すべてを失った時、何を考えていたんだろう
- 2019.05.26
- 放言

5年前の自分には、本当に何も残ってなかったねぇ。全財産はもちろん、家族や友人も、誰もが去って行って自分はひとりだけ取り残されたと思った。いろいろ整理が終わって気がつくと、飼い犬が一匹残っただけ。
知人の善意で古いアパートを借りられたけど、飼い犬がいるのは内緒でね、それこそボロボロの車と確か55万ほどの現金が手元にあっただけだった。残ってた家財は狭いから持ってこれなくて、衣類だって必要な分だけ段ボールに詰めて。残りの私物はコンテナを月々¥1,500で借りて入れて置いたけど。
とにかく飯食わないと、と思って職安に通って面接受けて。ところが片っ端から断られて、履歴書作るのがアホらしくなった。夏場だったんで暑くてね、犬も茹だって元気なかったなぁ。仕方ないんで、日雇いアルバイト始めて、10万位稼いで家賃払って光熱費払って食費が5万くらい残ってね。いい歳した男がたった10万円稼ぐのに疲労困憊でさ、どうなってんだ、この日本社会、みたいな。
3ヵ月くらいやったら、体がついて行かなくて止めた。
考えるのは後悔ばかり
なんで、50男がこんなことになる?みたいな。ここに至る経緯をいろいろなぞってみるんだけど、どのシーンを思い出しても、どうすることもできなかったと諦める。溜息ついてその繰り返し。
年の瀬になって、暖房器具もないし、エアコンは電気料金が惜しかったし、着れるだけ着てじっとしてる。6畳一間の中央に座ってると、飼い犬がすり寄ってくるのよ。犬ってのは、くっつきたがるんだよね。でも体温高くて温いから抱いて寝てたな。
テレビでは世間がクリスマスに浮かれてたり、お笑い芸人がバカ騒ぎしてて、鬱陶しいのでほとんど見なかった。芸人なんとかしろ!みたいなね。
師匠の面影
年の瀬が押し詰まって、いろいろ整理できたことを師匠の霊前に報告に行った。師匠が亡くなって3年になるけれど、師匠のお陰で数千万のカネが出来て、それを整理に使えたし娘達の学費も確保できた。株を16年もやっててその間損した分を取り戻せた。それだけで本当に有難かった。
仏壇には昔交通事故で亡くなった息子さんの遺影と師匠の遺影が並べられてた。そしてその横に俺と師匠がモニターを見てる時の小さな写真が置かれてたんだ。いつの間に撮られたのか覚えがなかったけど、二人とも笑ってるんだよな。
手を合わせても師匠は何も語らないけど、妙に懐かしくてね、涙が自然に毀れたよ。
師匠とザラバ見てると本当に楽しかった。そんな記憶が次々に蘇ってきた。
ご無沙汰してたお宅に伺って奥様に親身になって心配してもらって、「私は食べないからどうぞ」と言って黒毛和牛の肉をいただいて。ボロアパートに戻ってきて、ただ焼いてね、エバラ焼き肉のたれをぶっかけて食べた。もちろん犬にもお裾分け。ガシガシ食べてたな。腹減ってたんだろうねぇ・・・。
死ねない辛さ
世間はアベノミクスに浮足立ってるけど、現実問題として大都市以外では50男が就職するのは本当に難しいしね。俺みたいな経歴だとほぼ絶望的。社会というコミュニティから仲間外れにされる。それは、経験しないとわからないよな。
だから自力で何とかするしか道がなかった。けれども、疎外感とか寂しさとか、とても表現できないような孤独感に襲われてそこから抜けだすのは尋常ではないのよ。
「生きてても意味がない」
いつもそんなことばかり考えるようになってたしね。犬を散歩に連れ出して少し歩くと踏切があってね。その前で立ち止まるのが怖くて決まってそこで迂回して帰った。
けど、正月になってふとその踏切の前で足が止まったんだ。精神がボーっとしてきて周囲が見えなくなって引き摺りこまれるような感覚になって。警報が鳴ってるんだけど、その音が妙に心地よいというかそういう感覚。遮断機に手をやって何歩か前に出ようとした瞬間に犬が吠えたんだよ。
ふと我に帰る、みたいなそんな目が覚めるような感覚だった。
死ぬこともできないのか、みたいな辛さで目前を通過する電車の乗客を眺めてね。遮断機が上がっても泣いてるのよ。
何かのために
結局人間というのは、自分のために生きられないのよ。あの時だって犬が吠えたから今の自分がある。俺には何もないけれど、でも犬は飼い主死んじゃうと困るんだよな。だから犬の餌代稼ぐために生きる。
そんなさ些細なことでさえ、こじ付けかもしれないけれど、生きるための理由になると思った。周囲を見るとまだ何人か俺が必要かもしれない人間もいたしね。恩着せがましいけれど、そういう人の役に立てるように生きてみればいいと。自分なんかどうでもいいのよ。第一、自分の為じゃ生きられないのは分かりきってたからね。
