私的小説 師匠 斜陽編(第四章 瓦解 前編)

私的小説 師匠 斜陽編(第四章 瓦解 前編)

瓦解 前篇

1

東京では靖国の桜が開き始め開花宣言されたというのに、朝方から3月末とは思えぬ霙交じりの肌寒い日になった。霙は昼前には雨になったが、応接の窓から見下ろせる数本の桜は、開き始めた花弁が勢いを失って凍えているようだった。

自宅に伺うと見辺さんに連絡してもらったが、まだ落ち着かないので出向きます、と言うことだった。そして午後2時を回った頃、地味なワンピース姿で佐倉の奥さんは現れた。

「この度は、本当に大変でしたね」と挨拶すると、奥さんは俯き加減に軽く会釈をした。
取り急ぎ、加盟の団体保険から800万ほどの保険金の支払いがあることを伝え、これまでの経緯から会社としては報いられないが、社長個人としての見舞金を50万ほど用意したことを伝え、テーブルに置いた。

奥さんは見舞金をじっと見つめたままだった。

「お義母さんはご病気だったのですか?」

と尋ねると、

「そうかもしれません」

と答えた。そしてしばしの沈黙の後、

「お義父さんも気落ちなさってるでしょう」

と言うと、茶碗を持った右手が小刻みに震えたのに気がついた。

「ところで、佐倉は亡くなる直前に奥さんに電話したそうで・・・」

と言った途端に、奥さんはビクッとして茶碗を茶卓に置き損ねて半分ほど溢してしまった。それをハンカチで拭おうとする奥さんを制して、

「良かったら聞かせていただけませんか?」

と言うと、

「すみません、私のせいなんです」

奥さんは突然関を切ったように号泣した。

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内線で見辺さんを呼び、「気に障ることを言ってしまったみたい」と伝え、彼女は奥さんの肩を支えた。彼女が「もう用件が済んでいるなら、帰っていただいても」と退室を促すと、顔を大きく左右に振って「お詫びしないと・・・」と言った。

見辺さんに目配せをして退室を促した。そして、覚悟を決めたような険しい表情で、

「俺はもうすぐ楽になるけど、お前はこの先も苦しめ」

と電話で言われたと告白した。さらに奥さんは感情が息切れてしまったような、冷たい口調で語り始めた。

奥さんは・・・嫁いで(佐倉の)両親と同居を始めてから半年ほどして、義父に強引に関係させられ、以来10年以上強制させられていた。ある時、突然帰宅した佐倉に見られで大騒動になってしまった。義母は数年前から気付いていたらしかった。

以来佐倉と義父の喧嘩が絶えず、次第に娘さんのことも疑い出したと。そして生活態度が荒れ、暴力もふるうようになったが、勤め先が倒産してこの会社に就職と同時に両親と別居した。その後しばらくして佐倉の浮気に気付いたけれど、何も言えなかった。

そして急に佐倉のカネ回りがよくなって生活態度が派手になり、暴力も酷くなったが、(架空取引の)事件が発覚したことで、理解できたと。釈放されてから何度も離婚を懇願したが、佐倉は承知せず、理不尽な仕打ちが続いていたと語った。

そして佐倉が自殺をして、お義母さんはその後を追ったということ、走り書きの遺書の内容は人様に見せられない酷いものだったことを付け加えた。奥さんは、

「だから会社に迷惑かけたことも、みんな私が悪いんです」

と言って再び泣き崩れてしまった。

聞くべきではなかったと、猛烈な後悔に襲われた。あの人懐こい性格の佐倉の裏側はどす黒く濁っていたのだと思った。

「会社のためなら」と汚れ役も厭わず、何度も「社長に拾ってもらった」と感謝を口にした佐倉。取締役に抜擢した時に号泣した佐倉。道を外して悪に手を染めた佐倉。子会社でうとまれて耐えていた佐倉。

けれど、佐倉は恵子との関係を続けていた。奥さんの言う浮気相手とは、間違いなく恵子のことだと思った。奥さん以上に俺は動揺し、心が揺れ、そして胃の奥に鉛を入れられたように重苦しく、とても耐えられそうになかった。

こんなことのために、俺とは関係のない、こんなことのために、上場の夢が砕けていたのか、と思い、遣る瀬無かった。

目の前には、打ちひしがれた奥さんの姿があった。いたたまれなくなって、誰かにすべてを曝け出したかったのだろうと思った。この女性はいつかこうして汚れてしまった人生を清算したかったに違いない。
惨めで小さくなった奥さんに、

