覚悟の欠片もない岸田政権に日本を統治する資格はない!

覚悟の欠片もない岸田政権に日本を統治する資格はない!

どんな組織でも同じようなものだと思うけれど、その組織のガバナンスを重視すればするほどに極めて居心地の悪いものになってくる。ガバナンスを考える時、例えば規則をガチガチにするとか、ちょっと古いけど「ホウ・レン・ソウ」という意味不明の責任押し付けシステムを導入すればいいと言ったような管理論的なもので絞めていくか、いろいろ言われるけれど・・・。

飴と鞭

中には軍隊式の命令系統を作って縦系列を固めればよいという理屈もあるけれど、殴ったら殴られるのが人間社会なので、殴ったとき反撃を喰らわないように飴を与えるようになる。だから一見統制されているように見えるけれども、実は「飴と鞭」でしか成り立たなくて、その中で人間は徐々に飴をたくさん欲しがるものなんだ。

そのいい例がBIG MOTORだろう?この件て例えば社長は思い切り強権的に見えるけれど、実は自分の手足となる人間に対しては思い切り飴を与えてた。だから息子の副社長は勘違いするし、周辺の人たちも例外じゃなかった。

すると今度はその人たちが店長とかのレベルにも強権を発動するんだけど、やはり同じように飴をやらないと動かない。だから当然そういう組織のガバナンスを維持するには人件費がどんどん掛かっちゃって結局商売にならなくなる。だから不正をやるんだよ。

「飴と鞭」って諸刃の刃だからね。

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世界を見ても例えば中国共産党なんか本当にいい例だし、ロシアとかイランとかも概ねそんな感じにならざるを得ないんだよね。独裁っていうのは絶対にそうなる。けれども比較的うまく行った例もあって、イラクのフセインとかリビアのカダフィ大佐とかね。上手くいくのが気に入らないとして両方ともアメリカ(子ブッシュ&ヒラリー)が潰しちゃったけど。

企業もカリスマ経営者がトップダウンやってるとキツイんだよ。日本電産とかゴーン時代の日産とか、セブンイレブンなんかも同じだし、ダメだった時代のソニーも、ホンダも同じかな。初期段階では結構調子よく行くし、うまく回ると強い組織になるし、予想外の成果が出たりしてね。けれど時間が経てば(カリスマが衰えると)必ずダメになるんだよね。

そこで日本の今の在り様だよね。米国のことはおいおいこれから書いていくとして、まずは目先の日本。今の日本。特に政治と行政。これはもう救いようのないレベルにまで来てる気がする。戦後最悪の状況(ではないかもしれないけれど)に見えるんだよ。



猿(日本人)は米国の家畜!?

第二次大戦後、荒廃した日本が何とか立ち直れたのは、昭和天皇の存在が米国の邪悪な心を引き裂いたからだよ。俺は右でもないし左でもないと思っているけれど、客観的にどうみてもそれしか考えられない。

日本に原爆を投下したときに米大統領はハリー・トルーマンで、その時米国は日本をどう思っていたのかが、トルーマン語録に端的に表現されている。

猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。
方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。
そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。
これで、真実から目を背けさせることができる。
猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。
そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。
(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。
これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。
(ハリー・S・トルーマン)

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米国は日本をこのようにしたかった。だから戦争犯罪(国際法違反)を承知で、民間人を標的にした東京大空襲や2度までも原爆投下という残虐行を行って、日本人をの気持ちを萎えさせようとした。近代兵器を使って大量虐殺を行った最初で最後の事例だよね。

加えて米国は戦争犯罪の意識が薄いのはつまり、そうした国際法は白人に対して適応されるものであり劣等な有色人種には当てはまらない、というとんでもない思想があった。

民族の独立を目指した日本

本当に太平洋戦争は歴史上、白人の植民地支配からかたの開放を目指し、戦争した唯一の有色人種国家が日本だったわけで、よく考えるとこれは明治維新の時、アヘンによるイギリスの中国支配を見て危機感を覚えたということから始まっていると思う。

