私的小説 師匠 斜陽編(第二章 リセッション)
- 2019.08.27
- 小説
リセッション
1
人生は、ひとたび歯車が狂いだすと嚙み合った別の歯車も同調して狂いだす。だからいくら修正しようと試みたところで大抵は徒労に終わってしまう。仕事も家庭も、そして遊びでさえ、相互に作用しあって成り立っている。完全に切り離せるものなど何一つ在りはしないと今になって思うけれど、夢中で走っているときには、そのことに気がつかないものだ。
4月になって調査が進むにつれ、架空取引の実態が徐々に露呈してきた。かれこれ一週間ほどの間に、今期のこれは、と思われる数字をピックアップして片っ端から裏を取った。
そして27件の取引について顧問弁護士立会いのもとに社員に問いただし事情を聴取した。その上で関係が明確な取引先三社に対し、書面をもって事情説明と修正を要求する内容証明を送った。
明らかに相手先の要求にうちの営業部が応じてしまったことなのだが、内容証明を見ても相手先の担当者は、一切身に覚えがないとしらを切ったし、上司や役員に対する面談要求は、スケジュールが埋まっていると拒絶された。
これに対し顧問弁護士は、
「恐らくこうしたケースでは、取引額の一部はプールされている可能性が高い」
とコメントした。すなわち相互に業務上横領の可能性があるということだ。
言われるままに伝票を発行し、請求金額に対して値引きして支払いをする。電算処理なので、当社から請求書を発行するのではなく、確認書(検収書)が送付されてきて、そこに「値引き」「販売協力費」「開発協力金」等々の値引きが相殺にて行われていた。
そうなれば当然、当社の利益率は低下するわけだが、伸び盛りの企業では売上や経費が動的に増加するので、なかなか見破ることができない。まして先入観を持たなければ、絶対に分らないだろう。
「こちらは被害者ですけど相手にとっては社内的にも重大な犯罪要件だと思いますけど、どうしますか?」
と顧問弁護士は言った。
「だが、共謀ということになれば上場できないよ」
と俺は答えた。即決などできるはずもない。想定されるケースについて数時間、話し合ったが結論はでなかった。
それから数日して、営業部の若手の前島から面談の申し出があった。
「社長、バックってなんですか?」
唐突にそう切り出した前島は直接の担当ではなかったが、何度か営業部内での密談に遭遇していた。バック、すなわちバックマージンのこと。取締役で営業部長の佐倉が、どうやら当社の窓口らしかった。
そして、毎月処理が終わると相手先担当との飲み会に出向き、車代と称していわゆる「成功報酬」を受け取っていたらしい。佐倉も気のいい部分もあって、そのカネで時々部下を連れて飲み食いをさせていたらしかった。前島も誘われて何度か参加したと告白した。
「これから上場しようという会社の取締役が、僅かなカネ欲しさに・・・」
そう思うと、情けなさがこみ上げた。仮にも能力や人間性を見込んで何年も可愛がって、2年ほど前に取締役に引き上げた佐倉が、そんな姑息な真似をしていたとは・・・。
きっと世間にはよくあるケースなのだろうけど、今のうちにとってはそれじゃ済まされない。そしてこの問題を追求してゆくうちに、相手先の担当と佐倉が画策していた独立問題が発覚して容認できない事態となった。
独立して商売を始めたいなら堂々とやればいい。多少の波風は立つだろうけど、それが筋だろう。けれども密談して独立資金を捻出して、商権までも抜いてしまおうという浅はかさ。その上、社員の引き抜きまで画策していたとあっては、到底許すことはできない。ましてや数々の違法行為が行われ、それはガバナンス欠如とみなされ、このままでは到底上場など叶うはずもない。
だが、時間もなかった。
早々にこの問題を解決し前期決算を終えて、目論見書を作成して、増資のためのプレゼンを行わねばならない。年度内上場のためには、それらを着実にこなして秋までに準備を整え、各方面での審査や上場申請まで漕ぎ着ける必要があった。財務部門やIR担当を新設して社内組織も充実しなければならなかったし、それなりの社員教育カリキュラムの導入も要求されていた。
