株・師匠の教訓 2:勝ち逃げできた投資家を見たことありません

株・師匠の教訓 2:勝ち逃げできた投資家を見たことありません

師匠に株式投資のことをいろいろ習い始めた頃、質問するチャンスを伺っていました。その頃の最大の興味は、この人はどれくらい勝ったのだろう?ということ。この世界で40年も生きてきて、ありとあらゆる裏側を理解していて、それで負けるはずはない、と思ったのです。ところが・・・

「業界人は株式投資できんのですよ」

という意外な答えが返ってきました。

株屋という仕事

師匠が野村証券に入社した頃、証券マンというのは時代の花形のような仕事だったようですが、とにかく後先考えずにイケイケで手数料ノルマがきつかったと言うことです。夜打ち朝駆けというのは新聞記者の代名詞ですが、証券も同じようなものだったと言われてました。

「とにかくね、誰でもいいから株を売ってこい!」

という上司の叱咤が連日続いて心身が疲れ果て、同期入社のうち1年後に残ったのは10人に2人くらいだったと。入社したてで株なんか売れないし、伝手もないし、本当に営業掛けるのが嫌で仕方なかった、と言ってました。

小佐野賢治氏

ちょうど辞めようか迷っていた頃、上司の命令で小佐野賢治氏の使い走りをさせられて、それが面白くて退職を踏みとどまり、その後麻布自動車の渡辺喜太郎氏の担当になってとんでもないことをさせられたと。「現金の運び屋だったですねぇ・・・。毎日ボストンバッグを2つ3つ抱えて事務所行くんです。あの仕手戦は自民党のある議員が渡辺氏をそそのかして始まったんですが、途中で引くに引けなくなってしまったわけです」

「もう株価はどんどん上昇しちゃうけど、買いを止められない。あれは私が最初に経験した地獄でしたよ」

結局、20%まで買い進んで、株価が上昇し過ぎて集め切れなくなった小糸株を米国の投資家ブーン・ピケンズから引き取ると打診されて乗ってしまった。もちろん、ブーンは足元を見てくるから渡辺氏は大損してしまったわけですね。

それを経験した後、法人部門へ移り企業・銀行・生保などを担当しながら、ディーリングの腕を磨いた訳です。

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儲けた利益は分からない?

とにかく当時の株式市場は、投機市場だったわけですから、乱高下も甚だしかったらしいです。そして、山師のような投機家達が兜町を跋扈していたらしいですが、後に不二家や丸善石油、そして住友金属鉱山で派手な仕手戦を演じた是川銀蔵氏もそんな一人だったと言います。

「法人をやってた頃は、とにかく1年間で200%上げないとクズと言われましたよ」

次から次に出てくる思い出話は本当に面白かったんですね。株式投資を始めて損ばかりしていた当時の私は、いつかはこの世界で逆転してやる、と息巻いていました。そして師匠の口を突いて出る憧れにも似た別世界。それが「株屋の世界」だったわけです。

「おそらく200億くらい、いやもっとかな。すべて顧客資金ですけどね」

師匠が現役の頃の200億というのは、今ではどれほどの金額に相当するのか分かりませんが、証券の社員として大きな存在であったことは確かです。

そして野村を退社後、中堅証券に部長待遇で迎えられ転籍。それからバブル崩壊という第二のこの世の地獄を経験したのでした。

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バブルは日本経済の桃源郷

実は野村から転籍するまで半年間の間に、退職金の少なさに憤慨して初めて個人で株を買ったと言うことです。しかし、なぜか個人で買うと勝てなかったと言ってました。

「退職金が半年で消えちゃって、女房にどやされました」

そう言って苦笑いしていましたが、その後日本経済のとんでもない姿を経験するわけです。

当時は株式市場よりも不動産で、とにかく一度の転売で5倍、10倍と値が吊りあがる時代・・・まさに狂乱というにふさわしい日本経済の在り様だったと言います。

日本経済に不可能はない、と誰もが思っていて三菱地所がロックフェラーセンターを2000億で買収した時は、「このまま米国を全部買う」と公言していたと言います。

「それから比較すると株価の上昇などは大したことはなかった」と言うことでした。かれこれ30年ほど前の1989年の大納会、日経平均株価は¥38,957.44という史上最高値の到達しましたが、むしろ株よりも不動産だったわけですね。

「株が遊びになった時代」と師匠は言ってました。

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勝ったら止められる投資家になってください

夢はあっという間に醒めてしまいます。バブル経済は政府の所謂金融機関に対する融資制限を課す「総量規制」により、一気の崩壊しました。その後はまさに地獄が始まったのです。

もちろん株式の暴落によって証券が抱えていた顧客はほぼ全員が身動きのとれない状況に陥り、証券会社自身も収益源を失ってとことん疲弊し、消えてゆきました。

「もう思い出したくないですね」

その後山一証券が破綻し、金融危機に陥る頃には師匠は退職していたと言います。そして、一連の話の最後に付け加えました。

「もし、株で勝てたなら、止めてくれますか?」

「というと?

「必要な資金が手に入ったらすっぱりと止められますか?」

「それはもう・・・」

「私はね、勝ち逃げできた投資家を見たことないんですよ。勝てば勝つほど止められなくなるのが株です。もちろん、不動産で大儲けしたら、その記憶に支配されて止められない。まだ総量規制が入って1、2年の頃はみんな勝ち組だったんですよ。そこで止めたら何の問題もなかった。けれど止められないんですよ。止めないからみんな地獄行きでした。株もそうです。同じなんです。ですから、止められないなら教えませんよ。もう悲劇を見たくないんです」

「約束します」

「なら、勝たせますよ。私はね、他人の資金を増やすのは名人ですから」

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止められるなら勝てる!

この話は、いつも私の脳裏から離れません。個人投資家が勝つためには、勝ったら休むべきです。少なくとも次の取引まで、しばし時間をおくべきです。

「株で勝つ」ことを志向する場合、「株で連続的に勝つ」とイメージしがちですが、それは有り得ないことかもしれません。勝ったり負けたりするのだから、勝ったときくらい、一息入れる位がちょうどいいんです。

私にとって貴重な師匠の教えなので、時が来たらキッパリと止めると思いますが、いまはまだ止められんのです。

 

師匠 斜陽編
師匠 斜陽編
http://shisyo.blog.jp
個人投資家、灘株太郎の自伝的連載小説
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