かつて自動車は夢であり目標だった

かつて自動車は夢であり目標だった

国内で自動車が売れないと言う。そして、ディーラーの営業マンに聞いても知り合いの中古車ディーラーに聞いても「昔が懐かしい」なんて話題になる。先日、日常の足として使っている12年落ちの車を買い換えた時、いくつか候補車を選んだが、しばらく自動車購入とは縁がなかったせいか、その価格に度肝を抜かれた。

昔は、唯一の道楽というか、酒も飲まず身なりはかまわず、の生活のなかで唯一車には拘った。就職して少ないながら給料をいただくようになると、まず車が欲しかったし、結婚して家を持って、子供を大学にやって、とそんなありきたりな夢を持ったことを覚えている。

東京の街並みを走るソアラやコスモが本当に素敵だった。けれども当然買うこともできないわけだから、漠然と将来はそういう車に乗りたい、位の夢だったけど。

車は夢だった

ずっと東京に暮らしていたら、必ずしも車は生活する上で必要と感じなかったかもしれない。第一、東京で暮らそうとは思わなかったし、とにかくあの山手線の混雑にウンザリしていたから、どちらかと言えば早く東京から抜け出したいと思ってた。それで、数年のサラリーマン生活はまったく性に合わず、勢いで上司と喧嘩してさっさと辞めてしまって否かに戻った。

すると、すぐにその日から車がないと見動きが取れず、仕方なく教習所通いを始めざるを得なかったね。なので運転免許の取得は遅かった。地元の友人の助手席に乗せてもらって、気後れを感じながら、とりあえず早く免許が欲しくて、夜中にオヤジの車を乗りだしたりして、自主的に路上教習をしたりして・・・(もう時効だ)。なので教習所は規定時間で終了できてすぐに免許取得は叶ったけれど(苦笑)

2代目プレリュード

半年働いて中古のプレリュードを買った。グレードの低いノンパワステのマニュアル車。それからは、2年で6万キロ以上走った。とにかく、「自由を手に入れた」見たいな感覚で、休日になると独りでロングドライブに出かけたし、何よりも人を頼まずに自分で好きな場所に行けることが楽しくて仕方なかった。

ほとんど、ポンコツに近い車で、それが距離を重ねるに従って、あちこちガタが来る。まず、坂道ではブレーキが効かず、碓氷峠をサイドブレーキだけで下りたこともあった。リトラクタブルのヘッドライトは、すぐにヒューズが切れて動かなくなり、夜間では路肩に止めていつも手動で動かした。ノンパワステの重さと言ったら半端ないくらい。女性でパーキングはほぼ無理だろうと思った。

それでも、自慢できるポイントが一つだけあった。当時としては流行りの電動サンルーフが付いていたこと。秋になってサンルーフを明けていろは坂の渋滞を走ったとき、もみじがパラパラと室内に落ちてきてそれだけでたとえようのない満足感に浸ってた(前をゆく大型バスの排ガスも容赦なかったが・・・)。

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当時、排ガス規制が厳しくなっていて、毎年のように厳しい要求が米国カリフォルニア州から突きつけられる。メーカーもカリフォルニアで売れないと大変だから、とにかく何とか対応したいといけないという事情があった。その結果、プレリュードやシビックに採用されたのがCVCCというエンジンに副燃焼室を付けると言うとんでもないアイディア。後にエンジンヘッドをばらして見たけど、もう無茶苦茶な応急処置だと感じた。なので、エンジンは回らずパワーは出ず、おまけに足回りはローシルエットのお陰でサス・ストロークが取れずに、直進もカーブもボロボロでオーバースピードで突っ込むと車がどこに飛んでいくか分からないと言う、走る棺桶みたいな感じだった。

それでも4万5千キロで購入して3年で10万キロ弱を走ってクランクシャフトのメタルを割るまで、まさに愛車だった。いままで、車歴は40台ほどだがこれほど愛おしく思えた車はなかった。こういう生活が夢だったから・・・。

進化が止まって価格が上昇して

今の若者は車に拘らないらしい。というか、車が売れないから、その原因を若者の志向のせいにこじつけてるだけ。正直、誰でも車は欲しいと思うし、若者はスポーツカーやRVに憧れるだろうし、オヤジは高級車や外車に乗りたい。大きな高級ミニバンは、その筋の親分御用達ってわけじゃなく介護カーに最適だろうし。

ところが、敢えて若者は車に感心を持たないようにしているとしか思えない。原因は言うまでもなく、メーカーが世界的なカルテルのごとく吊り上げてきた価格にある。というか、それ以外に理由などあろうはずがない。

車購入を考え始めて、ウエブでいろいろ見ていたら、「やはりな」という記事が、いろいろ目に付いた。その中でももっとも分かり易かったグラフを掲載します。

 

http://www.garbagenews.net/より引用

このグラフは、2016年までは国産・1500cc~2000cc以下、2017年以降は国産・普通乗用車、というカテゴリの価格を総務省統計局の小売物価統計調査から抽出したもので、消費税込みの実売価格統計を使って、物価変動を加味して調整したグラフ。

確かに1980年当時、猫も杓子も「ホワイトのマークⅡ」と言われる時代だったが、確か「グランデ」というグレードは200万以下で十分に購入できた。もしいま、同じグレードの車を購入しようとすると恐らく400万以下では無理だろう。中流家庭のシンボルだった2000ccの4ドア(セダン)の価格は2倍以上になったけど、実質所得は1.1倍でしかない。

