私的小説 師匠 彷徨編(第一章 冷たい雨 前篇)

私的小説 師匠 彷徨編(第一章 冷たい雨 前篇)

冷たい雨(前篇)

1

麻生首相は経済を全く理解できてはいなかった。リーマンショックの影響が先進国で最も軽微と目されていた日本は、景気対策に後手を踏み続けた結果急激に輸出が行き詰まり、折からのデフレとあいまって先進国ではもっとも激しい景気の落ち込みとなった。

時の麻生政権は、2008年末と2009年4月に真水が3割程度しかない陳腐な補正予算を組むことで乗り切ろうとして頓挫。この極めて無能かつ曖昧な景気対策と日銀の無策によって円高は進行し続け1ドル¥80台に突入した。どん底の春先から自民党に対する風当たりは一層強まり、期を逸した麻生首相は衆議院任期満了ぎりぎりまで引っ張った挙句の7月13日に解散総選挙を表明、21日に衆議院解散となった。それが真夏の政権交代劇の幕開けになるかもしれないということをメディアは連日報道し、世論はメディアの思惑通りに誘導され、日本に民主党(左翼)政権誕生という政治史の汚点を作り出してしまった。

結局リーマンショックという出来事が、政治家や役人は経済危機に瀕して右往左往するばかりで何もできない様を、国民の前に曝け出したし、事実全くの無策だった。一方、その政権の様を連日攻撃した野党に国民は期待した。その口先ばかりの主張を額面通りに受け取れば、日本経済は再生できるのではないか?と藁をも縋る思いになったのは当然で、かつてバブル崩壊で20年余りも苦しみ続けたことを国民は忘れてはいなかったのだ。

経済通を自認する麻生首相は、胆力に欠け、決断することができず、日本経済を立て直すことなど到底出来はしないという失望感が急速に拡大し、与党に対する政治不信は野党に対する信任に変わり、歓喜の中で民主党(左翼)政権は産声を上げた。

 

8月に入ると台風の影響で、お盆休みは連日大雨となり梅雨明けの暑さが嘘のような肌寒い夏となった。急激に天候が崩れ多量の雨に見舞われたかと思うと、晴れ上がりはするものの、気温は30度を超えることはなかった。お盆休みが終わり、連日雨空で晩秋を思わせるほどの冷たい雨が、リーマンショック後の不況に苛まれた日本人の心を冷やした。日本経済は1年経っても回復の目途が立たず、この先どれほど苦しまねばならぬのかと日本人は皆たじろいでいた。

子会社を身売りして単独事業となり身軽になったとはいえ、新規案件の獲得では大いに苦戦を強いられた。年度内で総務省のシステム開発は終了し収益の柱を失うことも明らかで、来春までには新たな受注を相当数獲得せねばならなかった。月次の業績は低空飛行ながら何とか赤字を免れて年内は銀行返済もこなせる一応の目途はあったが、とても以前のような上昇志向を前面に押し出せる環境とは言えなかった。各企業のマインドは回復の兆しが見えない日本経済の前に委縮して、少なくとも今年度の新規投資は絶望的に見えた。

8月になっても週2度の師匠宅訪問は欠かさなかった。その間、先行きで新会社の設立で合意していた矢沢が社内を取り仕切ってくれていたが、対外的な体面も社内組織運営上からも身分をはっきりさせねばならず、月末には取締役に名を連ねることになった。同時に本社内の別フロアに自身の会社を移転させ、矢沢は二足の草鞋を履くことになった。

元来8割方当社の外注だったこともあり、このスキームは思いのほかスムーズで、社員同士の確執もなくむしろ歓迎する者が多かった。

7月の小天井で¥878を10000株売った野村は、師匠宅に通いながらあれこれを教えを受けながらも、8月は二度取引をしただけだった。結局下値は¥770までで、¥80ほど抜いた時点で買い戻し、買いに転じて¥40ほど抜き、そして再度¥832付近で15000株の売り建てをした。