そう思えたら今自分に何ができる?と。何も考えないで淡々と自分の出来ることをすることに決めたのよ。結果なんか関係ないし、そういうことも気にしない。将来のことも、過去も考えないで生きる。
それで手元のカネを証券口座に入れて2月の初めに株式投資を再開した。正直このときに負けたらどうしようとか考えてなかったと思うし、犬の餌代を稼ぐ(もちろん自分のも)ために始めたようなものだった。
いま考えると、客観的にみれるから「何やってんだ」みたいな感じするけれど、人間のやることに間違いなんかないし。目の前の出来ることをやるしかないんだよね。
何かをやろうと決めた瞬間に視界が広がってくる
人間ってのは、やる人間とやらないで批判ばかりしてる人間と色分けされちゃうと思う。ネットにバカことを書き込んだりするのはやらない人間だ。やらない人間には何もできない。
だからやって失敗する方がいい。
それはやる人間だから。
そういう考え方ができるような精神状態になるには、生きる意義が必要で、それが「何かのために」と考えられないと難しいと思った。
自分がカネ儲けしていい車に乗って、旨いもの食べて、という目的は失敗すると自己否定になるから無理なのよ。すぐに挫折しちゃうしモチベーションが維持できない。
なんでもそうだと思うけど、とにかく後先考える必要もないからやってみる。やってみると不思議に次にやるべきことが現れるんだよね。その繰り返しが生きるってことかもしれない。
株式投資を再開するときに師匠の墓に参って、報告したんだが、「二人分(俺と犬)の食費を稼げるだけの運をください」みたいに合掌してきた記憶がある。その後の4年間はブログに残した通り。7000本の記事になってる。
勝つとか負けるとか考えてなかった
今思うと、ただ出来ることを淡々をやっただけ。勝つとか負けるとじゃなくて、仕事にしなきゃいけなかったし。半年くらいして昔の部下にあったとき、「ブログやってるならアドセンスすると小銭が入りますよ」と聞いて即始めた。半年で5000円位になってね。その頃、チリジリになってた娘達のために残してやろうと思って以来1円も手を付けずにここまで来てる。
そういう目的もあって毎日ブログを書き続けた。一口に7000記事って言うけど、こんなのはアホみたいだよね。ただ書きなぐっただけのカス記事だけど、俺には大きな意味があるんだよね。
株式投資以外に何も考えてなかった。年々歳をとるとか、生活をどうするとか、何を食べて、何を着てとかも真剣に考えてなかったと思う。
同じ頃、ブログを始めた個人投資家のB君が(知り合いではないけど)苦戦してるのを見てるんだよ。彼は目的がないから負けちゃうって思う。誰かのために、何かのために、という生き方したら本当に大成功する素質があるし。
彼は俺が1万勝った、2万勝ったと書いてる時期、一気に数百万も稼ぎだしてたんだよ。同じような元手でね。羨ましかったな。けれど、俺には目先の犬の餌代だったからね。
淡々とやっただけ。
けれども誰よりも、恐らく日本中のどのアナリストよりも多く米国市場を見つめてきたと思うし、株漬けの日々だったという自信がある。今だって毎日米国市場をウォッチしてるしね。多分日本で一番、ダウの値動きを見てる投資家だと思う。バカだからただ長時間見てるだけだけど。
すべてを失ったとき、考えていたこと
自己否定だったかも。カネがない、モノがないと、自己否定しちゃう・・・。笑っちゃうよね。そんな薄っぺらな生き方してきたのか?ってことだよ。
今は、女房もいるし、犬も元気だし。介護しなきゃならない親族もいて父親もいて。家族も離れたけど元気でいて。
介護は本当に大変で、翻弄されちゃうけど、人のためになってるという実感はあるんだ。そうやっていろいろあって、でも結果として自分に満足感が残ってることに気がついた。本当は、(人のために生きると言うことは)無形でもみんな自分に返ってくるという意味を学んだよ。
55年もかかってやっとだ。
で、このブログを読んでくれる人に少しでも役立てば、という気持ちで書いてる。ブログの収益は娘達のために。
でも本当に伝えたいことは、「すぐに行動しよう」ってこと。すぐにやる人間になること。それって、株式投資じゃなくてもなんでも同じだと思う。
それができないと、一生、批評家のままだからね。何も掴めないし、何も残らないと思うから。
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