「辛かったね」

と声をかけた。だが、それ以上、何も言えなかった。
そして、此処まで来てしまったら、意地でも、どんな手段を使ってでも恵子から真実を引き出さねばならぬ、と思った。

1日置いて3月31日の退社日の午前10時過ぎに、恵子は挨拶のために出社してきた。春らしい薄いピンクのブラウスと薄いグレーのタイトスタート姿は、いつもの恵子そのものだった。

「社長、ご迷惑ばかりで・・・いろいろとお世話になりました」

そう言って手土産を差し出した。

「他人行儀だなぁ・・・」

と言うと、

「けじめですから」と答えた。

「ならば、俺たちもけじめをつけないとね」

「・・・」

「今夜、最後の日にしよう。渡すものもあるし。決算日なので早めに退社するから、5時にいつものところで。食事は築地を予約してあるから。そのあと・・・」

「申し訳ないですけど、主人に言ってないので、早めに帰らないと・・・」

そう言い掛けた恵子を引きよせて強引に唇を重ねた。

「最後だから」

と言うと、小さく頷ずいた。

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2

いつもは待ち合わせた後、慌ただしく隣市のファミレスで食事して・・・。お互いに家庭があって時間は制約されるし、会社で毎日顔を合わせてるから改めてデートしたりはしなかった。

ただ、この夜は、嫌でも最初で最後の特別な晩になる。退社して関係を清算すること以上に、捻じれてしまった運命の扉を、鍵をこじ開けて覗かねばならないと思った。ファミレスの代わりに社用で使っていた築地で少々時間をかけて懐石料理を頂く間は、努めて和やかに振る舞った。そして退社の記念に、とリボンをあしらった小箱を差し出した。

いつも、お互いが必要な時にだけ、温もりを求めあっていたのだと思った。築地を出る頃には恵子の警戒感も薄れ、いつもの自然な振る舞いに戻っていた。

駐車場を出て少し走ると公園があって、その脇の、満開の桜の下を抜ける小道をゆっくりと走った。「凄く綺麗ね」と恵子は言ったが、徐々に緊張してきて何も答えずにホテルへ向かった。

部屋に入ると恵子は長年連れ添った夫婦のように、脱いだスーツのジャケットをハンガーにかけ、バスにお湯を張る準備を終えると、ティーバッグの紅茶をいれソファーで向かい合った。

「今日は少し話があるんだ」と言うと、恵子の表情が曇った。

「佐倉ともこういう関係だったのか?」

半ば予期していたのか、恵子は眼をそらしたまま、何も言わなかった。

「二股かけられてたとはな」

敢えて刺すような言い回しを続けた。

「井上さんがそういう女性だったとは・・・」

ワザと距離感のある言い方をした。沈黙が続き、バスの蛇口の音が自動で止まった。

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佐倉が入社した翌年に、親父の会社の清算処理をした。その時、債務の減額要請に怒った債権者や、約50名の人員整理の矢面に弁護士とともに立っていた佐倉は、総務の恵子と話す機会が増えた。

親しくなってからお互いプライベートの愚痴を言い合う仲になり、あるとき食事を終えて帰りの車で、佐倉の奥さんと父親のことを告白され、その時に車中で関係してしまった。年下の佐倉に同情したと言った。

その後、いけないと思いながら数回関係してしまった頃、佐倉は恵子を尾行するようになって、俺との待ち合わせを目撃した。そして大いに恵子を詰り、乱暴に恵子を扱った。

「おまえ、やっぱりカネのある社長のほうがいいんだな」

「いい歳して浮気女のくせに」

「女はみんな、同じだな」

と、呼び出されるたびに言葉の暴力を浴びせられ、異常な行為を強要されたと。
そして、

「俺も社長になってやる!そうすれば文句ないだろう!」

と佐倉は言った。
恐らく佐倉の架空取引が始まったのは、その直後からだと恵子は言った。

「恵子、知ってたのか?架空取引を」恵子は頷いた。
佐倉は最後まで、架空取引や新会社を作り商権を引きぬこうとした謀議に関し、明確な理由を言わなかった。

「取引先から持ちかけられた」と言い、恐らく警察の取り調べでもそう供述していただろう。取引先の担当を悪者に仕立てたのは佐倉のほうだった・・・。つまり、相手を共同謀議で訴追したり、損害賠償で提訴したことは、まったくの誤りだった・・・。