「師匠、また空売りしても大丈夫なんですか?」
「分からんねぇ・・・」
「なんか上昇しそうな気がするけど・・・」
「若、今の株価は戻り天井での揉み合いですよ。そこで売りで獲れて、買いで獲れた。そうしたら今度は売りがセオリーなんですよ」
「セオリー、ですか」
「そう。ただ必ず勝つとは限らんからね。上放れしたらすぐに手仕舞えばいいんですよ」

多分、師匠は確信を持って意見を言ってるわけじゃなく、セオリーを教えようとしてるのだ、と思った。「株価の動きはセオリーに支配される」というのも8月に教わったことで、だからこそ、売りを手仕舞いした後に逆張りでの買いを指示したのだ。当然、空売りも逆張りの買いも、含み損を抱えることになるわけだが、それでも師匠は悠然としてショートホープをくゆらせていた。

「8月は株価はそこそこ保ったでしょ。保ったというよりむしろ¥770底で反発してますよね。けれども、一旦は手仕舞いする場面という状況は7月の末と変わってませんよ」
「どうしてそう判断できるんですか?」
「若、若は個別の値動きしか見てないでしょう?でも、株価は外部環境によって左右されるもんですから」
「というと?」
「選挙ですよ」

海外勢のロングに対する姿勢は、政権与党の継続を前提として組まれたもの。それが、足元で野党優勢となれば、そして万一野党政権奪取となれば、当然一旦の巻き戻しになる、というのが師匠の説明だった。

「若、苦労知らずのおぼっちゃんには、何もできないということですよ。あっ、若のことじゃありませんよ。若は十分に辛酸を舐めてらっしゃる・・・」

師匠のどこまでも奥行きの深い笑顔がそこにあった。

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8月15日に親父宅に出向き、仏壇に向かって合掌した後、子会社身売りの裏話をあれこれ聞かせ、久しぶりに夕食でも、となった時、
「お世話になってるんじゃ、有坂さんも呼ぼうか」
と親父が言い出した。
「お前、まだ通ってるんだろう?」
「週2度かな。やっぱりプロは凄いよ」
「なら、礼は尽くせよ」
「だったら親父、ご夫婦を誘おうか」
「そりゃいい」

遠慮がちな奥様を電話口で何とか説得し、先月次女の美樹と久しぶりに出向いた「築地」に席を設けた。
「では、ご夫婦で。こちらは親父と二人です。5時半にお迎えに上がりますから」
「ではお待ちしています」
気のせいか少し、奥さんの声が華やいだように感じた。

いそいそと身支度に30分ほどを掛けた親父を乗せて師匠宅に向かい、「お盆ですので」と親父が言い二人で奥の仏壇に手を合わせた。

「もう35年になるか・・・生きていたら若社長より確か2歳上の・・・なぁ」
「そうですね。きっと、卓哉も弟ができたと喜んでます。ご丁寧に有難うございます」

僅か1時間ほどの間に奥様は和服に着換え、師匠はグレーのダブルのスーツといった正装で、親父はゴルフウエア、そして自分はボタンダウンのカッターといった何とも奇妙な組み合わせになった。
駐車場から小さな木戸を開け、雨に濡れた飛び石のステップを注意深く渡って裏から玄関口へ向かう。現代風に改築されて以前よりも格段に明るくなった築地の玄関口には法事の会席なのか喪服姿の男女数人が案内待ちをしていた。電話では満席と一旦は断られたが、「奥の離れが空いてますか?」というと、「かしこまりました」と二つ返事なのは、以前と変わらなかった。

「若、このような高級な・・・・」
「有坂さん、心配無用に願います。これもそのくらいの器量はありますから」
「では、甘えさせていただきます」
「どうぞ、どうぞ」

親父はいつになく上機嫌だった。久しく会食の機会もなく、夏場の暑さでゴルフも遠ざかっていたからなおさらだった。予約の旨を告げ仲居さんに案内された十二畳ほどの和室。かつては年に2度ほど接待で使っていた小じんまりとした中庭を挟んでいるこの座敷は、常連の指定出ない限り混み合っても使われないと以前に女将から説明を受けた覚えがあった。当時、上場を目指す勢いに任せて、中庭の鹿威しが耳に付くといって止めさせたりもした。そうした少し傲慢な振る舞いが、自身の価値を高めると思いこんでいた時期が懐かしかった。

