株・師匠の教訓 5:日足の雰囲気は隠しようがありません

株・師匠の教訓 5:日足の雰囲気は隠しようがありません

師匠宅には使いづらい師匠の古いパソコンがあるだけでした。ブラウン管式の画面が湾曲した小さなモニターで、取引ツールを見ると、数字が変形してしまってとても見辛かったわけですが、師匠は「小遣い稼ぎ」という小額な資金を中期で運用していいて「見ないからこれで十分です」と笑っていました。

私は新しいパソコンを持ち込みました。二人で画面を見れるように大きな液晶を2画面にして取引ツールが収まるようにしたのです。そして毎回ノート型を持参して指標を監視できるようにしました。

「(株価が)上がりそうですね」の根拠を聞いた

監視の中心になるのは、もちろんその時に建て玉した銘柄でしたが、基本的には日計りはやらないので、他の銘柄のチャートをみて過ごすことも多かったわけです。

私としては建て玉の値動きが気になって仕方ないのですが、師匠は「気にしても仕方ないですよ。まだ売りませんから」と余裕です。

様々な銘柄の日足チャートを見ながら師匠は「上がりそうですね」と寸評を加えました。そうした銘柄は8割程度の確率でその後の株価は上昇していました。

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ある時、私は思い切って「どうして上がると分かるんですか?」と質問すると、師匠は「わかりませんか?雰囲気出てるのが」と。実際その時は全く理解できませんでした。

「日足チャートってやつは、投資家の雰囲気がどうしても隠せないんですよ」

師匠はそう言うと大好きなショートホープを燻らせていました。

ローソク足は日本人の発明

チャートと言えばローソク足です。他のチャートもありますがほとんどの投資家はローソク足しか見ていませんね。それは、この表示方法が画期的発明だからです。

ローソク足の起源は江戸時代、酒田五法を考案したとされる米商人で相場師であった本間宗久が考案したとされていますが、実際のところは良く分かっていません。実質的に世界初の先物相場といわれた大阪堂島や江戸蔵前の米会所での取引は所謂投機的なものであって、システム的に酒田五法やローソク足の出来る素地はなかったと思われます。いずれにしても本間宗久は一度は米先物で破産をしていますが、再トライの末に莫大な富を築いた成功者であったわけで、米沢藩当主の上杉鷹山の改革を支えたスポンサーであったと言われています。本間宗久が成功者であるからこそ、その後に手法として確立された酒田五法やローソク足の発明者、と言うことになったのでしょう。

本間宗久の詳細はウィキぺディアで

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ローソク足は投資家のセンチメント

ローソク足は株価上昇を陽線(白足等)で、下落を陰線(黒足等)で表記します。そうするとローソク足は単に売買の結果と言うよりも需給の結果と見ることができます。売り方よりも買い方が多数ならば陽線、反対は陰線です。

しかし、日足チャートではどうでしょうか?

急上昇で大陽線が続く時などは、毎日の非常に分かりやすい需給と捉えることができるでしょう。しかし、もみ合う状況になると、ローソク足単体では需給の判断はできなくなります。そうした状況は一定期間の連続を見なければなりません。

となれば、「ローソク足は需給」と単純は言いきれなくなります。

師匠は「需給と言うよりはセンチメント」と日足チャートを表現していました。日足で1本のローソクを見た場合、それは「センチメントが固定された状態」であって、「株価の変動はセンチメントの変化によって生じる」という見かたです。

なので、日足チャートを見るときに一番注目すべきは、「センチメントが変化するポイント」であって、「その時に何があったかを探してみると、株価が変動する原因が分かるようになります」と教えられました。

以来、私のチャートに対する見方は、その教訓がベースになっています。

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日足の雰囲気は隠しようがありません

日足チャートの変化は、個別要因であっても株式市場そのものの地合いの変化であっても、隠すことができずに必ず出てしまう、と師匠は言っていました。

株式市場には、様々な思惑が入り乱れていたり、個別の投資家の事情もあります。しかし、株価が大きく動く時は、態度を保留している大多数の投資家の行動に依存し、その原因こそがセンチメントの変化と考えるのが正解と、個人的には思っています。

「需給やらなんやら、いろいろありますが、基本は変化する要因とその要因に対する反応が株価の動きでしょう」

「それって素直すぎませんか?」

「素直でいいんですよ。株なんか所詮、思惑通りには動きませんから」

「ご経験からですか?」

「確率的に素直が有利だからです」

この辺りが私の株式投資の原点になった気がします。

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