もちろん佐倉の誘いに乗った取引先の担当にも責任のあることだが、それでも首謀者は佐倉だった。そして、架空取引や資金プールの話を会うたびに佐倉から聞かされていたのだ。

「恵子、なんてことを・・・」

そう思ったがしばらく、言葉が浮かばなかった。

「架空取引問題」で上場が暗礁に乗り上げそうになったとき、恵子は佐倉に、「もう止めて。社長に謝って」と諭したが、「いまさら、止められるか!」と言い、新会社設立後は恵子も移籍するよう命令した。

あの夜、佐倉に強引に誘われ車内で「おまえみたいな女は、俺が使い潰してやる」と言って関係を強要された。そして、その帰りに事故を起こしたと恵子は言った。

「あの事故の直前に会ってたのか?」と言うと恵子は頷き、感情が高ぶって急に声をあげて泣き出した。
そして、冷めた紅茶を口に含むと、少しばかり冷静さを取り戻して言った。

「私、罰が当たったのね・・・人を刎ねちゃって・・・」

「あの事故は・・・」

「私、ぼーっとしてて、よく見てなかった」

「・・・・」

ただひたすらに、たとえようのない重苦しい時が流れた。

「佐倉が自殺した直前に恵子に電話があったんだろ?」

「そう・・・」

「なんて言われた?」

「これから出て来いって」

「それで?」

「(もう家だから)行けないって」

「だろうね・・・」

「そしたら急に怒り出して・・・」

「何か言われたんだ?」

佐倉は「俺を馬鹿にしやがって!汚い女のくせに!」と言って電話は切れた。

 

泣けてきた。静かに、ゆっくりと、涙が頬を幾筋も伝わった。佐倉の奥さんの話も、そして恵子の告白も、ただの作り話と思いたかった。だが事実でも今に至って、俺にとって大した意味を持たないと思った。そしてこの遣る瀬無い心の向け先が欲しかった。

何かを思えば、涙が止まらない。だから・・・心を空にして、時間だけを見ていたくなった。

無言のままホテルを出て、恵子をいつもの駐車場に送って別れた。そして気がつくと夢中で高速を走っていた。水上インターを通過して関越トンネルへ。アクセルを踏みつける。150キロから200キロ、そして250キロで頭打ちになってもなお、アクセルを離さない。

トンネル内のライトが線にかわり、高速で流れる。すぐに死ねると思った。

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3

社長の塩谷の懸命な努力もあって、大手専業メーカーから大量受注した新型シートフレームの生産は予定通り5月一杯で準備を終え、生産開始となった。

しかし6月に約2000台ほどを生産した時点で、設計上の問題点と強度不足が指摘され、10月まで生産が延期されてしまった。そのために設備更新資金として調達した1億6千万の約定返済繰り延べをサブバンクに依頼したが、難色を示された。

「社長、どうしたらいいですか?」

生産準備に奔走し、受注先との交渉を一手にやっていた塩谷は、疲れ果てた表情で言った。

「サブはなんて言ってるの?」

「本社の保証を付けて欲しいと・・・」

システム専業として単独では無借金経営を標榜してきたが、子会社の吸収と上場スキームの頓挫によって実質的には2億円程の負債を抱えた。しかし内部留保や保有有価証券等の現金資産も1億程度あって、また子会社の運転資金の枠をブリッジも含めて個人資産の根抵当で担保したために、借入枠は十分にあった。

「塩谷さぁ、流通に出してる民生品のマーケを本社に移すか?」

「というと?」

「矢沢のところでシステム構築させてネットで販売する」

「できますかね?」

「だから、新製品の開発もこの(生産延期の)期間に加速してくれ。BtoBもBtoCも両方やるから。売るほうは任せろ」

「わかりました」

「そうすれば、本社資金を使えるだろ?」

「あっ?そういうことでもあるんですね。流石です」

「サブなんかに、ガタガタ言わせんようにしないとな」

「わかりました」

こうした経緯で、営業部門を本社に移転し、システムを2か月できっちり仕上げろと矢沢に依頼した。

「社長、無茶苦茶なんだから・・・」

と矢沢はボヤいた。

それまで、矢沢が「できない」と言うときは必ずできた。中途半端に安請け合いをするときは、初めからやる気がなかったし、「任せてください」と言ったときには、必ずどこかで大きなミスをした。

