大村知事 迷走
- 2019.08.14
- 放言
「あいちトリエンナーレ2019」で、慰安婦を象徴する少女像を含む企画展に脅迫メールなどが相次ぎ展示が中止となった問題で、愛知県の大村秀章知事は13日、津田大介芸術監督が中心となって展示再開について、企画展の実行委員会と協議していく考えを明らかにしました。(中京テレビNEWSより引用)
今回の企画展「表現の不自由展・その後」の中止理由を大村知事は「(ファックスで脅迫文が届いたりしたことで)安全性に配慮して中止にした」と会見で述べています。
最初からトラブルを意図していた大村知事
ジャーナリストの有本香氏によれば、大村知事は6月の段階で、津田大介氏から今回の企画展の内容を聞いていて、それを実行委員会に直前まで(意図的に?)伏せていたと言うことです。
もちろん「あいちトリエンナーレ 2019」の出展作品については「あいちトリエンナーレ2019実行委員会」から候補作品が提出され、それを芸術監督である津田氏が選定したとのこと。
その段階でも、企画展についての具体的な説明はなかったと言うことです。
これはつまり、大村知事も津田大介氏も「物議を醸す」ということを事前に覚悟の上で、この企画展をごり押ししようとしたからではないでしょうか?
文化庁や協賛企業にこの情報が漏れたら、事前に問題になることも予想していたのでしょう。しかし、大村知事は「表現の自由」に固執します。
仮にそうした考え方ならば、芸術と称して「あらゆるもの」を展示出来てしまうのです。「尖ったものにしてくれ」と言うまでもなく誰でも、いくらでも、表現の自由を追求出来てしまいます。
「表現の自由」を単独で用いた場合、芸術はもちろん、猥褻、犯罪、苛め、等々、あらゆるものの無差別な表現が可能なのですから。
国民の批判に答えない(コメントできない)大村知事
今回の企画展に対する批判を公にしたのは河村名古屋市長でした。河村氏は「あいちトリエンナーレ実行委員会副会長」であるにも関わらず、開催後に初めて第三者から企画展の内容を知らされる始末。
つまり、「あいちトリエンナーレ実行委員会」とは名ばかりで、この国際芸術祭(?)はほぼ大村知事と津田氏で重要事項を決定していたと言うことになり、委員会での合議ではありませんでした。
しかし、今回の企画展に対する批判は愛知県民(日本国民)から上がったもので、それがネットで拡散されて騒動に発展したことが原因なのです。
にもかかわらず、記者会見でも大村知事は、こうした批判には一切答えず、中止の理由を「安全への配慮」とし、さらに河村名古屋市長に対し、「表現の自由を保障する憲法違反、検閲」と反論しました。
主催者であり行政の首長という立場であれば、真っ先に愛知県民(日本国民)の批判に対し、釈明をすべきではないでしょうか?
その上で、今回企画展を開催した趣旨を説明するのが行政の長たる筋です。
しかし、残念なことに中止からいままで、そうした説明は一切ないし、自身のツイートも削除するという逃げに入っています。
今回の企画展の中止理由を「安全性への配慮」としたわけで、河村市長の「憲法違反・・・検閲・・・」は関係ありません。そして脅迫を送り付けた犯人はすでに検挙されていますので、再開しなければおかしい、という識者や論客からの意見が出てきました。
それに配慮してか、わが意を得たりと思ったのか、掲題の「企画展の再開を協議する」ということになったのでしょう。
某県知事が、連合赤軍の作ったリンチの模様を描いた絵を芸術と称して県の美術館に展示したら、県民がらクレームが出た。脅しのファックスもあって安全性を考慮して展示を中止した。しかし脅しの犯人が逮捕されたら、再び連合赤軍のメンバーと展示再開を協議します、としたら、どうでしょう?
その某県知事も過激派と見られて当然なのではないでしょうか?
憲法を理解していない東大法学部出身
「(河村市長の行為は)憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。憲法21条には”集会、結社および言論、出版その他の表現の自由は、これを保障する”、”検閲はこれをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない”と書いてある」
「公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う」
「税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。河村さんは胸を張ってカメラの前で発言しているが、いち私人が言うのとは違う。まさに公権力を行使されている方が、”この内容がは良い、悪い”というのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたない」
これは中止を決定した時の記者会見で、大村知事が述べたコメントです。
そもそも中止を決定したのは大村知事です。知事の判断で安全性への配慮としておきながら、なぜ河村名古屋市長が憲法違反なのでしょう?
しかも検閲というのは「公的機関が民間に対し事前に内容を調査し、公開を差し止める行為」であって、公開後に差し止めてもそれは検閲ではありません。
そうした憲法の基本的な解釈ができない県知事というのは、ある意味恐ろしいと思います。大村知事は東大法学部のご出身なのですが・・・とても信じられない思いです。
「表現の自由=芸術」と考える幼稚さ
大村知事はどうやら「表現の自由」をそのまま「芸術」と考えている方のようです。確かに現代の芸術の多様性、価値観の多様性を考えると、多くの場合はほぼイコールとういう関係に成るのかもしれません。
しかし、行政が主催する以上、社会通念、道徳、国民感情、等々考慮しなければならないものはいくらでもあります。
そもそも慰安婦像は、完全に韓国の反日運動の象徴にでっちあげられた、韓国駐留の米軍の自動車事故により亡くなった二人の少女を悼む像だった。展示を見ると少女像の横に椅子が一脚あるのはそういう意味なのですね。
それを反日の象徴にして日本国民を傷つけてるわけで、それを芸術と称して「表現の自由」を守るためにあえて展示して、「愛知県では表現の自由をまもります」みたいなメッセージを発信できると考える。
そこに、大村知事の耐えられない幼稚さが垣間見れます。
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