顧問の山崎弁護士との話し合いも揉めた。
「社長、結論を」
「先生。どうしろと?」
「刑事にしても仕方ないなら、相手先と遺恨を残さない解決をするしかないね」
「ってことは?」
「相手の出方にもよるけれど、損害賠償を20億も吹っかけてみますか」
「揉めたくないね。長引くだろうから・・・」
「では刑事にしますか?」
「長引くことに変わりないなぁ・・・」
「社長、・・・この状況、ちょっと厳しいね」
監査法人からは最終監査を4月25日と期限を切られた。様々なケースを想定しても修正申告でなんとか、と言っていたが、現実的ではないのは十分に承知していた。
ベンチャーキャピタルや主幹事、メインバンクと連日確認の電話が入った。弁護士は「蛇の道は蛇」といい、担当の税理士も「言ってください」とそれぞれが含みのある言い回しをしてくれていたが・・・。
「躊躇うことはないでしょ。念書でも覚書でも取ってきますよ」
そうなのかも知れない、と思った。
「この際、上場なんか止めませんか?」
いつものBARにシステム会社として育ててきた下請けの矢沢を呼び出した。
「社長辛そうだし、元気ないし」
いままでこの優しい男の気遣いに何度も癒された。彼は苦しい時の最上の話相手だった。
「そうもいかないことは、矢沢だってよく知ってるだろう・・・」
「オヤジさんの会社の処理とかですよね?」
「ああ。オヤジも含めてだけど、人生の決着なんだ」
「でも・・・」
「うん?」
「このままじゃ、上場ゴールになっちゃいますよ」
「ああ、わかってる・・・」
「そうなったら、もっと苦しいんじゃ?」
BGMも流さないし、女の子と言えばマスターとお揃いのベストを身に付けたバーテンダーのひろみちゃんだけのこの店は、静かに話すには格好の場所だった。
ひろみちゃんは、オーダーを受けると控えめの微笑みとともに手際よく作る。いつも夜景の見えるL字のカウンターの窓側が受け持ちで、ドアに近いほうはマスターが接客した。客とトラブルがあったときの対応や、泥酔した客を断るためだと言っていた。もちろん、ふたりとも客の会話には余程出ない限り割り込まないし、必要以上のおしゃべりもしなかった。
「うちが上場できたら、矢沢のところもしなきゃな」
「俺はそんなこと、考えてないですよ」
「そうか?」
「社長見てると、そんな気になれませんよ」
「そんなに見えるか?」
「もう株もやめてくださいね。上手じゃないんだから・・・」
「わかってる」
俺より一回り下の矢沢の言い回しは鋭いけれど、決して悪い印象を与えなかった。ズバッと斬り込むような物言いを、童顔の人懐こい笑顔というオブラートでくるんで投げかけてきた。だから、何を言われても不思議と腹を立てるようなことはなかった。
30分ほど話た頃、マナーモードを忘れていた携帯の着信音。マスターに「申し訳ない」と目配せをして、カウンター裏の電話ボックスへ。着信は総務の井上さんだった。
「約束の日」以外に着信することは滅多になかったから、少々嫌な予感に襲われた。彼女は明らかに震えているような声だったが、努めて冷静に話そうという意識が窺えた。
「社長、私大変なことになってしまって・・・」
「どうした?」
「いま、オフィスの帰りなんですけど・・・」
ピンク電話の横にある時計は9時5分を指していた。
2
市内の中央を走る国道の幹線道路に繋がる4車線の環状線。昼間は交通量も多く、2キロほどの距離を抜けるのに20分以上かかる道だが、夜間になると繁華街から外れるためにめっきり交通量は落ちる。夜9時を過ぎるあたりから、タクシーや代行者が70キロ以上の荒い運転をして、しばしば事故の発生する道でもあった。
国道から1キロほどは直線で、その先は緩やかにカーブになっていてる。角にペットクリニックとディスカウントスーパーのある交差点は、直線とカーブの境目だった。