4人とも寛いで冷酒の酔いも回りながら、それでも正装の奥様の乱れまいとする仕草もあって、その場はとても品のある席となった。運ばれるコース料理も見事な懐石で、最後には2尾しかないという金目を煮つけにしていただいて、赤出汁のなめこ汁と丁寧なぬか漬けとで少しのご飯をいただいた。それを奥様が大変に気にってくれて、「殿方は仕事と言いながらこんな美味しいものを召し上がっているんですね」と横目で師匠を軽くつついて見せた。

「お前、今日は、こんなのは特別なんだよ」
と言って師匠は言い訳をしたが
「有坂さんは奥さんに内緒だったの?」
と親父がつつき、一層和やかな雰囲気となった。
最後に季節の果物ををアレンジした小づくりの8品のデザートをいただいた時、奥様は涙ぐんだ。
「こんなお店に招待していただきまして、私初めてなので・・・」
「おいおい・・・」
「卓哉が生きていたら、若社長のようなこんな高級なお店は無理かもしれませんが・・・」
師匠も神妙な顔になって俯いた。

「奥さん、長生きしたら辛い思い出もあるでしょうけど、いまを明るく過ごすことが大事ですから」
「はい・・・」
「私もね、失敗ばかりしてきて、でもこいつも苦労してやっと人生を覚えとる最中で。出会いってあるもんですなぁ。喜連川で出会ったからいま、こうしてお付き合いさせていただいて。今後もこれのこと、よろしくお願いします」
そう言って親父は師匠と握手をして、師匠は
「こちらこそ。息子ができたと思って一生懸命にやらせていただきます」
と返してくれた。

師匠はこの日、本当の師匠になったけれど、この人を追い越さない限り、株式相場での成功はないものと確信した。

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2

総選挙で与党が大敗し、政権交代が現実のものとなって目の前に突き付けられ、新たに表舞台に戸惑いとともに立つことになった軽薄そうな政治家達が政権を運営できるのか?という懐疑しか感じることはなかった。けれども、メディアは「最初はできなくて当然なので、しばらくは見守ることが大事」という意味不明の論調を形成し始めた。今の日本に、そんな余裕などあろうはずもないのだが、それでも現実の厳しさを知らぬ知識人と称されるコメンテーターや政治評論家、キャスターなどが連日、出現してしまった左翼政権を擁護しまくった。

その喧噪の中、9月になると株式市場は変調をきたし始めた。左翼政権の誕生に失望した海外勢は、日本株に対してリーマンショック後の底値からのリバウンドに対し、売りで対抗し始めた。師匠の言葉通り、新政権誕生とともに野村も利食い売りが出始め、9月は下げ一方の相場となって¥832で15000株売り建てたポジションが、2週間で¥700を割り込み、3週間で¥600を割り込むこととなった。9月は夏の暑さもすっかり姿を消して、連日冷たい雨が投資家の心を冷やしているかのようだった。

「若、¥600は節目なので手仕舞いしましょうや」
師匠に促されて約50万株もの分厚い板に買い戻しをかぶせ、それがものの見事に一撃で売られた。そして340万もの、初めての大量利食いを経験し、400万の種銭はついには3か月余りで1400万を突破した。

「 若、400は引きだしておいては?」
「差し迫って必要じゃないので・・・」
「いや、それを引き出せばあとは利食い分だけで勝負できる。いざというときに躊躇いがでないですよ」
「なるほど」

利食いの後、9月はポジションを建てずにもっぱら、野村やトヨタの株価を監視しながら、板の節目に関して師匠の指導を受けた。現物株を放すときにはどんなファンドであっても必ず売り建てる。当時は制度上現物の貸借を伴わない所謂「裸売り」が横行していて、個人投資家や国内証券ディーラーは苦しめられていた。

