ボーリングでリハビリしようか・・・

ボーリングでリハビリしようか・・・

病み上がり後だから、何か楽しんでできて、しかもあまり(身体に)負担がかかり過ぎないスポーツないかな、ということで、最近ボウリングのYOUTUBEを見だしてるんだが・・・。

懐かしいボーリングブーム

そもそも、ボウリングって日本では高度成長期の終わりころ、ちょうど石油ショックの前あたりの1970年に女子プロ誕生で須田開代子、中山律子、並木恵美子という華の活躍で一気にブームになったのを覚えてる。そして確か今のテレ朝か何かでやっていたレディス・チャレンジ・ボウルという番組で、中山律子が公式戦(月例)TV中継中で女子プロ第一号のパーフェクト・ゲームを達成したのを視聴してたんだよね。

このパーフェクトゲームでボウリングブームに一気に火が付いた!「律子さん、律子さん、中山律子さん ♪」なんてCFも流れちゃうし、とにかくアイドルのようになったよね。当時の女子プロの女王と言えば須田開代子(故人)で、中山律子を相当にライバル視していたみたいだけど、彼女は生涯公式戦でのパーフェクトは達成できなかったみたいだね。

Advertisement

とにかく日本は空前のボウリングブームになった。ちょうど高度成長期が終わりかけてて、社会が余暇の楽しみ方を模索し始めていた頃だったから手軽で誰でもできるボウリングは、あっとい社会に浸透したんだよ。当時は女子プロの公式戦も月例を入れると年間30試合とかあって、とにかくスター選手が次々に出てくるし華があった。

でも、男子プロだって、そこそこ盛り上がってて、女子にはないパワーボウリングを見れたことは見れた。けど、結局なぜか男子と女子のスコア(成績)ってあまり違いも出なかったし、いつの間にかボウリングはプロフェッショナル、アスリート、と言うには今一つ足りなかったんだよ。個人的には後い須田開代子と結婚する五月みどりの弟の西城正明というプロが好きだったけどね。とにかくボウリングに向いてたというか強かったし上手かった人で、なんとなく芸能界出身らしくイケメンなスマートさがあった。

けどね、ボウリングの全盛期は本当に僅かな期間だったと思う。もちろん、ここまで広がったものは、それなりに下火になろうとも続いてきたけれど、やはり当時のJPBA(日本プロボウリング協会)の怠慢というか、毎年のようにプロを大量に合格させて実力のない人が次々にプロです、ということになった。これをやってしまうと、ますます世間が「ボウリングをイージーなもの」としてプロの存在を認めなくなってくる。しかも、JPBAが強すぎるからアマチュアボウリングが育ってこないという弊害もあった。

もちろんトッププロは実力もあるけれど、プロとアマの差がほとんどないスポーツと世間は思ってしまったし、事実その通りだったから、急激に日本社会の興味を失ってしまったわけだよね。

Advertisement

ブームが去って強くなった女子プロ達

ブームが陰ってくればTV放送は中止となり、ブームに便乗したスポンサーは掌返しして去ってゆく。それとともに徐々に試合数も減ってきてしまって、女子プロの多くは遠方の試合やトーンメントを諦めて、レッスンや所属レーンの管理の仕事に回ってしまった。それでも、所属先が何とか存続すればいい方で、ボーリング場自体が次々に廃業に追いこまれて、1970年代の全盛期には全国で4000か所に迫る勢いであったものが、現在では1000か所を割り込むまでに減少した。これは単にブームの終焉だけでなく日本の人口動態(少子化・高齢化)にも大いに関係していると言われる。

しかし、年々厳しさを増す中で、特に女子プロボーラーには斎藤しのぶというとんでもなく強い人が現れた。学生時代にはソフトボールをしていたという鍛えられた身体能力もあってか、1971年に3期生としてプロ入り以来、男女合わせて歴代最高ダントツの公式戦勝ち星(74勝)を上げ、なんとUSオープンというメジャーにも勝つという快挙を成し遂げ、いまなお現役で活躍する女王が出現したし、時本美津子という女子では圧倒的な公式戦14回のパーフェクト・ゲームを達成し、かつ35勝を挙げた女子プロや、米国WIBCクイーンズオープンで81年、82年と連覇を成し遂げ公式戦28勝をあげた杉本勝子も出た。