「人を刎ねてしまって・・・」
努めて冷静に業務報告をするような口調、と感じた。
「恵子が?どこで?」
「環状線のペットクリニックの前の信号を過ぎたあたり・・・」
「恵子、怪我は?」
「私は大丈夫ですけど相手が・・・」
そこまで言うと、突然泣き声に変わった。
「すぐ行くから。10分で行くから。落ち着いて待ってて」
携帯を切るとすぐに事故をかいつまんで矢沢に伝えた。
「俺、あまり飲んでないんで、転がしますよ」
「悪いな、すぐ出よう」
そこにマスターが割り込んだ。
「だめ、だめ、私が送ります」
現場は店から5分もあれば到着できる距離だった。
現場にはすでにパトカーが数台到着していて、数人の警察官が通行規制を始めるところだった。夜の街にサイレンが轟き、さらに何台かの警察車両が向かっているのがわかった。
恵子は、道路の傍で警官の聴取を受けていた。反対側のスーパーの駐車場に車を止めて恵子にに近づいた。
「どうした?」
話を聞こうとすると警官が遮ろうとする。
「勤務先の代表で、彼女は通勤途中なので・・・」
そう伝えると、「手短に」と言われた。
続々と駆け付けるパトカー、救急車、そして消防のレスキュー車両と数台の消防車。ただの人身事故にしては、この騒ぎは?と感じた。
すぐには気付かなかったが、至近距離にボンネットとグリルが曲がった彼女の車があった。
「相手は?もう運ばれた?」
そう聞くと、首を横にふり、泣くのをこらえながら10メートルほど離れた位置に斜めに止まった車を指差した。
「えっ、あの下は、ヒト?」
数メートルの距離に走り寄ると警官に腕を引っ張られた。
車の下敷きになったままの被害者の腕や頭部が動いている。まだ、生きている、と思った。
彼女の傍に戻ったが、言葉が出なかった。それ以上言葉もかけてやれずに下敷きになった被害者をただ茫然と見つめる。早く助けろ、と心で叫びながら。
周囲の状況と、警官の説明で状況はだいたい理解できた。恵子が青信号を通過したとき、突然側道の木の陰から被害者がまるで猫のように飛び出してきて、恵子の車に激突。ボンネットに跳ね上がりフロントガラスに頭部を打ち付けた後、跳ね返って飛び上がり対向車線に落ちた。
そこへ結構なスピードの対向車が突っ込んできて当たり、15メートルほど引きずって止まった。そして目前の光景で時間も止まっていた。
恵子はパトカーの横に連れて行かれてその場で拘束された。若い警官が警察無線で「9時35分。容疑者逮捕しました」と連絡していた。
同時に、ようやく対向車をクレーンで吊って被害者を救出し、救急車に乗せ、走り去った。
「生きてるんですか?」
「まだ、生きてると思うけど・・・よくわからない・・・」
中年の警官は無愛想に言った。
「あの、逮捕ですよね?」
「そう、逮捕。容疑者だからね」
「二重事故ですよね?」
「そう」
「ならば、もう一人逮捕しないとまずいんじゃ?」
「・・・・」
「どちらが決定的な死因なのか分らないんでしょう?」
「・・・・」
対向車の近くの路肩で茶髪の若者が、うつむきながら事情を聞かれていた。
井上恵子。かれこれ6年近く、忠実に勤めてくれた。若い社員からオバサンと陰口をたたかれながらも、言い辛いことを言う悪役を演じてくれて、徐々に若い社員から「ママ」と言われ慕われていた。
そして2年ほど前から8歳年上の恵子と不倫関係になった。きっかけなどなかったと思うし、そうなるのが当たり前のように、お互いを受け入れた。彼女も俺も、それがどういう意味なのか十分に承知していたけれど会っているときはお互い気にしないふりをするのがルールだった。
これまで、紆余曲折を経て上場にあと一歩のところまで辿りつけたのは、厳しい状況でいつも前向きに言葉を賭けてくれた恵子の力が大きかったし、上場はこの関係の行く末のような気がすると、お互いに言い合った。その恵子が、いま目前で逮捕され、パトカーに乗せられて護送されようとしている。
「大丈夫だから!何とかするから!」