規制のほぼない状態の日本市場で海外勢は現物買いと信用買いを駆使して買い上げた後に、揉み合いのなかで必ず売り建てをする。あとは、現物を成り行きで売ってさらには、成り行きで大量の裸売りを浴びせて株価を沈めてしまう。そうすれば、個人投資家の大量の追証売りを誘発できて、悠々と買い戻せる。こうした日本市場を舞台とする欧州勢の傍若無人が横行していたのだった。

「若、こういう遣り口は、小型株だと簡単にできる。それを当局は規制しないで野放し状態なんですよ。だからね、小型株は絶対に手を出さないでくださいね」
「でも、貸借でないなら空売りできないでしょう?」
「いやいや、裸売りは目立つからできないけれど、いくらでも借り株でできるんですよ」
「借りられたら誰でも?」
「できますよ」

手放す意思のない大口投資家と借り株契約をして品貸料と返済期日を決めたら、それを市場で売って
下値で買い戻せば、差額が出る。そこから借株料を差し引いたものが利益になる。それを制度化したものが、信用貸借指定なのであって、理屈はまったく同じだと。

「ライブドアの時にリーマンなんかそんなことを散々やって悪どかったね」
「・・・・」
「あの、堀江とかいうのも、ふざけた奴でね、そんなこと百も承知で持ち株を貸株して、テレビでは株価はわからないととぼけてたね」
「ああ、そういうことだったんですね」
「ほんとに許せないよ、ああいう輩は」

株取引の裏の事情も分からずに、表面上の情報で投資家気取りになって、やられた自分が恥ずかしかったし、情けなくもあった。

「若、今度は買いましょう。銘柄を探してみてください。こういう相場になると、輸出とかは厳しいんで意外な銘柄に資金が集中しますから。」
「探してみます」

6月から本格的に再開した株式投資は、野村の空売りで大きな成果となった。そして師匠の「今度は買いで」の一言が、やがて夢のような結果をもたらすことになった。

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冷たい雨が続いたりして、すっかり秋めいた9月の終わり頃、矢沢から相談を持ちかけられた。

「社長、今うちでモバイルゲームを手掛け始めてるんですけど、やってみませんか?」

取締役となって社内を預ける格好になった矢沢の提案だから、それなりに勝算もあるのだろうと思いながらも、ゲーム開発に対してはあまりいい印象はなかった。もともと、ゲーム開発は単独ではリスクが高すぎて成り立ってはいなかったし、いまさら任天堂やソニーのハード向け開発を手掛けるには遅すぎる。さりとて、それ以外のメジャーなプラットホームは見当たらなかった。

「社長、いま、携帯向けのゲーム配信が盛り上がりつつあるんですよ」
「携帯?こんな小さな画面で?」
「そうなんですよ。それが実はミソで、開発がやりやすい。」
「iモードとか、ドコモのプラットホームだろう?」
「そうです。AUもありますけど。これが一斉に出るんですよ。今年から来年にかけて。」
「こんなので、ゲームするの?」
「します。確実に。ただし認定を受けないとダメですね。後はDENAがモバゲーというプラットフォーム作ってるんでそれなら・・・」
「実際作ったの?」
「2作やってみたんですけど、意外といけるかも、という感触なんで・・・」
「なら、それが上手くいけば、来年の柱にできそうか?」
「本社の人材を使っていいなら、頑張りますよ」
「じゃ、具体的に計画作ってみてよ。それで決めよう。場合によっては新会社移行の柱になるかもしれないから」

実際に新会社移行の計画に関しては、画像を中心としたコミュニティサイトを立ち上げる計画になっていて、通常業務の合間を縫って3割ほどのコアプログラムを書き終えていた。しかし、ブラウザで大量の画像処理をこなせるだけのサーバーシステムの運用やコストの問題、さらには大容量のデータベースサービスを高額な料金で契約した場合の初期投資の問題等々さまざまな障害が山積していた。