そうした女子プロの活躍が、衰退するボーリング文化をなんとかギリギリのところで支えていたのも事実で、その結果2000年代になると、徐々にボーリングが見直されつつあるのは確かだ。新型コロナ禍によって現在では10試合に満たないほどの公式戦しかなく、非常に厳しい状況ではあるものの、試合数はコロナ前には増加傾向にあった。そこには、松永裕美姫路麗(ひめじうらら)というスターが誕生したことが大きい。松永は健康上の理由もあって近年調子を落としているものの、姫路麗は公式戦TV決勝(全日本女子プロ選手権)で中山律子以来2人目のパーフェクトを達成し、なお関西オープンのTV決勝で2度目のパーフェクト・優勝を達成し、一躍女王の地位を確立した。現時点で公式戦パーフェクトは時本美津子に続く13回であるが、追い越すのは時間の問題と言える。

Advertisement

ハイレベルになった女子プロの技量

とにかく今は試合がないのだ。特に2021年の今年は延期や中止も重なって女子プロが出場できるJPBA公式戦は数試合しかない。それでなくても全盛期と比較して激減しているわけで、その意味では姫路麗の22勝は、力量的には40勝くらいの価値がある。もちろん、ボールの進化ということもあるが、2019年からプロは手首を固定してボールコントロールを容易にするリストバンド等投球補助具が使用禁止となっても、レベルが低下するようなことはなかった。

若手の台頭も著しく、黎明期の女子プロ達とは比較にならないほどのハイレベルな技量を持っていることは確実だと思う。

とにかく今の時代は、ストライクをどう続けるか?に全精力が注がれているように見える。そして一度レーンコンディションを掴めば、女子プロと言えど250、260のハイスコアをいとも簡単にたたき出す。そんなことは、昔ではあり得なかったし、そこは完全に男子プロの領域だったはずだが、今は完全に男女差が消え失せたと言える。

というか、もしかしたら持久力の高い女子の方が上かもしれないと思ったり。

Advertisement

ボーリングには多少の自信が・・・

昔、日本でボーリングブームが巻き起こった頃、ボーリングがしたくて堪らずに何度か内緒で足を運んだことを思い出す。小学校高学年だったと思うけれど、当時はボーリング場側も意外に寛容で、投げさせてくれたものだ。それから書店でボーリング教則本を買い込んだ。須田開代子の確か「パーフェクト・ボーリング」という本だった気がする。

ボーリングはコツを覚えると簡単に150くらいのスコアになる。年に1、2度行く程度の大学時代でも、ハウスボールで3ゲーム投げると180くらいのアベレージが出るし、ときどき200アップもするようになった。以来、40歳を過ぎても社員と年に何度かプレイして、中指・薬指の第一関節と親指で投げると非常に楽だということを覚えてからは、200アップは1/2くらいの確率になった。

けれども時々僅かなゲーム数をプレイする趣味にも足りないなかで200アップをしても自慢できるものじゃない。かつてタレントの中山秀征がプロテストに挑戦するというテレビ企画では、とうとう合格できなかったのを思い出す。ボーリングと言えど、1度にゲーム数を投げると、それは完全にスポーツになる。そのレベルでたとえ投げられたとしても、アベレージは160程度じゃなかったかなと思う。

だがしかし、病み上がりのリハビリを兼ねた運動には、もしかしたら最適かもしれないと思った。最初は軽いボールを作って、徐々にゲーム数を増やしていけば、少なくとも脚腰は適度な運動で回復できるかもしれないと思う。

このことを女房に話したら、「少しなら付き合います」ときた。昔やってた頃は調子がいいと100を超えてたとか言い出して・・・。まぁまぁ、それでもいいけれど、一度は女子プロにレッスンを受けてみたいなぁ・・・と思ったりもしてます。

Advertisement