騒然とした現場で、恵子に聞こえるように叫んだ。警官に抱えられた恵子は青白く、凍りついた表情のまま小さくうなずいたように見えた。
矢沢とマスターは、車の脇に立って一部始終を見ていた。
「社長、ご家族に連絡は?」
「それは警察のほうからするだろう。それよりも弁護士だ。」
「そうですね」
「マスター、悪いけどオフィスまで送ってくれるかな?」
「わかってます。近いですから」
「俺も行きますよ。いろいろ手伝えるかもしれないから」
「でもなぁ・・・こんな時になぁ・・・」
処理すべきことが山積していて、その上恵子の事故という現実が目前にある。そのどれも時間の猶予はなかった。脳裏に浮かぶのは、混沌としている現実だけで、まるで手に負えないと思った。
「矢沢さぁ・・・」
もう上場はやめる、と言おうとしたが、言葉にするのを躊躇った。
3
ライブドア事件で大きく揺れたにもかかわらず、新興市場への上場は活況を呈していた。結局、2006年は年間で東証マザーズ、大証JASDAQともに50社余りが新規上場を果たした年になった。そうした活況をしり目に5月連休明け早々、監査法人の担当者、主幹事予定のS証券、メインバンク、そしてベンチャーキャピタル2社と顧問弁護士が一堂に会して、上場に関するミーティングを開催することになった。
冒頭に代表取締役としてミーティングの趣旨説明を行って、その後に山崎弁護士から今回の架空取引の内容、経緯と相手先の対応に関する説明を行い、この件に関する法的な立場から意見を述べた。
そして取引先の協議は難航していて社内の法務部の結論待ちであること、だが相手は基本線は被害者であるという主張を崩しそうにないこと、そのために裁判も辞さないという意見書が届いていること、そして民事で争うかまたは刑事との両面に打って出るか、いずれにしても妥協すべきでないと最後に付け加えた。
関係者一同の表情は打って変わって曇っていた。そして主幹事のS証券の担当は、しきりに解決までどのくらいの時間がかかるのか、と山崎弁護士に質問したが、
「相手の出方次第です。ただこのケースでは実害を認定するのであれば刑事告訴すべき案件だと思いますが」
と回答した。加えて監査法人としては、前期決算には影響しなかったが、未決案件が生じたということで、今期中には引当金を積んでおく必要があること、そして決着した場合にはただちに修正申告をする必要があること等の意見を添えて税務申告を行うとの説明があった。
最後に、代表取締役として謝罪するとともに、2年間の上場延期をお願いしたが、その場では提案として受け取り、各社とも5月中には結論を持って再度協議することとなった。
恵子は2週間ほどの取り調べの後、送検され拘留を解かれた。逮捕拘留の翌日に山崎弁護士に依頼して、同じ事務所の女性弁護士を選任してもらって、様々な手続きを依頼した。仮に公判になれば弁護を、という依頼も快く引き受けてくれた。
もちろん、拘留中は親族と弁護士の接見以外認められなかったから、保釈になって出社するまで待たねばならなかった。そして12日間の拘留と取り調べが終わり、ようやく解放された。
「井上さん、大丈夫?」
「もう、落ち着きました」
オフィスで社員達に挨拶して回る恵子に声をかけた。
「社長、このあとゆっくり御報告します」
と言うと、気丈にも挨拶を続けていた。
社長室では、「ご迷惑をお掛けいたしまして申し訳ございませんでした」という型どおりの挨拶から始まって、警察では全裸にされて身体検査を受けたあと所定の衣服に着替えさせられたこと、娘が差し入れた下着には黒マジックで名前を書かれたこと、3日に一度しかシャワーを使えなかったこと、婦人警官は総じてやさしく、警官の取り調べは比較的スムーズだったこと、などを報告した。
「それで肝心の事故のことは?」
と聞くと、
「二人きりになれた時に」
と答えた。
「今日はこれで」
と言って立ち上がり部屋を出ようとしたときに振り向いて