この流れ、軽自動車も同様で、100万円以下でお釣りがきたものが、今は200万でも怪しくなってる。メーカーに言わせると、縁全対策の基準が年々厳しくなって、それに莫大なコストがかかってるということだが、そういう話でもないことは明白だね。

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とにかく国内の自動車価格は1980年までは、インフレを加味しても量産効果で下がり続けたんです。もちろん可処分所得もそれなりに増えてきた時代だった。しかし、バブルになって、日本メーカーは高級車、高額車路線に切り替えた結果、バブル経済崩壊直後に国産車として初めて500万円を超えたのが日産シーマだった。自動車の開発には最低でも2~3年はかかるから、バブル最盛期に開発にゴーが出た車種は、発売がバブル崩壊後だから。

いずれにしても、これを機に国産メーカーは次々にハイパワー車を繰り出したりして、それなりの盛り上がりを見せた時代だけど、最高速度180キロ、最高出力280馬力というお上主導の自主規制のために、どれもこれも横並び。その後F1ブームなどもあって高級路線に血道をあげた結果、自動車価格は毎年ジワジワと上昇を続けることになる。

けれども、メーカーがいかに宣伝しようとも、自動車の基本的な技術は少なくとも2000年には開発の余地がなくなった暗黒時代となる。公道で足回りも何もないし、最高速制限の100キロは計算上40馬力あれば出せるわけで・・・。なのに価格だけはジリジリと上昇をし続けた。

家族を考えたらミニバン

初代エスティマ

バブル崩壊以降(1990年以降)、RVブームが到来し、そして2000年以降はミニバン人気が静かに到来した。その結果、高価になり過ぎて使い勝手も余り良くないセダンや、無駄なスポーツカーは売れなくなってきた。かく言う自分も1993年に家族が4人になって、まず購入したのがトヨタ・エスティマで、これは不格好なデザインだけど、プレリュード以来の感動だった。

2400ccの4気筒エンジンをミッドにスラント(傾けて)搭載して、まるでディーゼルのような音もしたけど、2列目の独立したシートは快適そのものだったし3列目も高級セダン並みの足元の広さがあった。よく、家族で遠出のドライブ旅行をしたし、とにかく便利で、これがブームにならないはずがないと確信してたね。

今は災害が多く発生して、避難所もままならない状況になってるけれど、このクラスのミニバンがあれば、避難所や仮設住宅よりもプライバシーが確保できて快適だろうしね。

結局その流れは今でも続いていると思うし、こういう車種は思ったよりも生産コストがかからない。だから他の車種よりもお買い得感さえ出せば確実に売れる。日産セレナの戦略だけど、愚かな日産はセレナの価格も吊り上げてしまった。

なので、もしもカーシェアやレンタカー(期間貸し)するなら、こういう大きめのレジャーカーがいい。普段は小さな車で十分なので無意味に高級志向の必要もないし、パワーも必要なし。今の時代は大パワーカーは正直馬鹿っぽくて困る。ガソリンなら1000cc~1500ccで十分で、ハイブリッドのプリウスやアクアでいい。いや、ハイブリッドも高価すぎるか。

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安い車を作れるメーカーが生き残る

世界的に自動車メーカーは、価格をとんでもなく吊り上げた。国内メーカーも2014年辺りからの価格吊り上げには特別な理由がない。トヨタがレクサスで高級路線をエスカレートさせたから、うちも、みたいなそんな感じ。ミニバン開発がエスカレートしてきてコスト高になったという背景もあるだろうけど、明らかに経済状況とは逆行してる。だから、車が売れないのは当たり前だ。

けれども個人投資家としては、現状の経済成長が一体いつまで続くのか?と考えると今の自動車業界の路線は明らかに間違っていると思う。

自動車メーカーがEV路線を拡大するのは、確かにガソリンエンジンよりも開発が楽で、低コスト化の可能性が大きいし、高性能な全個体電池が進化すれば、爆発的な普及もあり得る。けれども現状のリチウムイオン電池ではダメだろう。

また、とにかく急速充電ができないと、EVは使い物にならないし、自動運転は莫大なインフラ投資が行われない限り実用化は不可能。そう考えると、結局のところ、管理社会にする必要が出てきてしまって居心地が非常に悪い社会になりかねない。

今頃騒ぎだしたコネクテッドカー。この分野ではテスラの行き方は大正解だと、いち早く取り入れたのがメルセデス。有機ELパネルになって車載の信頼度が高まったので、もう機械的なメーターやNAVIは必要なくなる。ドライブレコーダも標準になるだろうし、あらゆるデータが5G、6Gで管理可能になる。

テスラ モデルS

車の性能もすべて管理できてしまう。いま1億円のブガッティよりもテスラのほうが0-100km/hの加速は早い。その加速はムチ打ちになるくらいだ。テスラ最速はたった2.5秒!(雨天でもスリップなしに可能な加速なのだからそれはもう暴力だ!)

なので、自動車は従来の大半の技術は不必要になってしまって、シャシー技術と電子技術だけで十分な時代になるだろうね。けれどもその前に、不況になって結局はメーカー統廃合せざるを得ないだろうし、その時には安い車を作れるメーカーだけが生き残る。

そして次は、テスラの出番かも。ゲイツ、ジョブス、ベゾス、と来たとんでもない人物の上を行くのは、イーロン・マスクに間違いない。その時トヨタはどうするんだろう?

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