今の日本経済の状況下で新規のシステム受注に頼ってばかりでは来年以降の目途が立たないと思ったし、問題意識は矢沢と共有してもいたのだが。本来、全力で新規受注に打ち込むべき時と十分に自覚はできていたはずが、順調な株取引の成果にとらわれて、今すべきことへの覚悟を持つことができなくなっていた。

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野村の空売りを手仕舞いして、師匠から「次は買い」の指示を受けていた。社長室でもいくつか銘柄探しを始めてはいたものの、どれも決め手に欠いていた。いいと思う銘柄は将来性はあると思われるけど、奈何せん小型過ぎて投資の対象にならなかったし、何より日本経済の先行きが見通せず、有望なセクターさえ選別できなかった。

「矢沢、DENAっていいのか?」

内線で矢沢に聞くと

「モバゲー当たると思いますよ。だって相当数の企業が参加してるっていうし・・・」

仕事柄、矢沢は業界内の情報が豊富だった。情報系の学部を卒業しているだけあって、横の繋がりも結構豊富で、時折思わぬ仕事を一本釣りしてきたりもした。DENA・・・・、外部環境に左右されにくい業種でしかも内需型・・・、いけるかもしれないと思った。

10月初め、最初に師匠宅に伺った時、DENAの話を持ち出してみた。師匠のあまり得意な分野でもなく、ネガティブな評価が下されるとは思ったが、3ヶ月の日足チャートを丹念に見ると、

「若、勝負してみますか」

と意外な返事が返ってきた。ザラ場は1株25万前後で揉み合って明確に買われているわけではなさそうだったが、二桁、三桁の注文で膠着している板は需給的には落ち着いているように見えた。

「これ、明確に買いが入ってますよ」

そういうと師匠はニヤリとほほ笑んだ。

「あと動くまでにひと月かからんでしょ」

何を根拠にそう言っているのかは分からなかったが、

「9月は買い下がってるから」
と表現した。

「分散しようといくつか選んだんですけど、これがいいと思って・・・」
「ならば、今、そこの71枚の板を取っちゃいますか?」
「えっ、25.5万で71枚・・・」
勢いとはいえ、すぐ上の76枚に増えた板を一気に買いついた。クリックした右手が震え、体の芯が熱くなった。
「若、ほんとに買うとは思いませんでしたよ。やっぱり若は度胸あるなぁ・・・」
振り向くと背もたれに寄りかかりショートホープに火をつけて深く吸い込んだ師匠の姿があった。

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3

夏休みの間、次女の美樹は女房と長女美羽のもとで都会暮らしを満喫して戻った。夏休み中の美羽といくつかの大学のオープンキャンパスを回り、大学への憧れも多少は芽生えたのだろうけど、9月になっても積極的に受験に取り組む姿勢は見られなかった。

「みんな元気でやってるか?」
「お姉ちゃんは相変わらず口煩いけど、お母さんは調子いいみたい」
「大学行く気になった?」
「う~ん、偏差値足らないしどうしようかな」
「相変わらず漫画描いてる?」
「漫画って・・・アニメって言ってよ」

休み中に東京へ行く条件は進路を自分なりに決めること、だった。美樹には大学進学も漫画家修行もぼんやりと道は見える。けれども、東京という圧倒的な都会の大きさに気持ちが飲まれ、ますます自信を失って戻ったように見えた。

「何かをしてもしなくても時間は過ぎてゆくよ。時間の流れだけ意識した生活は怖いんだ。何もできないでいるだけで取り残されて行くような気持ちになって、自分の殻に閉じこもるようになる。自己防衛本能で自分と時間の流れを遮断しようとするんだよ。」
「引き籠りにはなんないよ」
「そうだな。気持ちが引き籠りにならないようににならないように何かしようよ。受験するならあと数カ月、もがいてみようよ。アニメーターやりたいなら東京で修業と決めてチャレンジしようよ」
「パパはどう思う?」
「どう思う?というなら、パパは漫研のある大学へ行って欲しいって感じかな」
「漫研って・・・・」