矢沢は不眠不休の末に約束通り、1日も遅れることなく8月1日から運用開始に漕ぎ着けた。

「よくやれたな、大したもんだよ」

「いえいえ、こちらのシステムをだいぶ使わせてもらいましたし、チーフの森田君はほとんどうちの社員のようにやってくれましたから」

「おいおい、総務省のシステムも手を抜くなよ」

「わかってますって」

矢沢は寝不足で渋い目つきの童顔でいつもの笑顔を返した。

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前期は連結売り上げ高を3億落としたが、塩谷の奮闘と本社の幸運なスポット受注もあって赤字は1.2億に圧縮できた。幸先よくスタートした今期は、0.5億の最終黒字浮上の計画で、この子会社での躓きはあったものの、結果を出す自信があった。

何より、佐倉の奥さんと恵子の告白の悪夢を、何とか振り切ろうとして懸命に仕事していたから。

前年の夏に米国で発覚したサブプライム問題は、春に米国大手投資銀行、ベア・スターンズの破綻へと繋がり、フレディー・マックやファニー・メイという愛称の米国政府系住宅金融機関の経営危機問題へと発展していたが、それらを無視するかのように原油価格は$100を超え、国内のガソリン価格もレギュラーで¥185という高値になった。

金融の危機的状況と乖離した実体経済の有り様・・・。金融関係者はある程度の懸念を感じていただろうけど、2ヶ月後に未曾有の世界同時金融危機に発展するとは誰も想像していなかった。だが、株式市場は7月25日に天井を打って以来、徐々に異変の兆候を現していた。

「働き過ぎるな、少し休め」が口癖だった親父は、相変わらず会社にいる時間の長い俺を、3月以来、2度ほどゴルフに誘った。

そして喜連川カントリー倶楽部で初めて会って意気投合した有坂氏を親父は2度とも誘った。仕事や家庭では人を顎で使うくせに、親父は遊びに関してはすこぶるマメだった。

競輪やボートと言ったギャンブルは、陰で相当に突っ込んでいいたらしかったが、「頭を使うのは嫌いだ」といって競馬や株には興味をしめさなかったから、当然、小糸の仕手戦の話題には反応しなかった。

だが、多少なりとも株式投資に手を出していた身としては、目前にあの渡辺喜太郎氏がいて、その小糸製作所の仕手戦にかかわった師匠がいるとなれば、興味がないはずもなかった。そして、3度目にプレーが終わった後、合間を見てラウンジで当時の様子を聞いた。

「渡辺氏の資金源は三井信託で、あの小佐野賢治が口利きをしていたわけで・・・」

「有坂さん(師匠)は小佐野と会ったことは?」

「二回くらい渡辺社長のところで会ったかなぁ・・・」

「あの、ロッキードの、記憶にございません、の名台詞のオヤジですよね?」

「そうそう。国際興業社主で日本電建のオーナー。青木功のスポンサー」

「あっ、有坂さん、青木は親父がよく知ってますよ」

「そうですか。やはりアマ名人は違うね」

そう言って師匠は昔を懐かしむように笑った。

「ところで小糸ってどういう経緯だったんですか?」

「あれはね、詳しいことは分らないけど、渡辺氏はほら、不動産やっててね、それで海外の物件に手をだしたとき、ブーンとかいう乗っ取り屋と知り合ったんだよね」

「ブーン、有名でしたよね」

「そうだね。当時渡辺氏は三井からカネを引っ張って仕手やって3回くらい大儲けしたんだよね。それで味占めちゃって小糸に手を出した」

「そういうことですか」

「でも、もともとはブーンが小糸を獲ってトヨタに高値で売り付ける、という計画があって・・・それに渡辺氏がひっかかったんだよ。株は俺が買い占めするからってね」

「なるほど」

「けれども、ある程度買ったら浮動株が集まってこない。株価はどんどん騰がっちゃって今度は資金が続かない。それでブーンに泣きついたけど、ブーンはもういらないって(苦笑)結局はブーンに叩かれちゃってさ、多分1000億くらい被ったと思うよ。ブーンは安値で手に入れて損しなかったらしいけど。最終的にはトヨタが引き受けて終わりになったけど。だから、損したのは渡辺氏だけなんだよ」

「そういうことでしたか」

「その頃、俺は野村で法人やってたんで。といっても仕手専みたいなものだったけどな」

「当時の相場は仕手ばかりだったから・・・」と言って有坂氏は大好きな珈琲をすすって苦笑いした。

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