「そうそう、肝心なことを。上場は大丈夫ですよね?」
と聞いてきた。
「それも二人きりの時に」
と言って、お茶を濁した。
翌日恵子の担当弁護士と打ち合わせをした。今回の事故では、二重事故であるのに片方の加害者の拘留を行わなかった警察の不手際が問題であること、そのためにもしかすると検察が井上さんの業務上過失致死を認定できない可能性があること、そして被害者の司法解剖では相当のアルコールが検出されて、酩酊状態に近かった可能性があること、さらには死因の特定は頭部打撲と内臓破裂で行き詰まってること、などをあげて、
「半年くらいかかるかも知れませんが頑張ります」と言った。
一方、架空取引問題は、「前年度決算を修正するつもりはなく、もとより上場のための売り上げ作りとして、貴社から持ちかけられたものであり、現在法的手段を検討中である」旨の回答を山崎弁護士がうけたことで、話し合いによる解決の目途がたたなくなっていた。
「社長、民事、刑事両面で争うしかないですよ」
山崎弁護士は代理人として、交渉を重ねてきた末に、相手の強硬姿勢を崩せなかったと詫びた。調査の結果、一連の取引によって3200万ほどの実害が発生していたこと、その使途を明らかにする手段がないこと、相手先の担当者と営業部長の佐倉が、会社設立のためのプール金を双方から捻出していた可能性が高いこと、そして佐倉の処分と同時に、損害賠償請求を佐倉および取引先に対して行う必要があり、刑事を同時に行うことで事実関係を解明できれば有利になる、と判断していると言った。
「相手はおそらくもっと上の人間の指示だと思いますよ。担当レベルでできることじゃない」
佐倉弁護士の目は異様に輝いて見えた。
朝から2日続きの雨模様で、午後になっても止む気配はなかった。5月というのに気温は30度近くまで上昇していて、湿度が重苦しい日になった。
結局、架空取引問題は被害届を提出しての刑事告発に発展し、同時に民事訴訟を起こした旨を説明して、再協議が始まった。だが、直前になって、メインバンクが都合がつかず欠席となり、会議の資料を送付してほしいとの連絡を受けたため、いかにも気の抜けた協議となってしまった。
「社長、2年延期は決定ということでよろしいですね?」
とベンチャーキャピタルの一社が口火を切った。
「再上場スケジュールに関しては現状を踏まえて再構築してみますが、それでよろしいでしょうか?」
と主幹事のS証券が提案したが、反応は鈍かった。
「メインバンクさんが欠席では・・・」
監査法人の担当が批難するような口調で言い、一同は押し黙ってしまった。
4
ライブドアショックで始まった2006年は、8年間耐えに耐えてようやく活路を見出し、攻撃にに転じる絶好の、そして二度と巡ってはこないチャンスに手が届いたと思っていた。
5年前に経営破綻した父親の会社を苦難の末に再建し子会社化しての上場は、当初綱渡りと見られたが、当社の業績の伸びが予想以上でジャスダックの上場規定には十分に準拠するところまで来た。
前年には、メインバンクであったM銀行も乗り気で、資本政策に対し支援を行うと合意していた。資金需要は年間5億ほどあったが、キャッシュフローが伸びていた。
それが、あのライブドアの家宅捜索に始まる一連の破たん劇に、まるで同調するかの様に揺れ動いた。
夏には、取引先を相手取って損害賠償訴訟を提訴したし、業務上横領、偽計業務妨害で関係者を刑事告訴するに至り、10月からはいよいよ公判が開始された。 5月に2年間の上場延期を申し出て、7月には損害を確定して、引当金を積んでの修正申告を行った。
しかし、誰の目にも2年で訴訟が結審するとは見えなかった。特に刑事訴訟は控訴されたら長引くことは必至だったが、顧問の山崎弁護士は、この程度の案件で控訴はしてきませんと自信をのぞかせていた。
だが、民事訴訟は取引先企業の責任を問うものであり、強硬な姿勢に解決の目途はたたなかったし、夏くらいから、有形無形な形での当社に対する妨害が始まっていた。
