等々非の打ちどころがなく、アシスト付きのステアリング特性にさえ慣れたら、市中では最も速い車だと思った。しかし、このオープンカーもロングノーズ故の見切りの悪さは、同時期所有していた初代NSXやインテグラRとは比較にならず、2年ほどで手放してしまった。4気筒のエンジンを12気筒でも詰めるスペースに積んでいるようなそんな感覚だった。

もちろんそこにはドライバーを車の中心に設定するという作り手の主張があったのだが・・・。

スポーツカーと覚悟していても街中で見切りの悪さは致命的だと思った。特に交差点の横断歩道では幼児が怖くて、身を乗り出すようにフロント左を気にしたのを思い出す。

量販車では、デザインや運動性能を多少犠牲にしても、可能な限りショートノーズを心掛けるべきと思う。結局そうした安全性やドライバビリティへの配慮が車の評価につながるのではないか。3代目デミオのデザインを全否定するようなロングノーズはいらない!

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マツダ車の意味

年々マツダ車であることの意味が失われつつあるような気がしてならない。社格としては国内第4位のフルラインナップメーカーであるマツダだが、この規模でイメージを画一化することは確実にハイリスクなギャンブルなのではないかと思う。

スカイアクティブも結構だが、シャシーをSUV、コンパクト、ワンボックス、ロードスターと4車種に絞り込み、バリエーションを持たせる手法しかないように思う。例えばMAZDA2(デミオ)やロードスターにEVがあれば売れる気がするし、それを見越したパッケージを作る必要があるのではないか。

全車種をスカイアクティブ・テクノロジーとするのならば、EV化は遠のくばかりではないか。

マツダの企業規模と社格からして、フルラインナップを豊富に維持するための手法は、単なる技術者の傲慢にしか過ぎないし、マツダという企業を支配する技術信仰の悪癖のような気がしてならない。ぜひとも個性的な車づくりに回帰することを望むばかりだ。

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