いずれにしても日本は、結果的にアジア諸国を独立に導くために戦い、アジアの資源を売ってもらおうとした。これは歴史の事実だ。

そういう日本を米国は恐れ、最後には一般市民を虐殺してまでも、日本を叩きのめし属国化(植民地化)しようとしていた。トルーマンの言葉の意味は、「有色人種は手段を選ばず従属させる」というレイシスト(白人至上主義)的発想だ。

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天皇の存在

そんな米国の野蛮極まりない発想に一矢を報いることになったのが、昭和天皇の存在であったことは言うまでもない。敗戦を宣言した玉音放送の中に「耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび」と言う一説があるけれど、昭和天皇は日本の政治や軍部の中にあった「アジア解放という正義」を十分に理解していたからこそ、こうした表現になった部分があると思う。

兎に角昭和天皇は「歴史のすべての日本人」の中で最高の、いや崇高の人格者だったと思う。その想像できない崇高さがマッカーサーの心を揺さぶり、トルーマンのようなレイシスト思想、差別意識が日本に蔓延しないように動かした。

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昭和20年9月27日の昭和天皇とマッカーサーの会見内容は極秘扱いとされたため、通訳の奥村勝蔵外務省参事官のメモは有ったが、公開されたのは10年後だった。録音などされているわけではないが、のちに出版されたマッカーサー回顧録には、次のような記されている。

マ:「どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもってお出会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました」

昭:「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」

マ:「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」

この会談を機にGHQの占領政策は大きく変わり、米国からの大量の食糧支援が即座に決定された。その理由はこの会談でマッカーサーが感動したという事だけでなく、日本における昭和天皇の存在の認識を「美本国民の象徴」と認識し、断罪すれば日本人はゲリラ戦に突入し、これを制するために米国は多くの犠牲を払わねばならないと、考えたからだ。

占領軍の司令官として日本に着任し、そこで日本の国体を改めて認識したからこそ、占領政策を変更した。このことをトルーマン大統領は前出の発言で(議会に対して)肯定しようとしたわけだ。

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何も分かっていない政治家ばかり

敗戦国の元首として昭和天皇は一身をささげ米国に物乞いをした。以来日本は米国にすがる属国なのだという思想が、戦後78年を経てもなお日本の政治を支配しているように見える。日本が多大な犠牲を払って解放したアジア諸国はみな独立を果たし、過去の支配構造を断ち切っているにもかかわらず、日本の政治家にはそうした発想や民族のプライドがないし、自主憲法の制定さえやる気がない。

そうした戦後日本の成り立ちや、天皇制の果たす役割もきちんと認識している政治家がどれだけいるのだろうと思う。保守とかリベラルとかはどうでもいいけれど、日本を真の独立国足らしめようとする発想は近年ますます薄れてしまって、安易な選択ばかりをしようとする。それが「平和を維持すること」と言い換えながら・・・。

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つまり日本の国家ガバナンスを維持するのは首相という権力であると勘違いをし、米国の属国的な政策を次々を繰り出して、独立どころかますます属国の度合いを濃くしている。日米安保とは本来、日本と米国が互いに独立国であるがゆえに成り立つ条約なのではないか?

トルーマンの暴言を肯定しているのは実は日本の政治家たちなのではないか?と思う。「猿は我々の家畜だから・・・」と言われ「その通りです」としか言えない日本の政治家、首相というのは、いったい何者なのだ?と思う。

日本が日本として成り立ってきた理由は、権力者の「飴と鞭」ではなくて、権力とは程遠い、カネやイロと言った世俗に紛れない、たとえそれが幻想めいたものであっても象徴として崇める存在があったからだろう。首相は決して天皇を超える存在にはなれないし、だからこそ物を言わぬ天皇の下で、まるで最高権力者のような振る舞いを好き勝手にする。

正直、今の岸田首相は、米国の言う猿の代表だ。一国を率いるという覚悟、昭和天皇が示して見せてくれた覚悟の欠片も持ち合わせていない自民党の木偶である。民主主義のルールを曲げようが、閣僚が犯罪を犯そうが、それは個人の問題だと・・・。

もうこれ以上馬鹿な政権に付き合っていたら、本当に日本は国家としてのプライドを失ってしまう。

ここまで乱れ切った内閣の長ならば、国民に謝罪して内閣総辞職をするのが筋である。