一部上場企業であるため、業界での発言力もあり、それを使ってあらゆる形で当社のビジネスを排除しようとした。あらぬ風評をたてられ、新規契約が取れなくなったばかりでなく、既存の商権に対しても著しい影響が出始めた。
そして、第3四半期の半ばで、年度売上予算は末達が決定的で、赤字転落必至という状況に陥ってしまった。7月に取締役営業部長の佐倉を懲戒免職とし、9月には佐倉に近かった営業部員3名が辞表を出したことが、結果として営業部を弱体化させたことは明らかだった。
「坂道を転げ落ちる様」というのは、まさにこのことで、2年後の上場どころか、このまま準備を進めることさえ不可能に思えた。
そして苦しい状況が続いた11月の終わりに、前日のアポで突然、M銀行本店の面々が来社した。名刺交換と型通り突然の来社を詫びる言葉に続けて、上場準備のご確認をさせていただきたいのですが、と切り出した。
公判と上場準備の進捗状況に関して、小一時間ほどヒアリングを行ったあと、融資部の担当が口火をきった。
「社長、当行といたしましても現状では支援の継続が困難な状況でございまして、現在の融資の御返済を今期中にお願いして仕切り直しさせていただきたく・・・・」
「全額でしょうか?」
「できればそうお願いしたいのですが・・・」
5月末に行った関係各社の説明会に欠席したときから、そういう予感があった。以降、支店の担当者レベルでも何度かそれらしい内容を匂わせていた。
「それは無理ですよ。ブリッジの分ならば、なんとか・・・」
「御事情はお察しいたしますが、融資部の方針でして・・・」
「貸し剥がしですか?」
「いえいえ、そういうことではなく、現状で行きますと今期末には、引当せざるを得ない状況でして・・・」
「上場が延期になったからですね?」
「そういうことでございます」
梯子を外される、と思った。ここで資金的に行き詰まってしまえば、スキームを維持するどころか、新たな資金手当てができなければ、経営自体が揺らぐ。いや、今までの努力もなにもかも、消えてなくなるような危機感に襲われた。
「できない場合は?」
「現状ですと、ブリッジの分を御自宅と社長所有の不動産に担保設定させていただいて・・・」
「調べたの?」
「恐縮です・・・」
「自宅は担保設定あるけど・・・」
「根抵当でお願いしたいのですが・・・」
「どの程度?」
「4億・・・」
「そんな価値ないでしょ」
「ですが根抵当ですから・・・」
それで上場スキームが維持できるなら、ということもあるが、現状を考えれば、一括返済をせずに乗り切るためにはそれしかないと思った。ただでさえ、売り上げが減り資金がタイトになってきてるところで、少しでもキャッシュフローのマイナスを減らすべきであるという、袋小路に追い込まれていた。これが上場していれば・・・そう考えると悔しさがこみ上げた。
10月には恵子の不起訴が確定していた。やはり予想通り被疑者2名のうち、初動で恵子しか逮捕拘留しなかった警察のミス、そして死因の確定はできたものの、それが車と激突した際の脳挫傷なのか、対抗車によるものなのか、または道路に落下した際のものなのか特定できなかったこと、そして決定的だったのは、被害者から検出されたアルコール量からして酩酊状態であったということで、起訴しても公判が維持できないと検察が判断したということだった。
「非常に稀なケースです」
と担当の女性弁護士は意気揚々と感想を述べた。
その後も恵子との関係は続いたが、上場スキームの延期とそれからの業績不振、相手先との数限りないトラブル、そして公判と忙しさが増すにつれ、間隔が開いた。
恵子は社長室に珈琲を運ぶたびに、「もう飽きちゃった?」と一刺しした。「そういう話じゃなくて・・・」と言うと、「ごめんなさい、私・・・」と表情を曇らせた。
僅か1年足らず・・・上場スキームは事実上破たんしていた。
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