少し話せば笑顔が戻る。幼い頃、お姉ちゃんと同じようにできないと言って泣いていた美樹。テレビゲームで負けるとすぐに泣く美樹に手を焼いた美羽は、いつしかわざと負けて機嫌取りをすることを覚えた。あの頃からずっと美樹は美羽の背中を追い続けた。

小学二年の時、六年生の美羽が自分のホームページを開設したのを見て、「私もやる」と駄々をこね、タブレットで描いた落書きのような絵を掲載したホームページを美羽が作ってやった。すると、しばらくして博多の女の子からコメントをもらい、「お友達ができた」と喜び、それから毎日夢中になって絵を描いて美羽のアップロードをせがんだ。美羽は「美樹が煩い」と言いながら、それでも泣きだす前にいつも美樹の願いを叶えてやった。

美羽は女房の通院の手助けをしながら、大学では旅行サークルを主宰していた。前期試験が終わり、美樹が上京してくると間もなく、10日ほど国内旅行に出て、旅行記をまとめてマイナーな旅行雑誌に掲載した。美羽は美羽で、就職先が決まらず焦っているらしかったが、なぜか一般的な企業への就職を拒んでいるらしかった。「旅行関係の雑誌を作りたい」と言って面接した大手出版社から内定が出ず、中堅の二社と交渉中ということらしかった。

「お姉ちゃんは・・・あの人はパワーあるから心配しなくても大丈夫」
と美樹は言った。いまでも美樹は、美羽に対して絶大な信頼感を持っていた。

「この前も、そう、私が帰る一週間くらい前に出て行って、2日たったらいきなり電話きて、今、パリから、だって。あの人の行動は信じられないよ」
「一人で行っちゃう?」
「そうみたい。そんな気分だったんだって」

美羽は、美羽なりに閉塞感があるのだろうと思った。女房の闘病に付き合って、就職も決まらずに、美樹に頼られて。本来一家の主が背負わねばならない重荷を自らの意思に反して背負わされたような息苦しさに喘いでいるのだろう。申し訳ないことをしているという自覚は十分にあったが、同時に美羽の強さをもっとも信じていた。

「で、美樹はどうする?」
「一応・・・受験・・・」
「なら、それなりに頑張らんとな」
「わかってる」
自信のなさそうな、中途半端な口調で美樹はボソっと答えた。

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「夏は散々だったわ」

9月の初めに久しぶりにせがまれて行ったラネージュの奥のボックス席に、ようやく現れた美佐江ママが呟いた。店内の数組の客席を挨拶周りしてウイスキーの水割りを数杯飲んで来た後、席に着くと冷えた白ワインをチーママに頼んで「お疲れ様」と三人でグラスを鳴らした。そして目配せをしてチーママが席を外すと会話は通常モードに戻り、

「もう、お店の数を半分にしなきゃダメみたい」
と溢し始めた。

「相変わらずショートしちゃってる?」
「8月も400かなぁ・・・今月も出足悪いし、もう資金も底突いちゃうし、ここと、パブは残さないとダメだけど、スタンドバーも、それから錦町のイタリア風酒場も赤字でどうしようもないのね」
「喫茶店は?」
「儲からないから意味ないし」
「兎に角、異常なのよ、この不景気。組合のメンバーが三分の一以上廃業しちゃうって」
「そんなにか?」
「女の子なんか辞めちゃって、コンビニでバイトしてたりね。あとは風俗行っちゃったり」
「風俗も苦しいんじゃない?」
「だからぁ・・・デリヘルとかそういうの。ウリやっちゃうんだよね」

話しながら美佐江は二杯目、三杯目とワインをグラスに並々と注いで、半分くらいを一気飲みした。まだ8時を回ったばかりで、ふた組の客がほぼ同時に帰り仕度をはじめて、すばやく席を立つとママらしい振る舞いで特別引き留めることなく、「いつもありがとうございます」と頭を下げ「またいらしてくださいね」と丁重に挨拶をした。広い店内にはふた組の客しか残らなかった。

「毎日、こんな感じよ。活気ないよね、これじゃ」
「確かにね」
「こうなってくるとヤクザ屋さんも粗末にできないわ」
「まだ来るの?」
「月一くらいね。使ってくれるから最近は仲良くしてるわよ」
「ミカジメ、払ってるの?」
「払えないよ、そういうのは組合とか防犯も煩いし。それに払ったら赤字だもん」
「よく、何も言われないねぇ」
「だってほら、ボスが私を気に入ってるから・・・」
「口説かれた?」
「もう毎回。けど、それをかわすのがプロよ」
そう言って美佐江は20分ほどでボトルを空けてしまった。

「ねぇ、今夜、泊まる?」
「いや、娘が戻ってるから帰るわ。それにママのところだって子供が・・・」
「うちは、ほら、二人とも全寮制入れてるから。学校始まると私だけになっちゃうの」
「そういうことね」
「多感な時期にこういう商売の環境に触れさせたくないのよね」
「分かるよ」
「絶対にこの道には入れたくないのよね」というと、チーママを呼び止めて「エビス、グラスで2杯頂戴」と注文した。

「カオルにお願いあるのよ。今度の土曜はお仕事は?」
「休みだよ」
「だったら、ほら、お店たたむとどうなるか、みてほしいんだよね。うちの税理士は水商売よくわかってないのよ。経営者の視点でいろいろ、教えて欲しいのよ」
「ご主人はなんて?」
「いろいろ手を出してるからそっちに夢中でお前に任せるみたいな・・・適当なのよあの人は。それに親の土地が売れて三千残って。二千は自分でとってこっちには千しか回さないで、たたむならこれを資金にしろ、とか言ってるし」
「そういうことかぁ・・・じゃ、財務諸表をみせてくれないと・・・」
「なんでも用意するよ。だから土曜の昼にランチしよっ。その後事務所でゆっくりと」
「わかった。空けとくよ」
「そうと決まったらもう一軒つきあって。これからパブ回るから一緒に行こうよ」
そう言って急ぐように店を出ると、生温かい夜気に包まれた。

「遠くないから歩こう」と言って美佐江は3台ほど客待ちで並んでいるタクシーの先頭車両に近付くと「ごめんね、今夜は歩くわ」と声をかけた。そして、「近道なのよ」と言ってコインパーキング横の薄暗い路地を抜け、小さな公園の前にでた。

「カオル、遅いよ」と煽って公園に入り、「ここ抜けると、ほら、すぐに駅前通りに出ちゃう」と言った。公園には人影はなかったし、薄暗い街路灯がぼんやりと僅かな領域を照らしていた。美佐江は遊具の横にあるベンチに小走りに駆けよると座り込み、荒くなった呼吸を整えた。美佐江を追いかけるように近づき「そんなヒールで走ると怪我するよ」と言って横に座った。

「カオル・・・」
と言っていきなり美佐江は抱きついてキスをしてきた。息苦しさで、呼吸とキスが入り混じる。

「ルージュ、落ちるよ」
「いいの、直すから」
そういって荒々しく交わしながら美佐江が俺の手を掴むと胸に誘導し、自分の手をかぶせて大きく揉みしだいた。

「なんか、変なの・・・」

立ち上がって美佐江の手を引いて遊具の陰に回り、「ここで?」と言う言葉は無視して事を進め、立ったまま背後から交わった。美佐江は懸命に声を押し殺し、それでも荒くなった息遣いが駅前通りの騒音とまじりあって次第に増幅した。

果ててから少しの間、呼吸を整えて、「私、暗いから分からないけど、多分、ボロボロになってるよ」と美佐江は言った。
「なんだかいい歳して恥ずかしいよ。B級映画の激情シーンみたいなことしちゃった」
「しかも屋外で・・・」
「いやらしい女?」
「少しね」
「あっ、カオルが出てきちゃう・・・」
そういうとベンチに置いたポシェットから生理用品を取りだした。
「見ないで」
美佐江はたったいま終わった大胆な行為とは裏腹に恥ずかしそうなもの言いをした。

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